2001年板 さんの主張(腹立ち半分日記)

年月日 今日の一言
01/02/13  よく「自分に厳しく、他人に優しく」と言われますが、私のモットーは「自分に優しく、他人に優しく」です。誰だって、人に嫌なことを言われたり、嫌なことをされたりすると腹がたつでしょう。でも自分の何気ない言動が他人を傷つけてることはよくあることです。実際、自分がある人に、ひどい目にあわされたら、たいがいの人は、その人に良い印象を持ちませんよね。結局、仕返しをしたりする。つまり、他人にひどい目にあうということは、知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまったむくいをうけているかもしれないんです。人に優しくしてもらいたいのなら、なおさらまず、まわりの人に優しく接する気持ちが大切だと思う今日この頃です。
01/02/14  世の中には100%敵の人もいなければ、100%味方の人もいない。また、100%自分より優れている人もいなければ、100%自分より劣っている人もいない。だから、人の話には耳を傾けた方がよいし、だからといって、人の話を、100%鵜呑みにするべきでもない。
 本日の金言 「三人行、必有我師。」  「尽信書、則不如無書。」
01/02/17 人が静かにしていると、嬉しくなって、一段と長話をしてしまう人がいる。長話はしている人が思っているほど誰も聞いちゃあいない。しかし不思議なことに、長話を聞くのが嫌いな人ほど、長話が好きなのである。スピーチは決められた時間をオーバーしたら、1分いくらと罰金をとれば良いのである。
 本日の金言 「時は金なり。」「可能性は無限、されど時間は有限。」
01/02/18 「普段がんばらなくても、いざというときがんばればよいのだ。」という人がいる。一面真理だが、がんばりすぎずに仕事がこなせるのが一番良い。自分が猛烈にがんばっているときのテンションを100とすると、通常の仕事は50以下でこなさないと体に悪い。では、「手を抜くのか?」と思われるかもしれないが。そういうことではなく、自分の50をあげていけばよいのだ。50の力で、十分仕事をこなせるように努力をすることが長続きのこつではないか。
01/02/19 最近、友人から借りた「逆説の日本史/井沢元彦」にはまっている。その本を読んで自分なりに思ったことは、世の中は正しい物と正しくない物でできているのではないということである。現在正しいかどうかが判断できない事柄がほとんどなんだなあと思う。だからこそ勉強はおもしろいんだろうなあ。「これはこう決まっているのだ!」という色眼鏡が真実を曇らせているような気がする。
01/02/20 時々キャッチセールスの電話がかかってくる。うたい文句は「あなたは幸運です。」とか「これはお得です。」とかです。しかしよく考えてほしい。この不景気の中、本当に得だったら人に教えずに自分でやれば良いのでは。つまり、この言葉は目的語が欠けているのが問題なのだ。正確に表現すると次のようになる。「あなたは(だまされやすいのでひっかかってくれると電話している私はとても)幸運です。」そして「これは(売る側からするとぼろもうけの話なので買ってくれると電話している私にとって)お得です。」ということになる。
 本日の金言  「巧言令色鮮矣仁。」
01/02/22 大学入試は18歳での学力?を測るものであるが、普通勉強を頑張るのは中学高校の6年間であるから、そういう面では、6年間で得た知識・技能の勝負になる。さて人間は社会に出て約40年働くわけで、職場にもよるが、仕事で使う知識は偏った物になりがちで、なおかつ、その道のプロであることが要求される。言えば入試は短距離走で、仕事はマラソンである。入試で有名難関校に入ったところで、それでこれからの60年が保証されているわけではない。最も大切なのは大学に合格後は、頭を切り換えて、人生のマラソンランナーを目指して違う質の勉強をすることである。。いつまでもかけっこの一等賞にひたっていても仕方ない。大学に入ったら勉強をしなくて良いのではない。受験勉強から解放されるだけである。勉強の質が変わるだけである。
 本日の金言 「人間、死ぬまで勉強だ。ただし受験勉強だけが勉強じゃない。」
01/02/23 よく「石の上にも3年」といわれるが、本当に3年つまり1000日で何とかなるのだろうか。これの解釈として、まず1000日頑張ろうということだと思う。つまり1000日で何とかなるのではなく、1000日でスタートラインに立てるのではないだろうか。これは仕事に限らず、勉強、運動すべてに当てはまるのではないだろうか。短期的な結果を出すのに躍起な人は1000日でも冗長に思うかもしれないが、事を成すには、その10倍の10000日かかるのではないか。
 本日の金言「千日をもって初心とし、万日をもって成す。」
01/02/27 美人は得かといえば、短期的に見ると得だと思います。しかーし、世間で「美人」(もしくは美男子)と呼ばれている人、本当に好きな人が出来たとき、外見を好きになってほしいですか? それとも中身を好きになってほしいですか? おそらく後者でしょう。そう考えると「美しい」ことは相手の本心をさぐる上で邪魔になるはずです。外見だけ好きになられてもねえ。作者は、幸いなことに、美男子でもなければ、スタイルも良くない、おまけに金もない。よって女性にもてませんが、そういう心配もしないですみました。美男美女でない人は関係ないと思っていませんか? デートで高い服きて、無理して、高い店に入っているア・ナ・タ。同じ事ですよ。外見で異性をつってもそれはむなしい事です。(結局、誰に何が言いたかったのやら?)
 本日の金言「破山中賊易、破心中賊難。」
01/02/28 日本では飲み会が重要なコミュニケーションの一つである。嫌いな人や苦手な人と酒を飲むのは、つらいかもしれないが、もし嫌いな人が、自分と異質であるから嫌いなのであれば、その異質な物を学び、盗めばよい。もし嫌いな人が、自分と似すぎているから嫌いだとすれば、それは近親憎悪だが、そういうときは、その人を観察して、自分の嫌なところを直せばよい。とにかく麻雀と同様、飲み会でしか見えない他人の一面がある。これを学ばない手は無いのである。いずれにせよ、コミュニケーションを自分の成長のための鑑と思えば、決して無意味な飲み会など存在しないのである。嫌だから飲み会に行かないようでは、人間としての成長をストップさせる。もちろん飲んで人にからむのはやめましょう。楽しい酒が一番です。明日は楽しく、飲むぞ!!!
 本日の金言「酔翁之意不在酒。」  「今朝有酒今朝酔。」    
01/03/01 今日、一年間の仕事を慰労する大きい会があった。私としては、その一年間の仕事についてかなりがんばったと思っていたが、その飲み会の中で一顧だにされなかった。「くやしい」というより悲しかった。私はその日、ついに発言の機会が与えられなかったが、私が言いたかったのは、「仕事の成果の自慢」なんかではなく「皆さんへの感謝」だった。なんか、どっと疲れが出た。でも前向きな気持ちで、これからの一年頑張っていこうと思う。
今日つきあってくれた皆さんありがとう、楽しかったです。今日不義理をした方々ごめんなさい。明日から一生懸命働きますので許してください。
 本日の金言「報怨以徳。」 「臥薪嘗胆。」       01/03/10に加筆訂正
01/03/02 昨日は腹立ち全部日記になった。申し訳ない。一晩たってみて、ありがたいことに、わかってくださる方もいるので、少し気がおさまった。世の中、こんなものかもしれない。わかってくれる人もいれば、わかってくれない人もいる。しかしわかってくれる人サイドに愚痴をいったり、八つ当たりをしないように注意したい。それは、わかってくれている人をも悲しませてしまうから。人の気持ちがわかる人って本当にすばらしい。心遣いありがとう。おかげで元気になった。(^。^) 私もかくありたいものである。
 本日の金言「過則勿憚改」 「桃李不言、下自成蹊。」    01/03/10に加筆訂正
01/03/03 デジカメでとった写真を印刷した。計50枚。時間にして2時間だ。このうちほとんどは人にあげるため。むろん報酬はない。それなのに、その一見つまらなそうな作業が、妙に楽しく感じられるのは、なぜなんだろう。考えてみた。人が喜ぶ顔を想像しながらやってるから楽しいということに気がついた。人に認められるために仕事をするのは、結構つらい。でも、そういう仕事も生きていく上では避けられない。願わくば、プライベートな場面では、「しなければいけない。」と思わず、人が喜ぶ顔を想像しながら、何かしたいものである。そうしたら自分が幸せに思えるし、それによって人がなにがしか嬉しい気分になってくれたら、私はその倍嬉く思える。
01/03/04 転勤でアメリカに5年行っている友人が、久しぶりに日本に帰ってきました。我が家に招いて、キムチ鍋とマラカスのフルコース?で、おもてなししました。今、これを読んで笑った人、我が家まで連行する!!!
01/03/05 私を含めて、よく自分の失敗を人のせいにする人がいます。でも、これって人間として一人前になれていない証拠ですよね。「自由」と「自己責任」は対となる言葉ですからね。自分の失敗を自分で受け止められる人だけが、自分の成功を仲間と分かち合えるような気がする。サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ 。(宮沢賢治か?)
 本日の金言「雨ニモ負ケズ」
01/03/10 私は現在ついている職業を一生の仕事だと思っている。だからこそ真摯に仕事を遂行していきたいと思っている。でも、そういう仕事だからこそ、辛そうにするのではなく、楽しそうにするよう心がけている。本当に辛そうに仕事をしていたら身体がもたないし、かといって辛そうなふりをして、他人に「いかにも頑張ってますよ」というポーズをするのも、仕事に対する冒とくでしょう。ただ、楽しそうに仕事をすればするほど、周りからは、遊んでいるように見られるのが辛いこともある。でも、「必殺仕事人」の中村主水にように一見抜けているように見えても、仕事をするときは、クールにこなせる人が、私の中ではかっこいい。でもなれない。(笑)
01/03/17 私は、目立つことが嫌いではない。このことは、「目立つことが好きである」ということとは根本的に違う。「目立つことが好きである」人は、目立とうと努力をする人である。それに対し、「目立つことが嫌い」な人は、目立たないために、努力をする。それで、私はというと、目立とうと努力をするわけではない。目立たないために努力をするわけでもない。このあたりの区別はしてほしい。私は結果的に目立つことが多いが、目立とうとしているわけではない。要するに無防備で何も考えていないだけなのである。
01/03/18 「人が言ってくれたから出来た」とか、逆に「言ってくれなかったから失敗した」とか言う人がいるが、成功しようと失敗しようと責任の所在は、行動した自分にあることは明かである。どだい、人に言われたところで、自分にやる気がなければできないのである。例えば、太っている人にダイエットを勧めたところで本人にやる気がなければ体重は減らないのである。したがって、事を起こすには、まず、自ら動かないとだめである。身近なところから始めることをお奨めします。
 本日の金言「先従隗始」
01/03/19 最近の若者が離職するときの理由のうち一番多いのが「人間関係」らしい。要するに、「嫌いなやつとは一緒に仕事が出来ない」と思いこむらしい。しかし、仕事をして金をもらってる分にはプロですから、おかしいですよね。私は、仕事のパートナーが大嫌いな奴でも、一緒に仕事をしていく自信はあります。仕事がからむのであれば、一緒に楽しく酒だって飲みます。仕事はそういったものです。また嫌いな人ほど、よく観察しないとだめです。生理的に嫌いでない人に少々何を言われても気になりませんが、嫌な奴に嫌なことを言われた日には最悪ですからね。相手が憎くても、だからこそ仲良くしないとだめです(振りだけでも)。ただしプライベートは別です。私は嫌いな人とは仕事以外の話は極力しません。私は嫌いな人には絶対、物をあげません。私は、嫌いな人は絶対、自分の家には呼びません。私と仕事以外の話をいっぱいしている人は、私に嫌われていません。
01/03/20 人は、何度か好むと好まざるにかかわらず、勝負に出なければいけないことがある。100%の勝算というのは、さすがに無理かもしれないが、勝負するからには、当てずっぽうではなく勝算を高めていかないと、無駄な戦いになる。そのためには、自分が勝負する対象を良く知り研究しなければならない。その上で、勝算が低いことがわかれば、退く勇気も必要であろう。勝算を高めて再挑戦することが必要である。極端なことをいえば、場合によっては戦う対象ごと変えないといけないかもしれない。戦う対象との和睦も必要かもしれない。それくらい「戦う」ことは大変な決断が必要だ。「あたって砕けろ」式の勝負観は、困りものである。もちろん上司が引っ込み思案の部下に暗示をかけるという面では必要。(もちろん上司には勝算があってのことであるが。) 大部分「孫子の兵法」より。
 本日の金言「知彼知己、百戦不殆。」 「多算勝、少算不勝。」
01/03/21 分析と後悔は、互いに絡み合っている。例えば、2つの道のうちいずれかを選ばないといけないとき、Aという道を選んで失敗したとしますね。そのとき「Bの道を選んでおけば良かった」という気持ちがずっと尾を引くとき、これは「後悔」ですよね。実際にBの道を調べてみて、次のチャンスに生かすのが「分析」です。人は失敗するとすぐ後悔してしまいますが、実は大切なのは、失敗を分析することなんですね。同じ失敗を二度と繰り返さないことの積み重ねが、勝算をあげていくのではないでしょうか。成功をおさめる人は、決して無理をしていないです。むしろ何が道理かがわかっていて最短距離で、すいすいこなせる人こそ成功すると思います。汗水垂らして努力することは尊いですが、方向性を十分に考えないと、徒労に終わります。
 本日の金言「善戦者、勝於易勝者也。」
01/03/24 何事もできるだけ楽しいと思わないと、目的は達成されないし、達成されたとしても身体をこわす。これは実話だが、、ある人が、医者に痩せろと言われて、過激にダイエットをしたが、その結果、ストレスで入院してしまったという笑えない話がある。(作者の話ではない、念のため。) ある学説によると、ストレスほど身体に悪いものは無いらしい。したがって、ストレスと引き替えに何かを得ても、それは自殺行為に等しい。私のまわりにも、はたからみても頑張りすぎてるんじゃないかなという人が何人かいるが、願わくば、ストレスをためすぎないでほしい。ストレス解消のポイントは、Third Space を確保することです。自分の家庭が、第一の場所です。これをFirst Space と呼ぶことにしましょう。そして仕事場がSecond Space です。社会人は、この第1の場所と第2の場所だけ往復しているのでストレスがたまる一因となります。できれば、それ以外の、第3の場所を作りたいですね。これは、習い事でも、ショッピングでも、旅行でも良いと思います。ただしくれぐれもThird Spaceでストレスを増大させないようにしましょう。
01/03/25 昨日の地震はびっくりしました。私は某電機店に買い物をしに行っていたのですが、いきなり、店外に避難させられました。お隣の広島県では大変な被害が出ているみたいです。本当にここ5,6年で西日本で3回目の大地震です。しかもこの3回が兵庫、鳥取、広島と岡山の隣接県ですから、岡山県も本格的な地震対策が必要かもしれません。日本の政治経済さらに教育も、ある面、大地震(もしくはその前触れ)のような様相です。何事も起こってからでは遅いので、日頃の備えが大切だなとおもう今日この頃です。
01/03/29 春は出会いと別れが交錯する時期である。私も過去2回転勤を経験しているが、去る人の寂しさは格別である。しかしながら寂しい中にも去る人には掟がある。それは、仕事を残していかないこと。そして、後任者に対する仕事の引継ぎを完全に行うことであろう。日本人の中には、ことあるごとに失敗は「水に流す」人が多い。また「旅の恥はかきすて」とかいう情けないことわざも存在する。しかし一人前の大人は自分がいなくなる時に適当なことをして出ていって良いのだろうか。いや良くない。むしろ出ていくときの行動にこそ、その人の価値が見いだされるのではないか。私もこれからまだいくつかの転勤を経験することであろうが、自分の責任を果たして、潔く去りたいものである。
 本日の金言「立つ鳥、後を濁さず。」
01/03/31 今日で平成12年度も終わりである。反省する点が多いが、最近よく言われることが、「怒らないように」ということである。最近毎週末飲み会だが、ことあるごとにこれを言われる。真摯に受け止めて、反省しなければならないと思う。あの孔子でさえ若い頃は傲慢さが前に出て、老子にいさめられたことがあるらしい。作者と孔子は比べるのもおこがましいが、やはり傲慢さが出ているのだろう。孔子も傲慢さが影を潜めてからが、本当の孔子であったといえる。作者も先人の知恵にあやかりたいものである。平成13年度は、ここを重点的に直していきたいものである。心当たりのある人、一緒に直しましょう。
 本日の金言「人生大病只是一傲字。」 「過而不改、是謂過矣。」
01/04/04 新年度が始まった。新年度でしんどいのは妙にアドレナリンが上がることです。ある同僚が、「新年度は浮き足たつ人が多いので嫌ですね。」と行ってましたが、うなずきつつ、浮き足立っている自分がすごく嫌だ。今日は歓送迎会があったが、やはりみんな浮き足立ってる。早く落ち着かないといけないと思う。一年365日、平常心を保つのは難しいと思った。いつでも、柔軟さと心強さを併せ持ちたいものである。
本日の金言「上善如水」
01/04/15 久しぶりに「シャカッとタンバリン」をしたくなってゲームセンターに行った。私の前に何組も並んでやっていたが、全員、下手くそで、すぐゲームオーバーである。ここは、私が見本を見せてやろうと思い、ゲームを始めた。ところが、あえなく10秒でゲームオーバー。このゲームにはタンバリンを振る動作と叩く動作があるのだが、叩く方が壊れていて反応しないのだ。私は、周りの嘲笑を背中に感じながら、静かにゲームセンターを後にした。J○○○○○○Sの馬鹿野郎!!
本日の金言「プロなら道具の手入れをしろ」「覆水盆に返らず」
01/05/06 私は、子供の頃は、障害にぶつかると、得意げにその障害を粉砕して前に進んでいた。全てが万事そうであった。しかし最近、その障害を避けて遠回りしたり、その障害と仲良くなって避けてもらうのも味があることがわかってきた。気に入らない物を力ずくでどかすのは、強い自分を誇示する手段ではあるが、本当に強い人はそんなことはしないのである。このことに気づいて人生が随分と楽しくなった。最近目的に向かっている途中に落とし穴にはまっても前ほど腹が立たなくなった。落とし穴に落ちて初めて発見できることもあるから。人生は目的を達成することだけが楽しみではなく、目的に向かって進む事自体が楽しいのである。道草も時には良し。進んでいれば、自分の目的と一切関係ないかもしれないけど新しい発見があるものである。
本日の金言「木鶏」
01/06/10 やたら他人の行動に攻撃的な意見をしてくる人がいるが、いかがなものか。目的が、その個人をおとしめたり、威嚇することにあるのなら、この攻撃も全く無駄ではないが、自分の意見を通したいのなら逆効果ではないか。作者は馬鹿なので、人に頼まれると嫌と言えない。特に、信頼されると、つい何でもやる人物である。そのくせ、人に攻撃されたり頭ごなしに命令されたりすると、それが直接の上司であれ、いうことをきかないというあまのじゃくである。こういう人間を上手に使うと、周りも得だし、本人も喜んで働くので、仕事に無駄がない。部下や後輩にがんがん命令してうまくいってない人、やりかた変えるとうまくいくかもよ。
本日の金言「豚もおだてりゃ木に登る」「馬鹿とはさみは使いよう」←豚と馬鹿は作者と思ってくださって結構です。
01/06/29 独身男性諸君必見。女性は自分の配偶者と食事に行くことに殆ど興味を示さないらしい。この間もある同僚の女性がそんなこと行ってました。じゃあ毎週末休みごとに夫婦で外食に行ってる作者夫婦って馬鹿? 結婚したら豹変して、妻に威張り散らし、何もしない男性が結構いるみたいだが、夫がそうだから妻がそうなるのか、妻がそうだから夫がそうなるのかは、「鶏が先か卵が先か」の議論なので不毛である。が、兎に角、実際の夫婦生活はそんなものらしい。「そんなこといわれなくてもわかっている」という人は、こんな夫婦生活でも気にならないだろうが、少なくとも作者はそんな夫婦生活はおくりたくないですね。夫婦で得られる物がリスクを上回ってこそ、高い金と自由を代償にして結婚する意義があるのではないでしょうか。こう考えると結婚って何のためにあるんでしょうね。特に男なんざ、種馬か番犬ってとこでしょうね。
本日の金言「結婚なんて、所詮、打算の産物だ」←少なくとも作者のところは違うけどね。
01/07/16 作者は、ほぼ毎週カラオケに行く。しかも決まって同じ店。同じセガカラである。ちなみにこの店はセガカラが4部屋あり、セガカラがいっぱいのときは空くまで待つ。セガカラファンにはこだわりがある。「自分は歌がうまい」と思いこんでいる。したがって隣の部屋の奴と意地の張り合いで、同じ曲を歌ったりする。みんな1000点満点の採点機能を使っている。みんなナルシストだ。正味アホだ。作者が高校時代は、カラオケなんか無かった。(8トラという代物は存在した。)したがってギターを練習した。歌うには伴奏器具が必要だったから。今はギターなんか必要ない。その代わりお金がかかる。カラオケはよくできたレジャーだ。歌がうまい人は歌って、金を得る。歌が下手な人はカラオケ行って金を払う。金さえ払えば、音痴でも楽器できなくても歌える。したがって、こんなもの文化祭でやっちゃあだめだ。「カラオケは文化だ!」とほざくアホがいる。こんなもんAVと同じだ。AVも文化ならカラオケも文化だろう?ただし気をつけなければいけないのは、カラオケはタバコと似ている。タバコが嫌いな人にとっては、その煙はたまらなく嫌だが、カラオケが嫌いな人にとって、カラオケはまさにそうである。くれぐれも無理矢理さそうのはやめましょう。時にカラオケが下手な人をののしる人がいますが、同好の士ですから許してやってください。
本日の金言「カラオケは楽しい。楽しくなる相手と行きましょう。ただし無理にさそわないようにしましょう。」 
01/09/12 喧嘩はするもんじゃないが、売られた喧嘩は買わなきゃだめです。そうでないとなめられます。ただし何故喧嘩が起こるのか考えないといけないですね。大概は両者の勘違いもしくは悪いとわかってる方の開き直りが原因だと思われます。自分の喧嘩の相手が、明らかに勘違いをしているときは冷静に諭してあげましょう。一方が冷静になると、行き違いは解消されます。また自分が悪いときは、相手が年下であろうと家族であろうとあやまりましょう。ここまで出来る人が次の行為を許されます。悪いとわかっていて開き直る奴。こんな奴は徹底的にやっちゃいましょう。相手が自分より明らかに強い立場にいる場合は力をたくわえましょう。そして時期を待つのです。今まで詭弁で人生を乗り切ってきた人、気がつくと背後に人影が・・・・。
本日の金言「以備待時、以時興事」
01/09/14 最近大人が子どもに甘すぎる。しかし甘やかすのが子どものためと思ったら大きな間違いだ。本当に子どものためを思うのなら、なおさら、子どもをしからなければならない。物わかりの良い大人なんか糞だ。また子どもにルールを守らせたいなら、大人がルールを守らないとだめだ。時間にルーズな大人の下で、時間が守れる子どもが育つか? 約束を守らない大人の下で、約束を守る子どもが育つか? 体裁だけ繕う大人の下で、どんな子どもが育つんだ。作者がこの文を本当に読んでほしい人は誰一人としてこのサイトに訪れないが、日本の未来は危機である。
本日の金言「我々のペンタゴンは本当に大丈夫か?」
01/09/25 会議っていうのは目的をはっきりしないと徒労に終わる。例えばケーキを作るか否かという会議があったとする。ケーキを作る派が大多数で決定権を持つ社長もケーキを作ることには異論がない。こんな時、「なぜケーキを作るのに賛成なのか」を延々と議論するのは時間の無駄である。問題は、どんなケーキを作るかという方向に発展しなければならない。みんな「意見は?」と言われても、大筋でケーキを作ることに賛成なので意見らしい意見なんて出ないのである。「ケーキを作ること」が大前提の会議でその可否を議論することは無駄である。意見が同じだから黙っている人に無理矢理意見を言わせるのも無駄ですね。以上ケーキ屋さんの会議からお伝えしました。
本日の金言「サイレントマジョリティーをなめるな。」「意見をいわないという自己表現もある。」
01/10/14 人との初対面で態度が悪くて墓穴を掘る人もいるかもしれないが、少数である。ところが、インターネット上では、これが日常茶飯事なんだな。例えば、実社会で、怖そうな年輩の人に意見を言うには勇気が必要ですね。また準備や日頃のつきあいも必要です。会議なんかで自分の意見を通そうと思ったら、事前の根回しも必要です。インターネットの掲示板やチャットでは、相手の顔が見えないので、誰もが好き放題書ける。だからついつい書きすぎちゃいます。中学生が大人のふりをしたり、男が女性のふりをするのはまだ良いとして(よくないか?)、ネット上で、偉そうな口振りで書き込まれるとみんなが不快になりますね。本人がいくら「ネタ」だと思っていても、受け止める相手が「ネタ」と思わなきゃ、ただの荒らしでやんすよ。うちのホームページの掲示板は少なくともそうなってほしくはないし、知らない人が書き込んでくれたら、できるだけ丁寧に応対したいと思ってます。ですから最初から攻撃口調やネタで書き込まないでほしいでやんす。初めていく掲示板には、それなりの節度を持っていってほしいでやんす。そうでないと社会で嫌われ者になるでやんす。また、掲示板に書き込むときは、読み直しをしたほうが良いですよ。おかしな変換ミスからけんかになることもありますので。ルールとマナーを守って楽しいネットを!!
本日の金言「初対面の人には、より丁寧にに応対しよう。実生活でもネットでも同じですよ。」「煽りは2ちゃんねるへどうぞ!!」
01/10/14 中学校あたりで、数学が好きな人の理由の一つに「答えが一つに決まるから」というのがある。数学というのは、世の中の事象を出来るだけシンプルなモデルにして検証しているわけであるから、「あるべき理想を追求」しているわけです。でも世の中、数学みたいに100%の正解が得られるかというと、そんなことはまずないです。テレビアニメや特撮もののなかにも「正義vs悪」という図式があるが、視聴者にわかりやすいからそうしてるだけであって、実際の社会ではそんなことはまずない。世の完璧主義者というのは、そういった面で、すでにおかしいのである。完璧な物は世の中に存在しないのに、完璧を求めすぎると、歪みしか生まれてこないでしょう。で私が薦めたいのは「最善主義」です。与えられた条件の中でベストを尽くすのが良いと思います。どの道を選んだとしても、100%の正解でないと同時に100%の誤りでもないのですから、くさらずに(おごらずに)最善を尽くしてほしいです。「こうならなければいけない」と思ったり「どうでもいいや」と投げやりになったりするのは避けたいですね。
本日の金言「完璧を目指すなかれ、最善を尽くせ」
01/10/17 この2つのタイプの人間は、一見正反対だが、どちらも困ります。まず仕事を渡されたら、すぐ他人にスルーする人。責任感がないと言うか。ただこのタイプの人は減点を恐れますから、エラーの前に他人にパスするわけです。野球選手は二日酔いだとエラーしなくなるらしいです。なぜなら「不動の三塁手」になるからです。難しい打球に飛びつかなくなるんですね。記録としてエラーはつきませんが、チームにとってはマイナスです。この反対に、何でも仕事を抱え込んでしまう人。一見良さそうですが想像してみてください、外野の打球までとりに行く内野手を。自分に仕事を向けられると、この手の人は「逃げたら負け」と思うのか、何でも「出来ます」と言っちゃうんですね。それで出来れば良いんですが、結局その人のところで仕事が止まってしまう。チーム全体を見渡して、時にはスルーすることも大切です。適度な責任感と適度なバランス感覚を持ち続けることが大切だと思います。ほとんどの仕事はチームプレイですから。でも仕事を取り込むタイプの人がたまに他人にパスしたとき、その相手がスルー専門だったらめげるよなあ。
本日の金言「すぎたるはなおおよばざるがごとし」「ONE FOR ALL,ALL FOR ONE」
01/10/17 人生には「うそ」も大切だという話。よく「うそをつくな」と言われます。私もそう思います。ただし、自分の保身のためにうそをつくからいけないのです。自分をかばうためにうそをついていると、戻れなくなって、泥沼にはまります。もちろん、うそをつかれたほうも腹が立ちますね。それに対し、本当に他人を思いやってつくうそがありますよね。これは意義があります。他人のためを思いやってつくうそは美しいと思います。これが「方便」というやつですね。醜いうそをつく人は逝ってよし。
本日の金言「嘘も方便」
01/11/29 すべての遊びにはギャンブル性が存在する。ゴルフだって仲間内で、昼食を賭けたりする。部活の勝負でジュース一本賭けたりするのもよく聞く話である。これらの「賭ける」という行為は決して褒められる物ではない。厳密に言えばジュース一本賭けたってギャンブルである。そういう面では、世界中全員がギャンブルの罪をかぶっている。おかあさんが、「子どもに、テストで100点とったら、好きな物を買ってあげる」などという行為もギャンブルである。では、「遊び」そのものに罪があるかというと、遊びは「無罪」なのである。例えば「プロ野球」はギャンブルでしょうか。これは真剣勝負のスポーツである。しかし、この勝敗をギャンブルとしている輩も存在する。「野球」は悪くないのである。「野球でギャンブルする奴」が悪いのである。さて、「麻雀」というゲームがある。このゲームで博打をして、大きな金を動かしている人がいるのは事実である。しかし、「麻雀」というゲームを真剣にやってみてください。トランプや花札とは比較にならない、奥の深さと絶妙のゲームバランスに驚嘆するでしょう。世界でも類のない、パーティー型(4人用)ゲームなのである。「麻雀」はギャンブルの対象からはずれても、それとは無関係におもしろいゲームなのである。雀荘で知らない人と、博打をして金のやりとりをするのは、いかがなものかと思うが、仲間が4人集まって遊ぶぶんにはトランプの100倍おもしろいですね。4人家族の場合「家族麻雀」をおすすめします。一家の団らんには、「すごろく」や「トランプ」はなくても「麻雀」があれば十分なのである。ここまで読んで、なお麻雀のおもしろさを知ろうとしない人は馬鹿です。逝って良し
本日の金言「物を一つの側面で判断する人は馬鹿なり」「アホには麻雀はわからない」
01/12/15 「人生、おもしれーこたー一つもねえ」という声をよく聞く。本当だろうか。ある資格を取ろうと思って勉強する。「とらなければならない」と思ってしまえば苦痛意外の何者でも無いだろう。でも、誰かに褒めてもらうのではなく「自分の誇りのために頑張っている」と思えば随分違うのではないか。世の中当然のことながら、不本意入学や不本意入社がある。でもここからどう思うかで、随分人生が変わる。「ここしかはいれなかった」と思うのではなく「ここで活躍の場が得られた」と思えば全然違う人生が開ける。同じ事をするにせよ、「やらされている」と思うのではなく「やっている」と思いたいものである。
01/12/16 最近、思うこと。けんかをふっかけられるのは嫌だが、忠告してもらえるのはありがたい。ということは、人に意見されたときは、「忠告」と思えばいいんだろう。でも人間、体調や相手との人間関係もあって、100%こうはいかんですね。でもせめて、人に意見されたときは一呼吸おいてから、その人に対して意見を返さないとだめだよね。昨日は職場の先輩から、非常にためになる忠告をしていただいてありがたかった。もちろん自分とその先輩の人間関係が成立しているからこそという側面もある。でも日頃の人の忠告に吠えてばかりいないで、聞く姿勢がすこしアップするよう努力しないといかんです。自戒の念をこめて書きました。


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