1.賞罰
『明君は賞をかりそめにする無く、罰を赦(ゆる)す無し。賞かりそめならば、すなわち功臣もその業をおこたり、罰を赦さば、すなわち姦臣非をなし易し。この故に誠に功有れば、すなわち疎賤(そせん)といえども必ず賞し、誠に過有れば、すなわち近愛といえども必ず誅す。疎賤も必ず賞し、近愛も必ず誅すれば、すなわち疎賤の者は怠らず、しかして近愛の者も驕らざるなり。』
(訳)賢明な君主はいい加減に賞を与えるようなことがなく、罰をくだしたからにはそれを許すようなことがない。賞がいいかげんであれば、功臣も仕事を怠るようになり、罰を許せば、姦臣は簡単に悪事をはたらくようになる。だから、もし功績があるなら、疎遠な者身分の低い者でも必ず賞を与え、もし過失があるなら、近親の者寵愛する者でも必ず罰する。そうすれば、疎遠な者身分の低い者も仕事を怠ることがなく、近親の者寵愛する者も驕りたかぶることがなくなるのである。
経営者が部下にいい加減な報酬を与えれば、まともな部下でさえ怠惰になり、経営者が部下の不正に目をつむれば、悪意のある部下は簡単に不正を働くようになります。だから経営者は賞罰を与えるときは、どんな身分の部下であっても公正に執行する必要があります。そうすれば、組織に規律が生まれ、身分が低い部下でも一生懸命に働くことができ、身分が高い部下でも驕ることなく働くことができます。
2.登用と評価
『明主は、法をして人を択(えら)ばしめて、自らは挙げざるなり。法をして功を量(はか)らしめて、自らは度(はか)らざるなり。能者蔽(おお)うべからず。敗者飾るべからず、誉めらるる者も進むることあたわず、誹(そし)らるる者も退くることあたわず。すなわち君臣の間は、明弁にして治まり易し。故に主、法を用うれば、すなわち可なり。』
(訳)賢明な君主は法の規準のままに人を選んで、自分の考えで人を登用したりはせず、法の規準のままに人の功績を評価して、自分の考えで功績を評価したりはしない。そこで有能な人物をおおい隠すことはできず、落ち度のある人物を飾りたてることもできず、評判のよい者も評判だけで推挙することはできず、悪口を言われる者も悪口だけで退けることはできない。そうだとすると、君臣の関係が明確になり、何事もうまく治まりやすい。だから、君主は法に照らして処理するのがよいのである。
経営者が主観を排して明確な基準に基づいて部下を登用したり、評価したりすれば、有能な人材が埋もれてしまうこともなくなり、能力のない者を持ち上げることもなくなり、風評だけで評価したりしなくなります。そうすれば、経営者と部下との信頼関係が確固たるものになり、組織が治まりやすくなります。
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