嗚呼、青春のB級グルメ!


誰もが持ってる、初めて食べたものに対する感動をテーマに綴っていきます。

2001年3月22日更新

時期 メニュー 場所 感動を言葉で表すと。
小学校 ハンバーグステーキ あおえみよしの 小学校のとき、外食は、いつも五目そばでした。父親が洋食が嫌いなので、本当はオムライスをたのみたいのに五目そばでした。そんな中、年に一回連れて行ってもらえる唯一のレストランが「みよしの」でした。当時サラリーマンにはステーキなんかは手が出なかった時代ですから、メニューはもっぱらハンバーグでした。鉄板の上にジュージューで出てくる、ハンバーグと目玉焼きは感動ものでした。今ではファミリーレストランで簡単に食べられるメニューですが、あの頃の感動は忘れられません。
小学校 ソフトクリーム 天満屋岡山店 子供の頃、時々母親に連れられて、バスに乗って、天満屋に買い物に行きました。そのとき食堂で、お子さまランチを食べる前に、みんなでソフトクリームを食べるのです。天にも上るおいしさでした。いまだに旅先でソフトクリームを売ってるのを見ると買ってしまうのは、この原体験があるからでしょう。
小学校 チョコレートパフェ 鳥取県内のどこかのドライブイン 小学校6年生のとき祖母の葬儀があり、その通夜の晩もしくは葬式当日の晩に、当時大学生の従兄弟のお兄さんに連れて行ってもらって、生まれて初めてチョコレートパフェを食べました。すごく贅沢なデザートだと思いました。「すすめヴァイキング」に行くと、自家製のチョコレートパフェを作ってしまうのは、この原体験があるからでしょう。
小学校 クリームソーダ 大丸鳥取店 親の実家が鳥取県なので、鳥取県唯一のデパート「大丸」には子供の頃、よく連れて行ってもらいました。そのとき食堂で何回か飲んだのが、クリームソーダです。メロンソーダ(無果汁)にアイスクリームをのせたものですが、ソーダ、アイスクリーム、アイスクリームの混ざったソーダの3種類の味が楽しめます。ちなみに大学の喫茶店では130円でしたが、コーラフロートにするとなぜか100円だったので、よくコーラフロートを飲んでました。最近はアイスコーヒーのフロートも好きです。食べ放題店でソフトクリームマシーンが装備されてきたので、最近はこの思い出の味を、容易に再現できるようになりました。
小学校 ライダースナック
(カルビー)
倉敷市内の駄菓子屋 小学校の高学年の頃「仮面ライダースナック」がはやりました。30円のスナックに、ライダーカードが1枚ついてくるのですが、ブルジョアな友人はライダースナックを一箱買って、カードだけとるので、残ったスナックは貧乏な私たちが頂きました。花びらの形のかっぱえびせんに蜂蜜をぬったような味がしました。その後、このシリーズは、「仮面ライダーV3スナック」から「プロ野球スナック」へと進化していくのですが、最初のインパクトはすごかったです。
小学校 カレー汁
みつまめ
給食 学校給食は好きでしたね。脱脂粉乳、鯨のカツ、四角に切ったゼリー、牛乳に入れるとコーヒー牛乳になる粉、ジャム、マーガリン、感動の揚げパン、混ぜにくいうどん、とあげればきりがないのですが、カレー汁とみつまめが特にお気に入りでした。カレー汁というのは給食独自のメニューで、ご飯にかけないカレーがあんなにおいしいとは思いませんでした。みつまめには赤エンドウではなく、なぜか小豆あんが入っていて、これがまた何ともいえず、パンと牛乳に合うのです。他には、コッペパンをほじくってバナナを入れてバナナロールを作ったりしましたね。小学校の時は給食室があり、できたてでしたが、中学校では給食センター経由になりちょっと残念でした。
小学校 駄菓子全般
(1日100円)
小学校の近くの駄菓子屋。 小学校の6年生のときは土曜日の午後にソフトボールをするのが楽しみでした。当時のポジションは4番でライト。良く打つけど守備が下手でした。そのとき近所の駄菓子屋に100円持っていって買い食いするのが楽しみでした。10円の色の付いたビニール袋入りジュース、10円のえびせん、10円プラモデル、ゲッターロボカード、紙かん鉄砲、紙かんロケット、爆竹(学校で禁止だった)、串に赤い線があるともう一本もらえた水ようかん、串ドーナッツ、ガムのくじ、今考えたらくだらない買い食いでしたが、幸せでしたね。
小学校 にぎり寿司 近所の寿司屋 小学校の頃、「ど根性ガエル」というテレビアニメがあって、主人公のヒロシがにぎり寿司が食べたくて仕方が無くて、小遣いをすべて使って寿司を食うというストーリーの回があったんです。ちなみに寿司屋は宝ずしで板前は、梅さん(空手8段!)でした。当時にぎり寿司はそれくらい貴重な物でした。初めて食べたとき、巻きずしといなり寿司以外に寿司があることを初めて知り、またそのうまさに感動しました。今は回転寿司で気楽に寿司が楽しめるようになりましたが、小学校の時のにぎり寿司の感動は格別です。
中学校 ステーキ 倉敷アイビースクウェア 私が子供の頃は高い食品の代名詞といえば、ステーキでした。中学1年の時、たまたまとてつもなく成績が良かったときが1回だけあって、そのとき、ご褒美に家族で倉敷のアイビースクウェアに食事に行ったのですが、そのとき食べたステーキが、生まれて初めてのステーキでした。当時ン千円もして、父親の懐具合を心配しながら食べたものですが、あのうまさは忘れられないですね。今は安い値段でステーキが食べられますが、昔は牛肉高かった。
中学校 焼き肉 近所の焼き肉屋 これも中学にあがってからだと思いますが、父親が、焼き肉屋に連れて行ってくれました。この焼き肉屋で食べる焼き肉が格別で、上に書いてあるステーキ以上に感動的でした。値段も安くはありませんでしたから、本当に両親には感謝ですね。当時「カルビ」という肉の部位が「かっぱえびせん」のように感じられたのは私だけでしょうか。あばらの肉とは知りませんでした。ちなみに初めて自腹で焼き肉を食べに行ったのが大学4年の時ですから本当に、焼き肉の日は嬉しくて、腹がパンパンになるまで食べてました。
最近 キムチ鍋 自宅 いきなり最近のメニューになったが、このキムチ鍋の存在は、我が家の冬のメニューを大きく変貌させる物になった。このキムチ鍋を最初に作ったのが1997年冬くらいだと思う。その後、キムチの量を調節したりして、年々バージョンアップしている。この料理はあたたまるわりには、慣れると作るのが簡単で、重宝する。最近は、私が調理することもある。我が家にお客様を呼ぶときは定番の鍋である。


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