butoh/itto GooSayTen



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Vancouver Sun 紙 2000年11月2-9 発行 から

[ English version ]

Vancouver International Dance Festival 2000

 「 偶 成 天 に よ る ス リ リ ン グ な 舞 踏 」(抜粋) 

by マイケル・スコット (バンクーバー・サン紙 ダンス批評家)

  • 舞踏 「朱鷺姫 (トキヒメ)」 by 偶成天
  • 会場 「パフォーマンス・ワークス」 バンクーバー、グランビル・アイランド
  • 公演日 10/31,11/1


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舞踏―日本の伝統的な舞踊及び西洋的モダンダンス双方への反動として、1950年代の後半に日本で始まった踊り―は、驚愕させるほどに純粋な視覚芸術であり、ポエムを変換するための手段として、躍動する身体を用いるものである。神道のイメージに触発されつつ、舞踏は禅の瞑想のポーズと呼ぶべき姿の間を緩慢に移り行く―その身体は白塗りの厚い層のもとに脱個人化され、目尻は赤く縁取られ、口はポカンと開けられ、手足はアメリカマンサクの枝のように引きつっている―。

最高の舞踏においては、人間の肉体はそれ以外のイメージを呼び出すプロセスの中で消失する。すなわち、芸術のフォームでは不可能な身体的な歪み、また、氷河が進むようなその遅さ、そして、取り憑かれている程に精緻に調整された身体部位、それらが全て、踊る身体から人間的な性質を消し去るべく立ち働くのだ。そして、我々はそこにゴーストや蜻蛉や復讐に燃える魂などを見てしまうのだ。心理学者で舞踏家である森田一踏により1993年に設立された、札幌の「偶成天」は、過去10年間にバンクーバーで公演したどの舞踏よりも強烈にかつ精緻に造り上げられたイメージを提示してくれた。作品「トキヒメ」―日本語では「朱鷺姫」を意味し、絶滅に瀕している日本固有の鳥「トキ」を指す―において、葛西とその舞踏パートナー竹内実花は、狂気と変身を全身全霊で媒介するのである。

踊りは、あるときは活発にエロティックに、またあるときは不動で追憶に満ちた一連のイメージを示してくれる。二人は舞台上で交差し、再び交差しつつ、二人が進む毎に、交互に無表情となりまた歪んだ表情になりながら、まるで夢の中の情景と呼ぶべき世界を造り出す。長い導入部分において、森田はモヤのような白い布の下、全く動かずにうずくまっている。伸ばされた両腕、両方の手のひらは裏側に曲げられ、頭は床に向かって垂れ下がっている。この姿勢の中に閉じこめられたエネルギーは、呪文で封印されたかのようである。このシーンからの長い展開の中では、森田の垂れ下がる頭は、人間のものではない新たな下垂器官となるのだ。他のシーンでは、彼は竹内実花を何回も回し続ける。すると、はためく絹の雲が彼女の驚愕する顔にまとわりつき、日本のエロティックな木版画・浮世絵のイメージが踊りの中に造り出されるのだ。竹内実花はときには幽霊となり、また朱鷺の姫君となり、花弁の只中をさまよったり、あるいは幽霊の出そうな白い打ち掛けの中にその姿を消し去ってしまう。

「偶成天」のこれらのイメージは、観客が期待する優れたダンス作品がそうであるように、公演の後、何時間も脳裏で燃え続ける。

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by 「バンクーバー・サン」紙 ダンス批評家 マイケル・スコット ( mscott@pacpress.southam.ca )
from Vancouver Sun 2000. November 2-9  "GooSayTen's Butoh thrills" (excerpted)
      (T.Kasai訳)

(11/26,2000. Made by kasait