project9(ボウリングの屈辱をはらせ)
2002年2月、男は同窓会に出かけた。
幹事から「2次会、ボウリングですけど参加しますか?」と尋ねられた。
男にとって、ボウリングは14年ぶりである。
しかも学生時代のアベは120くらいでハイゲームは160だった。
まあ10人いれば6番目くらいの出来であろう。
男は、躊躇しながらも、OKした。
しかし、事態は男が思っているより過酷であった!
場所は、忘れもしない「ソニックボウル」
男の1回目のスコアは何と59 ハァ??
20名くらい参加している中で、下から3番目である。
もちろん男性では、ダントツビリ。
男は、あせって2G目を真剣に投げた。
しかし、スコアは81。
結局、2Gトータル140、アベレージ70でその日は終わった。
帰って、奥さんにことわけ話した。。
学生時代、少しボウリングをやったことのある奥さんに誘われて、「サンフラワーボウル」へ。
そこで、なんと、自己最高タイの160をマーク。奥さんのおだてもあり男は調子に乗った。
そして男は「ソニックボウル」にリベンジを誓った。
こうなると、単細胞な男は、ボウリングに一直線にハマルのである。
幸い、同僚にボウリングの達人がたくさんいたこともあり、3週間後
男はマイボール・マイシューズを購入。
その後、男は県南のボウリング場を転々とした。
ちなみに、マイボール購入後、行ったことのあるボウリング場は以下の通りである
サンフラワーボウル(倉敷市・先日まで会員)、倉敷SDボウル(倉敷市・2002年9月に閉館)、
両備ボウル(岡山市)、岡山フェアレーン(岡山市)、アミパラボウル(倉敷市)、
水島国際ボウリング会館(倉敷市・現在会員)、ツモクボウル(津山市)
練習のかいあってか男は着々とスコアを伸ばしていった。
男の主な記録は、ボウリング日記2002年版、2003年版にゆずる。
男は、都合10回、200UPを達成したが、常に心残りがあった。それは、
「ソニックボウルへのリベンジ!!」である。
そして、運命の日、2003年3月吉日を迎えた。
男は、懸命に8Gを投げきった。
そして、奇跡がおこった!
男は8Gトータルで1535、アベレージ192をたたき出した。
ちなみに、200UPが4回、ハイゲーム232(自己2位)
ハイシリーズ635(232・202・201)(自己最高)であった。
男は、苦節1年1ヶ月、ついに
ソニックボウルへのリベンジを果たした!
その後の物語です。
男は、すっかりボウリングフリークになり、休日はおろか、平日の夜まで投げ込んでいる。
人は、いつどんな趣味にはまるかわからない。
追記 2005年12月19日のソニックボウルの大会にて,パーフェクトゲームを達成!
ソニックボールでの ハイ−ローは,なんと241ピン(笑)。