企画・研究: 葛西 俊治(北海道工業大学)
協力・指導: 芳野 香 (ACAT,NASTATアレクサンダー教師)
はじめに
1989年の人間性心理学会第8回大会において「アレクサンダー・テクニークの研究」が片桐ユズル・新海みどり・中川吉晴によって発表された。内容はアレクサンダー・テクニックの基本的な概念・方法などを概括したもので、大変に啓発させられる発表であった。しかし、その時に見せられたビデオへの私の印象は良くなかった。気にかかったのは、歩いている女性(生徒)をアレクサンダー教師が見つめている場面である。目で見るだけで何が分かるのだろうか…身体と歩行をモノ的に見られて彼女はつらくないのだろうか…。発表時間が十分ではなかったという事情もあったのだが、私の中にはアレクサンダー・テクニックにおける「目で見ること」への疑念が残った。
1992年に発足した日本ダンスセラピー協会の第一回総会、それと同時に開催されたワークショップには、アレクサンダー教師を目指してニューヨークで学んでいた芳野香氏がたまたま居合せていた。少しは体験してみたいと思い休憩時間に彼女に触れてもらった。 フワリと肩の辺りに触れられているだけなのに、少し傷めていた私の膝がフッと反応して痛みを感じ始めたのだ…。一体これは何だ…。
その後は懐疑への反動のようにアレクサンダー・テクニック関係の本や資料を少しずつ読み始めた。幸いなことに、1993年の夏、芳野香氏に札幌に来ていただきワークショップを開くことができた。そのときのほんの数分間のチェアー・ワークが私には大変に印象的であった。椅子に座った状態の私はあちこち柔らかく触れられて、それからゆっくりと立ち上がらせてもらった。その途端、私は驚きのあまりに思わず笑い出してしまった。怪我や事故で少々傷めていた頚椎に何の無理もなく、生まれて初めて「私は真っ直ぐに立った」という実感を得たのだ。すっきりとしていて静かな首。周囲がひどく低くはっきり見える。それでいて姿勢維持のための緊張は首にも身体にも感じない…。
京都精華大学の片桐ユズル氏を中心とするアレクサンダー・コネクションは積極的に活動し、1993年の終わり頃からは国内でもアレクサンダー教師の資格を獲得できるプログラムを開始している。しかし、関西からは遠い私はこのような恩恵には浴せず、資料や本を細々と集めてはアレクサンダー・テクニックの「独習」の可能性を探ることへ向かった。
1.独習は可能なのか
a)からだの感覚が間違っている
ある姿勢や動き方を長い間続けるとそのように筋肉が整えられ、姿勢・動きのプログラムが無意識のうちに組み込まれる。その結果、我々の感覚も一定の偏りをもたされることになる。しかし、感覚自体の歪みを自ら気づくことは極めて困難である。実際、アレクサンダー教師による自叙伝的記述にも身体に関しての感覚の間違いを読むことができる[1][2]。また、この感覚の誤謬は視覚によることもあるし[3]、より本質的には身体内部に生じる感覚(D.ガーリックは「第六感覚」として紹介する[4])、正確には固有自己受容ないし体性感覚(proprioception)、そして運動感覚ないし筋覚(kinesthesia)という感覚を我々が大幅に失ってしまっている、という事実に依っている。
b)心身の感受性が欠けている
個人レッスンを受けに来た参加者の事前事後を観察するうちに、自らの姿勢や呼吸、移動時の動きなどに対する注意能力が一般に低いのではないかと思うようになった。心身の感受性があまり感じられない参加者の場合、一回のレッスンではほとんど効果が「見られない」(身体状態の変化が視覚的には確認できない)。それに対して、活元運動などによって感受性が高まっていると思われる者は、主観的にも客観的にもレッスンの影響(すっきりした身体へ移行するなど)がはっきりと現われるという点である。アレクサンダー教師の手による「調整」は、極めて軽く静かで微妙なので、その様を身体的に「実感」(思考レベルでの認識の場合もある)するのが難しい。そのため、感受性が低い場合、それを補償するために言葉や概念を用いて筋肉や姿勢を左右する傾向があるように思える。
c)効果は必ずしも目には見えない
アレクサンダー・テクニックを広く知らしめるために役立ったのがN.ティンバーゲンのノーベル医学賞受賞式でのスピーチだという。その晴れがましい席におけるレッスン「前後」の写真がその効果を雄弁に物語った…と紹介されるのだが、アクレサンダー自身はレッスン前後の写真による効果の示威には懐疑的であったという[5]。 また、心理学者として集中的な研究を行ったF.P.ジョーンズも、静的な写真による視覚的対比ではアレクサンダー・テクニック独自の効果を示せないと考え、動きの軌跡の中にそれ独自の効果を見出そうとしている[6]。
レッスンの待合室に居る「アレクサンダー・テクニックの最高の生徒」を見ておくように言われた弟子達が「身体の曲がった猫背の老婦人しかいない」とアクレサンダーに言ったというエピソード[7]を読むと、アレクサンダー・テクニックを姿勢矯正の方法として捉えるのは間違いであろう。もちろん、レッスンによって結果的に姿勢が良くなることは確かだが、それ自体を追及することはいわゆる「目的への飛躍 end-gaining」として警戒すべきことでもある。
2.独習への手掛かりはあるのか
アレクサンダーは鏡を用いながら自らのテクニックに一人で到達し、他者のからだを良い状態に導く方法をも編み出した。したがって原理的に独習できない訳はないとは言える。事実、アレクサンダー自身がそのことを指摘しているとE.メイセルは指摘し、本によって学んでいる独習者へアレクサンダーからの注意点を三つ述べている[8]が、実際に役立ちそうもない。
F.P.ジョーンズもまた、独習にふれて次ぎのような例を挙げている。すなわち「まず仰向けに寝て、そこから立ち上がるまでの努力を思い描いてみる。すると実際に立ち上がる前にすでに首に緊張が入ることに気づくだろう。そこで、立ち上がることを思いながら実際には立ち上がらないで、この首の緊張を抑えることができるかどうかやってみる。さらに、このように首が緊張しないように抑制しながら、立ち上がるかわりに右膝を立ててみる。なお、このとき、すでにある緊張を緩和するのではなくて、膝を立てるという思いによって生じる緊張の増加分を抑制するのである…[9]。
このような方法に基づけばアレクサンダー・テクニックの方向づけ(directions)「首は自由に、頭は前に上に、背中は伸びて広がる…」(Neck-free, head-forward and up, back-lengthening and widening)へ進んで行けるのだろうか。
3.実際に体験してみる
今回、幸いなことに、アレクサンダー・テクニック教師としてニューヨークで活動を始めている芳野香氏の全面的協力で、体験学習の場をこの学会において企画することが可能となった。実際の体験がほとんど無いに等しい私の上述ような文献上の論及はそれとして、心身をめぐる理解と技術の一体系であるアレクサンダー・テクニックに接する場としたい。
(参加者は楽な服装が望ましい)
文献
[1] Leibowitz,J. & Conningto,B."Alexander Technique" Harper Prennial,p.4,1990
[2] Westfeldt,L."F.Matthias Alexander: The Man and His Work" Centerline Press,p.42,1986
[3] Nicholls,J. & Carey S. "Alexander Technique:In Conversation with John Nicholls and Sean
Carey" The Brighton Alexander Training Centre,pp42-45,1991
[4] Garlick,D."The Lost Sixth Sense" The University of New South Wales, 1990
[5] Maisel,E "The essential writings of F.M.Alexandr: The Alexander Technique" A Lyle StuartBook,xlviii,1990
[6] Jones,F.P."The Influence of Postural Set on Pattern of Movement in Man" Tufts Univ.Institutefor Psychological Research, Vol.1,1,60-70,1963
[7] Nicholls,J. & Carey,S.,pp44-45,1991
[8] E.Maisel,p.v,1990
[9] Jones,F.P."Body Awareness in Action"SchockenBooks,p.160,1976: Quoted by E.Maisel,p204,1990
*アレクサンダー・テクニックに関する翻訳書としては、W.バーロー著・伊東博訳『アレクサンダー・テクニーク』誠信書房1989や、L.ウェストフェルト著・片桐ユズル・中川吉晴訳『アレクサンダーと私』壮神社1992などがある。
文責:葛西俊治