project1(小さく産んで大きく育てろ)
東京オリンピックを間近に控え、高度成長の足音が聞こえだした昭和30年代後半、一つのプロジェクトが計画された。
それは、元気な子どもを産み育てるという当たり前の計画であった。
このプロジェクトの主人公である夫婦は3年前すでに、男の子を誕生させていた。
その男の子は早産ということもあり体重2600gの未熟児寸前であった。
その男の子は後年とても元気に育つのであるが、当時は、やや病弱であった。
夫婦は次の子どもを丈夫に産むために、驚くべき執念で挑んだ。夫は、好きな酒を断ち、まむしを食べて備えた。
しかし運命は過酷であった。次にできた子どもはまたまた標準以下の2800gである。
「絶体絶命のピンチ」
プロジェクトは頓挫したかに見えた。
小さく生まれたことは仕方がない。ここで夫婦は「小さく産んで大きく育てろ」という方向にプロジェクトを変更した。
夫婦のねらいどおり、子どもは10ヶ月で離乳食を卒業し、まるまる太っていった。
子どもは野菜が嫌いであったが母親は、野菜を細かく刻んで食事に混ぜるという作戦で野菜を食べさせた。
また子どもは肉の脂身が大好きで、すき焼きのときは肉の脂身ばかり狙っていた。
その成果もあり幼稚園に入園したときはすでにクラスで一番後ろであった。夫婦のプロジェクトは成功したかに見えた。
しかし、子どもは食事を制限されなかったので際限なく横に急激に成長をしていったのである。
「迫りくる肥満の嵐」
「増え続ける体脂肪」
子どもを相撲取りにするのなら良かった。しかしこのことが成人した子どもに将来ダイエットを強いることになる。
戦いのドラマは今まさに始まったばかりである。
project2(音痴を克服せよ)
高度成長期にわく昭和40年代半ば、人々は平和の歌に酔いしれていた。そんな中、小学校の音楽室では、いつも不協和音が鳴り響いていた。
ドンビリ音痴と呼ばれた男である。この男が歌うとクラスのみんなが振り返る。
「荒れ狂う不協和音の嵐」
「冷たいクラスメイトの視線」
「絶体絶命のピンチ」
男の家族はこの絶体絶命のピンチを脱出するために、一か八かの賭に出た。
「逆転の発想」
「気の遠くなる時間との戦い」
男の家族は男の音痴をタブーにした。恐るべき事に男は自分が音痴だとは思っていなかった。
クラスメイトから罵声を浴びせながらも、男はただ家族の言葉のみを信じていた。
このことは一見音痴解消には関係ないように思えたが、実は大きな意味があった。
歌わなければ、一生音痴は治らないのである。まず下手でも大きい声で歌う楽しさを男は覚えた。
音痴で堂々と歌うこの男を見て、小学校の担任はおどろいた。
男が中学校に入学しても、男の音痴は治らなかった。さすがに高校生になると音痴は治りにくい。
「残された時間はあとわずか」
「再び男をピンチが襲う」
救ったのは意外にも楽器であった。小学校の時から、男は、縦笛を得意としていたが、縦笛を吹きながら歌うことは不可能であった。
そんな中、男はギターに興味を持った。男の家には、古いクラッシックギターがあり、男の父親は、我流でギターを鳴らすことができた。
今思えば、下手くそな父親のギターの演奏が男を変えた。男は毎日のようにギターを練習した。慣れるとギターを弾きながら歌うようになった。
男の声が1音ないし半音ずれれば、すさまじい不協和音として男の耳に返ってくる。楽器の音は正確だから、自然に音程が安定していった。
「そして奇跡がおこった」
中学2年の3学期、ついに男の音楽の成績は「5」になった男の音痴は治ったと言っていいだろう。
その後の物語です。男の音痴は治ったが、調子に乗った男は、カラオケの帝王として不協和音ならぬ騒音の発生源となった。
厳に謹んでほしい物である。