1.悪意ある部下
『およそ姦臣(かんしん)は、みな人主の心に順(したが)いて、もって信幸の勢を取らんと欲する者なり。ここをもって主に善(よみ)する所あらば、臣従いてこれを誉め、主に憎む所あらば、臣よりてこれをそしる。・・・それ人臣の信幸を取るゆえんなり。』
(訳) すべて、邪悪な臣下というものは、みな君主の心に迎合し、それによって君主に信頼され寵愛される状態を獲得しようと願うものである。そこで、君主のお気に入りの者がいると、臣下は追従してそれをほめそやし、君主の憎む者がいると、臣下はここぞとばかり悪口をいうのである。・・・この好悪の感情を合わせるということこそ、臣下として君主に信頼され寵愛される方法なのである。
悪意のある部下は、上司に取り入ろうとして、表向きは上司に迎合して、上司が好きな人物はほめそやし、上司が嫌いな人物は批判することで、自分が上司に深く共感できる信頼のおける人間であると思わせようとします。
人の上に立つ者は、感情を満たしてくれる面従腹背の悪意ある部下の真意を見抜き、耳に逆らう忠言をしてくれる真摯な部下を下につける度量がなければ、自分の身も危うくすることになるでしょう。
2.悪意を見抜ぬく技量
『それ姦臣(かんしん)、信幸の勢に乗じて、毀誉(きよ)をもって群臣を進退するを得るは、人主に術数もってこれを御するものあるにあらず、参験もってこれを審らかにするものあるにあらず、必ずさきの己に合うをもって今の言を信ずればなり。これ幸臣の主を欺きて私を成すを得るゆえんの者なり。』
(訳) そもそも邪悪な臣下が、君主に信頼され寵愛されているのを利用して、君主の前で人を誉めたりそしったりすることで、多くの臣下の地位をあやつることができるというのは、君主の方でそれを制御するための的確な方策を持たず、真相を明らかにするための確実な証拠のつきあわせも行わず、ただ以前の彼の意見が自分と合致していたということで今の言葉を信用してかかるからである。これこそ、寵臣が主君をだまして自分の思いのままにふるまうことのできる理由である。
悪意をもって上司に迎合し他の部下たちも自在に操る部下の本質を、上司が見抜けないのはなぜか。それは、上司が真実を見極める技量を持ち合わせず、感情を優先する心の弱さにつけいられるからです。
人の上に立つ者は、安易に部下の言葉を鵜呑みにせず、他の意見や自ら入手した情報で裏付けをとるなどして、感情に流されずに客観的に正否を判断する技量を持つことが、背信的な勢力から組織を守り、組織の中で真実の信頼関係を築くことにつながるのでしょう。
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