1.大義と道徳
『節義を標する者、必ず節義をもって謗(そし)りを受け、道学を榜(ぼう)する者、常に道学によりてとがめを招く。ゆえに君子、悪事に近づかず、また、善名を立てず、ただ、渾然(こんぜん)たる和気(わき)のみ。わずかにこれ身をおくの珍なり。』(前集一七八)
(訳)大義名分を振りかざす者は、必ず、その大義名分のために非難され、道徳を振りかざす者は、常に、その道徳のために誹謗中傷される。だから、上に立つ者は、悪事に近づかず、良い評判も立たないようにし、ただ、温和で円満な気持ちを持つべきである。それこそが、身の処し方の最上の道である。
正義や道徳は、人が生きていく上での判断基準となるとても大切なものです。しかし、正義や道徳を振りかざし過ぎると、かえって、相手に反抗されたり、あるいは、相手が萎縮して主体性を失くしてしまったりするでしょう。
リーダーたる者は、少しばかりの悪事に対して、声を荒げて道義を振りかざすよりは、にじみ出る人徳により相手を感化できるくらいでないと、周囲から尊敬され、信頼され、協力してもらい、平和に組織を導くことができなくなるでしょう。
2.功績や知識
『功業に誇逞(こてい)し、文章をR燿(げんよう)するは、皆これ外物よりて人となるなり。知らず、心体瑩然(しんたいえいぜん)として、本来を失わざれば、すなわち寸功隻字(すんこうせきじ)なきも、また自ずから堂々正々として、人となるのところあるを。』(前集一八三)
(訳)功績を誇り、知識をひけらかす者は皆、外面の価値に頼って生きているにすぎない。この者たちは、本来備わっている光り輝くまことの心さえ失わなければ、功績や知識がなくても、正々堂々と生きていけることを知らないのだ。
功績を自慢し、知識をひけらかす者は、外面の価値を重要視し、他者の承認に依存して、自己の内面の本質的な価値を見失いやすくなるでしょう。
功績は組織や社会への貢献のためにあげるべきものであり、そのために知識は最大限活用されるべきものでしょう。功績も知識もそれ自体は目的でなく、責任を全うするためのものといえるでしょう。
人として本来あるべき人徳を備えていれば、自ら功績をあげなくても、衆知を集めて人に功績をあげさせることができ、人々が喜んでついてくるようになるでしょう。それこそが、知恵ある真のリーダーの姿なのでしょう。
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