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 葛





 西





 俊





 治




北海道工業大学研究紀要 2002 第30号 pp.143-150 から


身体心理学の展開に向けて―
「腕の立ち上げ」レッスン―



北海道工業大学総合教育研究部 葛 西 俊 治

*2004年4月から、札幌学院大学人文学部臨床心理学科所属 (2006年11/24追記)



Toward the Development of Psychosomatics: "Arm-Standing" Exercise

Toshiharu KASAI

ABSTRACT


Various approaches in somatic psychology or psychosomatics were shown, and the Butoh Dance Method by T.Kasai (1999,2000) and its three component phases such as playfulness, relaxation, and confrontation were described. Since the confrontation with one's suppressed emotions, memories, movements, etc. could be a difficult and risky task, preparatory experiences of playfulness and deep relaxation, that sometimes leads to a mind-body reset, were essential for the following confrontation in the Butoh dance/movement setting facilitating vibrations, tics, and jerks. A psychosomatic exercise named "arm-standing" was developed and found effective in his method for experiencing passive movement and enhancing mind-body sensitivities.



1.「こころとからだ」の世界


 身体心理学(psychosomatics あるいは somatic psychology)という心理学の一領域は、心身関連の基礎研究とその応用や実践によって心身の調和や改善、そして広義での「癒し」を目指すものである。
 歴史的には、精神医学ならびに臨床心理学の領域において身体性がテーマとなって既に久しく、精神分析を創始したS.フロイトの弟子の一人であるW.ライヒによって精神医学における身体性の観点とその有効性が明らかにされ、その身体的アプローチは生体エネルギー法(Bioenergetics)として展開されてきた。[1,2]そこでは、「性格の鎧」と呼ばれる「筋肉の固着」を解放することが眼目とされ、言語的カウンセリングから身体性への方向転換が明確であった。
 心理療法としては、例えば、ゲシュタルト療法(Gestalt Therapy)[3]では、クライエント自身の問題に、例えば役割演技によって「今ここで」直面する契機を与えるなど、身体的な「行動化」をその中心に置くなどの例がある。ただし、心身が切り離されない全体として機能する以上、心理療法が身体性を組み込むという方向性と共に、それとは反対に身体的な調整改善の技法システムが「心理」をその本質に位置づけるもの、さらに、その両者を同時に志向するシステムなどが様々に展開されてきている。
 例えば、当初、発声や呼吸に関する改善技法として展開されたアレクサンダー・テクニック[4,5,6,7]は、身体的な改善のみならず、「その人のあり方」全体に変容をもたらすものとして日本を含め広く普及を遂げてきている。また、アレクサンダー・テクニックに影響を受けて展開されたフェルデンクライス身体訓練法(Feldencrais Method) [8,9]も同様の射程をもっているといえる。
 また、心身への気づきをシステム化した「センサリー・アウェアネス sensory awareness (感覚覚醒)」[10]は、1970-80年代、心身連関実践の中心だったカリフォルニア州エサレン研究所(Esalen Institute)を基点に広く知られるようになったが、それは、「心身の連関」をさらに超えて、「からだとして生きている私」という存在に全体として覚醒し成長していこうという指向性を持つものといえる。
 国内に目を転じると、演劇・ダンスなどの基礎練習として浸透している野口三千三による「野口体操」[11,12]は、「からだの重さ」という感覚覚醒から心身の調整そしてその深みへと参入する方法と考えられるし、野口体操を身体感覚の柱として取り入れている竹内敏晴[13,14]による「竹内レッスン」は、心身というよりも、「ことばを語りかける」人としての存在そのものあり方を問い直し生き直す道筋を示すものといえる。
 心理学の世界では、センサリーアウェアネスの影響を受け、その後「ニューカウンセリング」を創始した伊東博[15,16]は、カウンセラーとクライエントという二者関係の言語的な「面談」の世界を離脱し、心と身体を持つ「人という存在」そのものの成長を促すことを志向するものとなっている。
 より厳密な研究領域として、様々な測定器具・装置による身体動作や生体物理学的指標の測定や検査・調査などの数量的アプローチは、身体動作についての精緻な知識をもたらし、障害児などを対象にした個別事例での動作介入や参与観察によって確立してきた臨床動作学や動作療法[17]は、手足の動きや姿勢制御という一つ一つのことが心身連関の中でどのように実現されるかを明らかにしてきている。また、障害児の運動能力の獲得と「世界の開かれ」を促進する「からだ」ということに焦点化した一連の「身体心理学」研究[18]は、科学的アプローチの対極に位置する「現象学的アプローチ」の視座とその有効性を明らかにしている。
 また、認知心理学・認知科学の領域においては、従来の静的な外界認識に対抗する理論的立場として、「姿勢」という人間のもつ行動の指向性が外界認識の基礎となるべきことを主張する立場、アフォーダンス (affordance)を中心にするアクション理論[19]が登場するなど、「からだの動き」ということの意味と価値が先鋭化している。
 さらに、測定・調査研究などのメタ研究として位置づけられる身体社会学的アプローチ[20]や身体に関する文化人類学的アプローチ[21]は、社会・文化・歴史的な広い位置づけの中で、「人と人が生きていること」における「身体の有り様や振る舞い」の意味を明らかにしている。
 ところで、ダンスセラピーないしダンスムーブメントセラピー(dance movement therapy)という、心身を総合的に扱うジャンルは、芸術療法(art therapy)の一領域を超え出て、アメリカなど欧米各国では心理療法の公的資格の一つとして認定されてきている。2001年、第36回を迎えたアメリカダンスセラピー学会(ADTA: American Dance Therapy Association)は、ダンス/ムーブメントセラピスト(DTR: Dance/Movement Therapist)としての有資格者を主な構成員とする学会であり、アメリカの州ごとに資格基準やその担当範囲が異なるが、DTRたちは病院や各種治療施設において、カウンセラー、看護婦、作業療法士などと同様の正規職員として心身の治療にあたっている。
 日本ダンスセラピー協会(JADTA Japanese Dance Therapy Association)は、1991年に設立され、2001年に十周年を迎えた。資格基準をADTAと同様に設定しているため、資格取得の公的コースが存在しない国内での取得は極めて困難な状況にあり、ほとんどのダンスセラピストはアメリカでの資格認定者である。なお、2000年、さまざまな経験を算入して資格を認定するAlternative課程による国内初の資格認定者が誕生した。また、JADTAではDTRに対する国内での需要超過の状況を見据えて、ダンスセラピストに至る中間的な資格、ダンスムーブメント・ケアリーダー(仮称)の検討に入っている。
 このように極めて今日的なテーマである「身体と心理」に関わる領域、「身体心理学 somatic psychology」ないし「心理身体学 psychosomatics」は、それぞれのアプローチ毎に心身の領域への重心の置き方は異なるにしても、いずれも心身の統合された領域への射程をもち、存在そのものの不確かさの中で揺れ動く現代人を支え成長・統合への道筋を示すものとして発展過程の只中にある。


2.身体心理学的研究としての「実践」


 身体心理学における研究形態としては、1)測定に基づく実験研究、2)調査や検査データの解析に基づく統計的研究、3)個別事例の吟味を中心にする事例研究、4)研究の相互比較や研究方法などを吟味するメタ研究などがあるが、そのいずれも三人称的なアプローチに留まるものである。これと対比的に、自らの身体と存在に基づく一人称的アプローチは「実践研究」と呼ばれ、心身現象そのものを体験し「測る」主体がその中心に存在するために、いわゆる第三者的客観研究とはなりえない。しかし、様々な実践研究は現象学的方法論に依拠する知見として、その専門領域における研究者集団(matrix)[22]によって承認されることを通じて、心身研究の領域の充実と深化に確実に寄与してきている。
 例えば、野口体操を創始した野口三千三がたどった道筋は、全ての前提を捨て「からだの重さ」を中心にして自らのからだとこころを探り当てていくという沈潜であり、それによって、欧米では発掘されることのなかった未踏の領域を明らかした。これは、自らにとって当然と感じられる心身の基底を懐疑して一時保留(現象学的判断保留 epoche)することによって、より深い実態と真相にたどり着いていくという現象学的アプローチであり、同時にヒューリスティック (heuristics 発見学習的)なプロセスそのものでもあった。  さて、筆者は、「腕のぶら下げ」と呼ぶ手続きによって、腕の緊張解放が一般に極めて困難であることを実験的に確認してきた[23,24,25]。その後、リラクセイションを実現する方法・技法・条件・背景などを「ボディラーニング body learning」と呼ぶアプローチに基づいて実践的に探ってきた。その中で、いわゆる「完全リラクセイション法 total relaxation method」と呼ぶようになった心身リラクセイションの技法を発展させて今日に至っている[26]。
 その際、リラクセイションを必要とする身体的緊張は身体心理学的な領域に留まるものではなく、「社会的な文脈の中で心身に組み込まれた条件反射」として、対人関係状況の中で解発されてしまう緊張反射であると捉えた点に特徴をもつ[27,28,29]。このため、完全リラクセイション法は、社会的対人関係的状況の中で身体化された筋緊張への気づきを柱として、動作や呼吸に関する技法を組み合わせることで深いリラクセイション、しばしば、心身の「リセット」と呼ぶべき状態に至る実践的方法として展開されることになった。

3.舞踏ダンスメソド Butoh Dance Method


 ここでいう舞踏とは1950年代に土方巽によって創始された、いわゆる「暗黒舞踏 Butoh Dance」のことである。Kasai [30,31]によって提唱されたButoh Dance Method (舞踏ダンスメソド)は、心身のリラクセイション技法などを基本として、暗黒舞踏(Butoh Dance)の中で用いられている視点や技法を取り入れることによって、社会化された身体の中で抑圧されている「否定的な感情や情動(negative emotions)」を身体によってあらためて生き直し、そのことによって心身の統合性を回復する方法として開発されてきた。
 その間、国内及び海外におけるさまざまな学会やワークショップ、あるいは精神科ディケアなどの現場にて実施され、その有効性の確認が進められてきている。例えば、アメリカダンスセラピー学会の2000年の大会において初めてButoh Dance Methodが紹介され[32]、さらに、2001年の大会[33]において同メソドが発表された際、ニューヨークの精神病院の現場でアルコール中毒などの患者を対象にButohのアプローチを導入しているダンスセラピストによる発表も登場するなど[34]、Butoh的アプローチの意義が次第に認められつつある。
 さて、舞踏ダンスメソドの最終的な目標は「抑圧された感情 suppressed emotions」であるにしても、個人的・社会的・文化的・歴史的あるいは宗教的などのさまざまな背景によって「抑圧」ないし表面化されないでいること自体の意味を否定するものではないし、そのような「抑圧」との「対峙 confrontation」を常に強いるものでもない。というのは、「対峙」という試みには、心理学的には「(高次の再統合に向けた)認知行動システムの一時的崩壊」とでも呼ぶべきプロセスにまつわる様々な危険と落とし穴が待ち受けているため、一定程度の準備状態が整って初めて挑むことが可能になると考えられるからである。
 舞踏ダンスメソドは、「抑圧された感情」― 悲しみ・怒り・失望などのいわゆる否定的感情や心的外傷体験、あるいは、心地好さ・笑い・安らぎ・神秘性・霊性などの広い意味での肯定的感情をも含む―と向き合うために必要な準備状態を作り出すこと、そして、時宜を得て「対峙」に至る際に必要な枠組みを提示するものである。
 さて、心身統合のための舞踏ダンスメソドは、これまでの理論的研究と実践に基づいて次の三つの要素―すなわち、「からだ遊び playfulness」「リラクセイション relaxation」「向き合うこと confrontation」を踏まえることとなった。なお、前二者については、いずれも「からだ」という次元を体験することを重視しているために、「ボディラーニング body-learning」ないし「身体学習」と呼ぶことがある。

1) からだ遊び― 心身の多様性へ向けて

 「からだ遊び」とは、筋肉の鍛錬や技術習得自体を目的とはせず、からだの動きやあり方の豊かさや多様性を回復することを目的とする動きや遊び全般を含むものであり、この目的にかなうものであればどのようなものであっても構わない。それによって、自己の多様性と可能性を拡げていくことを目的とするものである。
 身体運動の多くは、技術習得や筋肉鍛錬などの目的性による自己束縛に陥りがちであり、その結果、目的に含まれない筋肉や運動を無視する傾向を持つこと、また、運動を行う場や状況に居合わせた他者の存在や他者との関係性を見落とすなど、筋肉や運動への集中化の対価として、しばしば心身および社会的次元における「自己の貧困化」へと陥る可能性をもつものである。
 その点、「遊び」や「ごっこ」と呼ばれる状況では、実在の事物や状況、あるいはイメージ上の構成によって現実的な束縛を一時保留し、自己のあり方の多様な可能性の世界に憩うことになる。
 このためには、「からだ遊び」レッスンそのものは、状況に応じて臨機応変に創造・展開することが望ましく、「からだで遊ぶ」という実際の行いを通じて、決まり事やルールなどをその都度、脱構築していくことを目指すものである。そして、そのように自在に展開する状況では、予想外の動きやあり方を通じて様々な「驚き」が生まれ、驚きに伴って笑いや爆笑が生まれ出るというプロセスが進行する。例えば、竹内敏晴レッスンにおいて頻繁に体験される「驚き・笑い」という現場は、明らかに、固着した心身や社会的あり方を相対化し脱却させる契機となっていると言えるだろうし、このことは、ダンスムーブメントセラピーの場や関わりにおいても同様に重要な点である。

2) リラクセイション― 心身をより深く感じとるために

 リラクセイションという言葉は主に「心身の緊張解放」を意味する日常的な用語となっているが、ここでは次のような技術的位置づけにおいて用いることにする。

  a)動作や姿勢がより少ない筋緊張によって行われること。あるいはその状態。
  あるいは、体幹や四肢や首などが全体的に緩み、自然に伸展していること。

 完全な弛緩では動作や姿勢が実現されないにしても、その動作を行うのにより少ない筋緊張によって、筋肉へのエネルギー投下がより経済的に行われていることを意味し、その原因ないし結果として、腕や首などの筋肉や筋が少なくとも通常よりは長くなっている状態である。なお、一部の筋肉を「長くしよう」という意図的努力は、かえってそれ以外の筋肉群の緊張を招くことになりがちである。したがって、そのような問題を回避しつつ「リラックスしている」状態を作り出すための「リラクセイション技法」の検討が舞踏ダンスメソドにおいても重要な事柄となっている。

  b)心身の時間感覚が遅くなること。あるいはその状態。
   その意味での「意識状態の変容 altered state of consciousness」

 筋肉が弛緩した状態では、明らかに動作や反応が遅くなっているし、逆に、動作の緩慢さは筋肉の弛緩を意味する。しかし、このような身体の状態は、筋肉レベルに限られるわけではなく、主観的にも「時間が遅くなっている」と感じられるように、時間感覚の変容という心理的過程が身体状況と相互循環的に存在している。なお、前者の「筋肉の全体的弛緩」と後者の心理的状態について、その関係は同時的あるいは相互循環的なものと考えられるため、ここではその因果性についての議論は行わない。
 さて、時間感覚の変容は、呼吸についてのレッスン体験によってさらなる意識状態の変容をもたらし、しばしば心身の「リセット」と呼ばれるような深いリラクセイションを招くことがある。外面的には眠っているような状態を経て覚醒してくると、深い静けさと安らぎ、あるいは「癒された」感覚を体験することがある。この状態は、リラクセイションを目的とする他者催眠法による覚醒時との類似性も考えられるが、この点は今後の検討課題として残されている。
 ところで、舞踏ダンスメソドに盛り込まれたリラクセイション技法[30]は、竹内敏晴による「からだほぐし」を原型として編み出されてきたという経緯にある。その竹内敏晴による従来の「からだほぐし」は最近では単に「ゆらし」とのみ呼ばれ、その内容も1990年代前半までと比較して明らかに変化している。[35]
 ここでは氏による「ゆらし」との詳細な対比を行うスペースはないが、ボディラーニングにおける方法は「心身をより深く感じとること」を最重点課題として特化したものといえるだろう。そしてその基本要素は二つ、「受動的な動き」と「重さを感じること」であり、様々なレッスンによってこの2要素についての体験を積み重ねる中で、最終的な「深いリラクセイション」を実現していこうとするものである。なお、これまでの実践の中で生まれ国内海外での指導の中でその有効性が確認されてきた方法、「腕立ち上げ arm-standing」はこの点を明示する一例であり、以下に詳述することにしたい。
 「抑圧された感情」との最終的な出会いと「対峙」を射程とする舞踏ダンスメソドは、したがって、それだけの挑戦を可能にするだけのエネルギーと覚悟を背景としていること、また、人と人との「遊び」の中で体験される支持的な関係性やラポール(rapport)は、「対峙」の際やその後の日常への回帰の過程において非常に重要な支えを構成するものである。そして、「からだ遊び」と「リラクセイション」という二つの体験過程は、このことを実現するために基盤として位置づけられる。

3)向き合うこと― 心身の限界に向けて

「からだ遊び」「リラクセイション」の体験の深化に伴って、「抑圧されている感情」が、しばしば時宜を得て、動作や姿勢や意識に浮かび上がってくることがある。それらと対決するだけの準備とタイミングとある種の覚悟によって、意識的に「対峙」を選びとることもあるし、あるいは対峙を避けることもある。特に自我境界に問題を持つ場合には、ダンスセラピーにおいてもAuthentic movementが禁忌となっているのと同様に意図的に回避すべき場合もある。いずれにしても、「対峙」に至る際には、本人の覚悟だけではなく、それに相応するだけの準備とタイミングと覚悟とがダンスムーブメントセラピスト側に用意されているかという関係性の問題でもあり、それぞれの人生の一回性をどう選び生きていくのかという決断の問題でもある。
 なお、多くの場合、「対峙」という心身の限界への挑戦は、認識上あるいは身体的な「振動」として表面化してくる。理論的には、抑圧が緩んでくることによって様々な動きや行動の兆しが現れ、従来それを押さえてきた規制的な認識や身体的緊張がそれと拮抗するために「振動」という形をとる、ということである。事実、身震いやチックなどの痙攣的な動き、ビクンといった引きつった動き(jerk)は、そのような身体的「振動」の一例であるし、「対峙」によって引き起こされる認知的な二律背反は、「行きつ戻りつ」といった動作や行動面での「振動」として現れることが多い。さしあたりはそのような「振動」のただ中に身を置くことから、次の展開が訪れてくる。それは、反応や行動の限界としてそれまで働いていた束縛を脱却することであり、良い意味では「超越」であり、負の意味では「破綻」という両価性を孕むものである。
 ただし、このように両価的な「対峙」の過程をひたすらに切迫したものにするのではなく、すでに述べた「からだ遊び」の次元のものとして、「遊ぶ」という方法によって、その対峙を疑似的に体験することが技法の一つとして可能である。つまり、決定的な「対峙」へと一回的に遭遇するのではなく、ある程度の準備状態に至った段階で、それを「遊びとしての対峙」としてしばし相対化しつつ体験する方法である。なお、「振動」は筋肉の固着をもたらすことがあり、その場合には、感覚と身体をあらためて解放するために再度の「リラクセイション」が必要になることも多い。
 このように「からだ遊び」「リラクセイション」「向き合うこと」は、相互に巡回交替しつつ、最終的な目標である「心身統合」へと向かう実際的な方法として現場での試練を経て今日に至っている。


4.「腕の立ち上げ」レッスン


 リラクセイション技法及びボディラーニングという枠組みの中で様々なレッスンを試し展開してきた中で、ここに述べる「腕の立ち上げ arm-standing」のレッスンが、心理的体力的なエネルギーが低い状態や、あるいは一人で行う際の基本的レッスンとして有効であることを確認しつつある。現段階では数量的ないし統計的分析には至っていないが、このレッスンの体験者が延べ千人を越え、そのほとんどがリラクセイションに結びつくと思われる体験を報告しているため、その方法をここに詳述し定式化することによって今後の実証研究の端緒とするものである。[36]

方法

 仰向けに横たわり、両腕を天井の方向に伸ばしていき、真っ直ぐ伸びた腕をできるだけ少ない力で支えようとする―というのがその骨子であり、穏やかな「受動的な動き」と「重さを感じること」を中心に組み立てられている。

-0.床に仰向けに横たわる。
 (腰痛などがある場合は、膝を立てた膝立て仰臥位でも良い。)
-1.両腕を床に沿って左右に横に拡げる。
-2.手の甲を下にして、両腕を床に置いてしばし休む。
-3.両腕を横に伸ばしきって両手の爪で床に触れる。
-4.全身の力を抜き、その姿勢でしばらく休息する。
-5.両肘は床に置いたまま、肘から先をゆっくりと持ち上げる。
-6.持ち上げる際には、呼吸を止めたり喉を詰めたりせずに穏やかに呼吸をする。
 (口は軽く開き、顎も緩めていること)
-7.肘まで持ち上がったならば、続いてゆっくりと腕全体を天井に向かって伸ばし始める。
 腕の重さを実感する大事な時間なので、決して急がないこと。
-8.腕を伸ばし続け、肩が床から離れきるまで天井に向かって突き出す。
-9.天井に向かって突き出した腕をそのまましばし維持する。 (呼吸を止めないこと)
-10.腕は伸びたまま、肩甲骨が床につくまで肩の緊張を少しずつ緩め、肩が床に着く。
-11.床に触れている肩甲骨の一点を感じとる。そして、その点、「腕の根っ子」に腕全体の重さがかかる
 ようにする。
(肩甲骨のポイントを感じてもらうため、レッスン指導者は被験者の肘と手首を伸びた状態に保ったまま、腕の重さが肩甲骨のポイントにしっかりとかかることを確認してもらうために、腕全体を床方向、下に軽く押しつける)
-12a.被験者は自分の腕の重さが肩甲骨の一点「腕の根っ子」にかかっていることを感じつつ、より少ない 力でその状態を続ける仕方を探ってみる。
 最初は指は伸ばした状態から始め、腕の傾ぐ方向やその程度などを様々に試し、より少ない力で「腕が
 立ち上がっている arm-standing」状態を維持してみる。
-12b. (以下に詳述する)
-13.疲労を感じてきたら、肩の力を緩めて、肘が重さで次第に下がっていくようにする。
-14.肘が床に着いた後、肘の力も緩めて腕全体が左右にゆっくりと床に降りていくようにする。
-15.両腕が左右に伸びて床に置かれた状態になる。心身ともに弛緩し緊張することなく休息する。
 以下、手順1に戻り繰り返す。

 さて、腕立ち上げのレッスンにある程度慣れた段階で、自動運動(automatic movement)ないし観念運動(ideo motor) のレッスンに入る。すなわち―
-12b. 手順12aの「腕立ち上げ」の状態において次のように心の中で思念する― 「腕が左右に揺れる」/
 あるいは「腕が頭・脚の方向に揺れる」/あるいは「腕がぐるぐる回る」。

 この手順12bのレッスンは、両腕や肩・肩胛骨の筋緊張を減少させて、両腕が伸びた状態を維持するのに最低限の筋緊張に至った段階で意味のあるレッスンである。その段階では、両腕は筋緊張によって固着しているのではなく、呼吸や心拍などに影響されて自然に揺れが生じており、そのような微細な動きも感知できるほどに感受性も開いてきていることが前提である。観念誘導運動を体験することによって、意識的制御による動作ではなく、非意志的に「身体は自ら動く」という自動感を体験することによって、「制御する側vs制御される側」という二項対比関係を相対化する体験を目指すものである。

 ところで、仰向けになり両手を天井の方へ差し延べるという動作そのものはありふれており、体操やボディワークに散見されるなどそれ自体として珍しいものではないが、見た目での類似性では「腕立ち上げ」の本質的な部分は捉えられない。すなわち、「腕立ち上げ」の骨子は、すでに述べた a)「受動的な動き」、b)「重さを感じること」の他に、c)「少ない力で支えること」、d)「腕の重さを支えるポイントを肩胛骨に発見すること」、そして、e)「思念によって腕が動き出すこと」、の5項目にわたるものである。
 すなわち、上記の手順において、両腕を少しずつ伸ばしていくという過程、及び、筋緊張の解放によって少しずつ「腕が降下する」過程において「重さを感じること」「少ない力で支えること」が促進され、また、後者の過程においては筋緊張の解放による腕の降下という「受動的動作」を体験することが骨子であり、一連の手順と動作の中で、心身の感受性を拡げると同時に、心身の静謐な状態を深めていくことが最終的な目標となる。
 なお、「腕立ち上げ」レッスンによって肩や肘の筋緊張に敏感になることによって、床に沿って両腕を動かす際に、「重さ」によって二の腕や腕全体が振り出されるという一連の「重さによって発生する腕の受動運動」が存在していることに気がつくようになる。ただし、これらは腕の動作メカニズムへの新たな気づきをもたらすもので、身体的感受性亢進の指標にもなっている。
 ところで、「腕立ち上げ」の動作と外見的に類似した例としては、例えば、筋膜に対するマッサージとして開発されたAida Rolfによるロルフィング(Rolfing)の中にあるという[37]。そこでは、仰臥位で腕を横に拡げ、肘関節・肩関節をそれぞれ90度ずつ回旋し切り替えつつ動かすという、関節動作・上肢運動の体感と訓練を主要な目的としているため、「腕立ち上げ」レッスンとの目的上の共通性は少ないといえる。

 以上の「腕立ち上げ」レッスンの利点を挙げるならば、まず第一に「無理なく簡単に体験できること」、第二に「心身についての感受性を自然に深めていけること」、第三に「穏やかに安らいでいけること」であろう。さらに、「より少ない力で支える」という概念とその体験過程は、姿勢維持に関わる関節が多くや可動域の広い姿勢である座位や立位において、「より少ない力によって座位(安座・趺坐)を支えること」という「正し座」レッスンの基礎となるだけでなく、さらに「より少ない力で立っていること」といったように、心身緊張のより少ない、その意味ではより経済的な姿勢維持の仕方を探し出すための基礎的なレッスンとなっている。また、観念運動の体験によって、「動かしていく主体」対「動かされる客体」という心身の二項対比的関係を超え出ていく契機が比較的容易に得られることが、第四の利点であろう。これは、意図的・計画的ではない動きを探ることを中心におく舞踏ダンスメソドの基礎をなす重要な事柄となっている[31]。そして、心身の静謐さと感受性の深まりによって、「抑圧された感情」との「対峙」を支える安定した基盤が構築されるのである。



文献・註


[1] "Bioenergetics" Alexander Lowen, 1975/『バイオエナジェティックス―原理と実践』菅靖彦・国永史子訳, 春秋社, 1994
[2] "The Way to Vibrant Health" Alexander Lowen and Leslie Lowen, 1977/『バイオエナジェティックス―心身 の健康体操』 石川中・野田雄三訳,思索社, 1985
[3] "The Gestalt Approach and Eye Witness to Therapy" F.S. Perls, 1973/『ゲシュタルト療法―その理論と
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[4] "Man's Supreme Inheritance" F.M. Alexander, Charterson Ltd., 1910
[5] "Constructive Conscious Control of the Individual" F.M. Alexander, Methuen & Co., 1924
[6] "The Alexander Technique" Wilfred Barlow, 1973/『アレクサンダーテクニーク』伊東博訳,誠信書房, 1989
[7] "F. Matthias Alexander: The Man and His Work" Lulie Westfeldt, Centerline Press, 1964/
『アレクサンダーと 私』片桐ユズル・中川吉晴訳,壮神社, 1992
[8] "Awareness Through Movement" Moshe Feldenkrais, 1972/『フェルデンクライス身体訓練法』安井武訳,
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[9] "The Master Moves" Moshe Feldenkrais,1984/『心をひらく体のレッスン』安井武訳,新潮社, 1988
[10] "Sensory Awareness" Charles V.W. Brooks, 1974/『センサリー・アウェアネス』伊藤博訳,誠信書房, 1986
[11]『原初生命体としての人間』野口三千三,三笠書房, 1972
[12]『野口体操 からだに貞く』野口三千三,柏樹社, 1977
[13]『ことばが劈かれるとき』竹内敏晴,思想の科学社, 1975
[14]『からだとことばのレッスン』竹内敏晴,講談社現代新書, 1990
[15]『ニューカウンセリング』伊東博,誠信書房, 1983
[16]『心身一如のニューカウンセリング』伊東博,誠信書房, 1999
[17]『実験動作学』成瀬悟策編,至文堂, 2000
[18]『身体心理学ノート T』原口芳明,愛知教育大学研究報告第31輯, pp.253-268,1982
[19]『アクティブ・マインド』佐伯胖・佐々木正人編,東京大学出版会, 1990
[20]『身体と間身体の社会学 現代社会学4』岩波書店, 1996
[21]『身体論とパフォーマンス』市川浩・山口昌男編,学灯社, 1985
[22] "The Structure of Scientific Revolutions" Thomas Kuhn, The University of Chicago Press, 1970
[23]「腕の脱力における心理学的方略」葛西俊治,人間性心理学研究, 212-219,Vol.12,No.2,1994
[24]「腕の脱力の困難さに関する実験的研究」葛西俊治・E.A. Zaluchyonova,人間性心理学研究, 195-202,
 Vol.14,No.2,1996a
[25]「腕の脱力の困難さについての再確認」葛西俊治,催眠学研究, 34-40,Vol.41,No.1-2,1996b
[26] 1999年から毎週2時間、精神科ディケアのプログラムとして行われその有効性が確認されつつある。
[27]「腕のぶら下げから社会体操へ」葛西俊治,人間性心理学研究, 21-26,No.8,1990
[28]「身体の脱社会化と舞踏」葛西俊治,北海道工業大学研究紀要, 217-224,No.19,1991
[29]「脱社会化身体」葛西俊治,北海道工業大学研究紀要, 265-273,No.20,1992
[30] "A Butoh Dance Method for Psychosomatic Exploration" Toshiharu Kasai, Memoirs of Hokkaido Institute of
 Technology, No.27,309-316,1999
[31] "A Note on Butoh Body" Toshiharu Kasai, Memoirs of Hokkaido Institute of Technology, No.28,353-360,2000
[32] "Mind-Body Learning by Butoh Dance Method" Toshiharu Kasai and Mika Takeuchi, Proceedings for 35th
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[33] "Mind-Body Learning by Butoh Dance Method" Toshiharu Kasai and Mika Takeuchi, Proceedings (CD) for
36th Conference of American Dance Therapy Association, 2001
[34] "Exploring Our Inner Darkness: Butoh and Dance Therapy" Corrina Hiller, Proceedings (CD) for 36th
Conference of American Dance Therapy Association, 2001
[35] 日本人間性心理学会第20回大会ワークショップ「からだとことばへの気づき」竹内敏晴, 2001
[36] 「腕の立ち上げ」レッスンの展開・実施ならびに定式化は、舞踏家・竹内実花氏との共同作業による ものである。ここに明記するとともに感謝の意を表したい。
[37] 米・ミシガン州在住の公認ロルファーであるCori Terry氏の指摘による。


北海道工業大学研究紀要 2002 第30号 pp.143-150



(Mar.2, 2002 Made by ITTO)

*「腕の立ち上げ」レッスンの実習例はこちらです→  ボディラーニング