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近年、「防衛費増額」が声高に議論される一方で、私たちの足元では国民の生命を直接脅かす自然災害が頻発しています。この僅か一月の間にも、震度7の激震に見舞われた熊本地震(7月28日)、甚大な浸水をもたらした千葉豪雨(8月13日)、そして記録的大雨となった石川・富山豪雨(8月26日)が相次いで発生しました。度重なる大規模災害の激甚化・頻発化には目を見張るものがあります。地球温暖化に伴う異常気象や巨大地震の脅威が高まる中、災害のリスクはもはや「万が一」ではなく、今そこにある現実だといえるでしょう。
しかし、国家の備えに目を向けると大きな不均衡を感じざるを得ません。政府は防衛関係費に年間約9兆円もの巨額予算を投入する一方、災害対策の司令塔である内閣府防災担当の予算は約200億円にとどまっています。広義のインフラ投資を含めても格差は数兆円もあります。その結果、避難所では未だに「体育館での雑魚寝」が強いられ、プライバシーも衛生面も欠く過酷な環境が放置されています。一方、例えばイタリアでは、被災直後から家族ごとの大型テント(ベッド・冷暖房付き)、キッチンカー、トレーラー式トイレ・シャワールームが速やかに展開されます。日本の現状は、国際的な支援水準と比較しても不十分と言わざるを得ません。
戦後81年間を振り返ってみても、他国との戦争による国民の犠牲がゼロであった一方、自然災害では伊勢湾台風(死者・行方不明者約5,000人)、阪神・淡路大震災(同約6,400人)、東日本大震災(同約2万2,000人)など、累計で6万人以上の尊い生命が奪われてきました。国民にとって真に差し迫った脅威とは何なのか、歴史の事実が私たちに問いかけています。
国家の根幹たる責務が「国民の生命と平和な暮らしを守り抜くこと」にあるならば、軍事上の安全保障以上に「災害に対する安全保障」へ予算とリソースを振り向けるべきではないでしょうか。
想定上の危機より、目の前にある現実の危機を優先し、「防災にこそ安全保障を」という観点に立ち、国民に等しく安全安心を保障できるよう、バランスよく資源を振り向けることが日本には求められているのかもしれません。
2026.09.01
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