project6(生と死を見つめて)
男が体調の変化に気が付いたのは、高校3年生の時である。
男は現役の柔道部員であり。高2の時の1500m走のタイムは5分40秒だった。(中の上くらいか)
ところが高3のとき、タイムは6分30秒に後退する。さらに翌年は7分40秒にもなった。
「足先に力が入らない」
不幸なことに男は部活を引退し、大学受験に専念していたので、あまり気にもとめていなかった。
男は大学に合格し、当然の事ながら柔道部に入った。ところが、全然走れないのである。
男は、つま先立ちができなくなり、部活にもついていけず、柔道部を去った。
男の足は、悪くなる一方で、手すりなしでは階段も上れなくなった。
絶体絶命のピンチ
男は学内の保健管理センターで診察を受けた。医師は顔をゆがめ、精密検査をすすめた。
検査で1週間入院したが、治療法が見つからなかった。医師にさじを投げられた。
社会復帰は絶望とも言われた。男とその家族は藁にもすがる思い出、いろいろな治療法を試した。
おそらくかかった費用は何百万円かであろう。ほとんどの治療は空振りで金をどぶに捨てるようなものだった。
悶々としているなか、近所に、「イトーテルミー」という怪しい治療法(当時はそう思った)をされているおばさん
がいると聞き、駄目もとで治療を受けた。その治療代は1回3000円、しかしたっぷり2時間である。
この「イトーテルミー」というのは、お灸と、ツボ押しをあわせたような治療法である。
週2回おばさんにテルミーを入れてもらい、残りの5日は、男の母親がテルミーを入れた。
この地道な作業が2年続いた頃、
奇跡がおこった
男は何年かぶりにつま先立ちが出来るようになった。男は狂喜乱舞したかったが、足が悪くて跳べなかった。
男は徐々にではあるが、普通の歩行が出来るようになり、自動車教習所にも通えるようになった。
ところが足の悪い男にとって、クラッチは厳しかった。補習券を16枚切った。
運転免許センターでは、あまりの足の悪さを不審がられて、免許をもらえないところだった。
何はともあれ男は大学4年生になった。いよいよ就職である。
健康診断書が必要なので、男は3年ぶりに保健管理センターに行った。
担当医師は、健康診断書に「筋ジストロフィー(軽症)」と書き込んだ。
「え!」と男は思った。
俺って筋ジストロフィー??
医師は、就職にあまり影響ないだろうと言った。
「本当に就職大丈夫なん?」と思いつつ、就職試験は、見事に1次で不合格。
やっぱり「筋ジストロフィー」が原因ではと思い、男は担当医師を訪ねた。
衝撃の事実があかされた!!
医師は「筋ジストロフィー」という病気の概要を教えてくれた。全ての筋肉が脂肪に変わり近い将来死に至るそうな。
私の場合、進行が遅いので、うまくいけば、車いす生活ですむそうな。
それでもって、「就職できるわけないだろう」とまで言われた。あんた2ヶ月前といっとることちゃうやん。
しかも、「こんな大病を患っていて就職できないのは当たり前なのに、私をゆするのかね。」と医師は言い、
さらに何故か檄高して「裁判で訴えるのなら、訴えてみろ」と言った。
「男は絶望した」
将来が絶望になったのである。しかし男は、この3年で足が良くなっている気がしていた。
男は、駄目元で、3年前、検査入院し、さじを投げられた医師を訪ねた。
診察を、終えた医師は、興奮してどもった。
「よ・よ・よ・良くなってる!!」
何故か男の足の機能は随分復活していた。
さらに驚くことに、この医師は、「え、筋ジストロフィー?、誰が?」と言った。
保健管理センターの誤診だった。男の病名は「多発性神経炎」ということになった。
男は診断書をもって、もう一度保健管理センターに行き、担当医師に会った。
担当医師は、苦虫をかみつぶしたような顔で一言「良かったな」と言った。
「男は助かった!!」
その2年後、男をはじめ多くの患者の命を救ってきたテルミーのおばさんが亡くなった。
多くの人を救ったおばさん自身を救える人がいなかったとは何という皮肉だろう。
男は、未だに家で、自分でテルミーを入れている。
そして男はリハビリを続け、何とか就職することができた。
その後の物語です。
男の足は完調にはほど遠いものの順調に回復した。
今の男を知るものは、男が足が悪いことには気が付かないかもしれない。
今日も男は、華麗に?踊っている。