福島第一原子力発電所の事故による危機的状況は未だ収束の見通しが立たないようです。放射能もれにより周辺地域の生活環境に重大な影響を与えています。半径20q圏内が立入禁止区域とされ避難生活を余儀なくされ、農家では農産物の出荷停止が行われたり家畜の殺処分が決定されたり、海には放射能汚染水が放出され、また、電力不足はこれから夏場にかけますます深刻化すると予想されています。 1979年に米国のスリーマイル島原子力発電所で放射能もれ事故が起こりましたが、その12日前に事故を予見するように原発事故を描いた「チャイナ・シンドローム」という映画が公開されました。映画の中では、地震により冷却水の水位計が故障して炉心溶融の危険に晒されながら、原子炉の緊急停止により大惨事を免れるのですが、公開直後に現実の世界で大惨事が起こってしまいました。この映画の中で主人公の技師は「人間のすることに危険はつきものだ」という印象的な台詞を言っています。
危険なことが分かっていて、二重にも三重にも安全装置が設けられているにも拘わらず、1979年にスリーマイル島、1986年にチェルノブイリ、今回は福島で、人類は大惨事を起こしているのです。
そもそも危険の原因を全て想定できるのか、想定範囲をどこまでとらえるのか、そのためにどのような防止策を設けるのか、危険が現実化したときにどのように対応するのか、危機管理のあり方により危険の起こり方は変わるのでしょう。しかし、危険の予見可能性、便益に対する安全対策コスト、人間の欲望等々を考えれば、どこまで行っても「人間のすることに危険はつきもの」であるのかも知れません。
福島の原発事故が国民に、便利さの重い代償を背負う覚悟とその負担のあり方を問うているのでしょうか。