project5(目指せ、中国大会!)


昭和50年代半ば、岡山県の高校柔道界は、古豪K工業、男子校K高校、新興勢力のR大付属、県北のS高校らが強豪として名を連ねていた。
男が進学した高校は、普通の学校で、柔道部はあるものの、1回戦で敵の先鋒に7人抜きされていた。
そんな中、男の同期として岡山県の中学校重量級第3位のSら5名が入部した。目標は「中国大会出場」である。
強化が進む中、成果は意外と早くあらわれた。
その秋の新人戦で、男達の高校は、初戦で強豪B高校を倒し、勢いで、ベスト4に入った。シード校入りである。
男は個人戦でも第3位に入り、未来のポイントゲッターとして期待された。
このままシードを守りきれば中国大会出場である。ところが。
「思わぬ試練の連続」
男達の高校は、次回大会では、O工業のエースを男が止めきれずに、初戦で敗れた。(O工業が第3位に入った。)
次の大会でも勝負所で男が敗れて、B高校に雪辱を果たされ、2回戦で敗れた。
県総体でも、優勝したR大付属に破れ5位に終わった。
「屈辱の試合の数々。」
男達は最高学年になった。前年のメンバーが5人中4人残っていた。
「雪辱のチャンスである。」
「今度こそ中国大会出場しよう」と男達は燃えた。
1回目の中国大会予選、地元開催で5位まで出場できる。
男達は、ベスト8に残り、中国大会をかけて男子校K高校と対戦したが、男の反則(警告)負けが響いて破れた。
残る切符は1枚。男達は敗者復活戦を勝ち残り、5位決定戦に進んだ。相手は、県北のS高校である。
男達は中盤までリードし有利な展開に試合をすすめたが、中盤逆転された。ここで副将の男の出番である。
「ここで勝てば中国大会」
しかし男は引き分けてしまった
「男は1日に2度屈辱を味わった」
中国大会へのチャンスは次回大会が最後である。男達は、2回戦で、同じ普通科のS高校と対戦し、序盤で2対0とリードした。
副将の男が、引き分ければ、勝ちである。組み合わせ的にも勝てば中国大会濃厚である。
「絶体絶命のピンチ(S高校にとって)」
「しかしここで奇跡がおこった(S高校にとって)」
男は大事な場面でまた敗れた。大将戦も敗れ逆転負けを喫した。中国大会出場は夢物語に終わった。
結局、何度かあった中国大会出場のチャンスで、男は一度も貢献できなかった。
その後の物語です。男は、大学に進んで柔道を続けたが、足の末梢神経がやられ、一度も試合に出ることなく退部した。
男のリハビリには時間がかかったが、今は何とか足も動き、若者に柔道を教える立場にある。
手痛い負けを知ることが、男にとって何よりの勉強であったと思えるようになったのは、ずっとあとの話である。