business forum kobe 21
トップページ >経営  >【韓非子に学ぶ組織運営術 その六】

【韓非子に学ぶ組織運営術 その六】

1.修養の士・智謀の士

『修士は、清潔をもって身を固め、智士は、治弁をもって業を進む。その修智士は、貨賂(かろ)をもって人につかうることあたわず、その清弁をたのみて、法をまぐるをもって治をなすことあたわず。・・・治弁の功は、近習(きんじゆ)に制せられ、清潔の行は、毀誉(きよ)に決せらるれば、修智の吏は廃されて、人主の明は塞がる。』

 

(訳) 修養を積んだ者は、清廉潔白によって身を固め、智謀の優れた者は、正しい筋道を通して仕事を進めるものである。そうした修養の士・智謀の士は、賄賂を使って人に取り入ることはできず、その清廉潔白と正しい筋道を頼りにしても、を曲げて物事を治めることはできない。・・・正しい筋道による成果は、君主の側近に制せられ、清廉潔白な行為も告げ口次第となれば、修養の士・智謀の士は追放されて、君主の判断をくもらせてしまう。

 

 人格のある者は、清廉潔白で嘘がなく、知恵のある者は、道理にしたがって物事を進めます。そのような人格者・知恵者は、正しいことを曲げてまで、上の者に取り入り手柄を得ようとはしません。 

 ところが、多くの経営者は、自分に厳しい意見を進言する部下より、機嫌をとって自尊心を満たしたくれる部下を側近につけようとしてしまいます。

 経営者は、組織を強くし発展させるためには、有能な人材が組織で活躍できるよう、人を見抜く目と、耳に痛い進言も受け止められる寛容さを兼ね備える必要があるのでしょう。

 

2.臣下の大罪・君主の過失

『人臣に大罪あり、人主に大失あり。臣主の利は、互いともに異なるものなり。主の利は、有能にして官に任ずるにあるも、臣の利は、功なくして富貴なるにあり。主の利は、豪傑の能を使うにあるも、臣の利は、朋党して私を用うるにあり。・・・臣に大罪あるに、主は禁ぜず。それ大失なり。主をして上に大失あり、臣をして下に大罪あらしめば、国の亡びざらんことをもとむるも、得べからざるなり。』

 

(訳) 臣下は、大きなを犯しやすく、君主は、大きな過ちに陥りやすいものである。臣下と君主の利益は、互いに矛盾するものである。君主の利益は、有能な人材を官職につけることにあるが、臣下の利益は、功労がなくしても富貴となることにある。君主の利益は、傑出した人材に能力を発揮させることにあるが、臣下の利益は、徒党を組んで私利私欲を満たすことにある。・・・臣下にこのような大罪があるのに、君主が禁止できないのは、君主の大きな過失である。君主が上で大きな過失を犯し、臣下が下で大きな罪を犯しているようであれば、国が亡びないようにと求めようが、かなわないことである。

 

 組織の中に、既得権益を守るために、自己の功績を過大に見せるように画策し、誠実に貢献する者の足を引っ張るような者がいれば、組織の活力が削がれて、有能な人材が育ちにくくなるでしょう。

 経営者が、表向きの成果を取り繕って手柄を求める輩に惑わされて、地道にコツコツと誠実に働く人々が各々の長所を活かせる適材適所の役割をもって組織に貢献していけるよう人を使うことができなければ、有能な人材の活躍の場を失い、組織は衰退の一途をたどることになのでしょう。

経営のトップページへ
トップページへ
copyright (c) 2006 business forum kobe21 all rights reserved.