Palermo−タイトル
 


ホテルの部屋より
ホテルの部屋より
今回の旅の目的は、「南イタリアリゾートの旅」。南に行くなら、やっぱりシチリアまで行かないとね。と、長靴の形をしたイタリアのちょうどつま先、ボールを蹴ったような形で浮かぶ島、“Sicilia シチリア島”へ。時間だけはいっぱいあるので安くすまそうと、日本で15日間イタリア国鉄乗り放題の“イタリアツーリストチケット”(17,500円、95年)を入手。ゲーテが「世界一美しいイスラムの都市」と讃えたという、“Palermo パレルモ”へ向けて列車の旅の始まり、はじまり〜。
ローマからだとかなりの距離になるので、前日にナポリ入りして、そこから夜行列車でパレルモに向かう、というのが日本で決めた私たちの計画。が、ナポリで宿泊したホテルで、「女の子だけでナポリから、夜行列車だなんてとんでもない!!命が幾つあっても足りない!」なんて脅されて、計画を変えないとここから出さないとまで言われ、さすがに不安を感じ、急きょ予定変更。南へ行く列車がそんなに危険なのなら、どこから乗っても危ないことに違いはないのでは・・・・という、一抹の不安も残しつつ、長靴のかかとの辺りにあるバーリへ行くことに(ここから、アルベロベッロへ行けます)。

21:07、バーリ出発の夜行列車へ乗車。ここで、ヨーロッパの列車の説明を。私も詳しくは知らないので、私の乗った列車の範囲でしかないですけど。座席は、1等とか2等があって、どうやらお金をいっぱい払うと横になって眠れる席があるらしい。私たちの持っているツーリストパスは、2等が乗り放題でした。追加料金を払うと1等にも乗れるそうですが、そんなお金を払ったら、お得なパスを買った意味がないじゃないかぁ。と貧乏な私たちは、2等にしか乗りませんでした。
車両の片端は廊下、6人掛けの個室・コンパートメントがポコポコと並んでいます。座席の足下が伸ばせるようになっていて、運良く、定員6人の部屋に3人しか乗客がいなければ、足を伸ばして眠りにつくことが出来ます。
さらに、ラッキーなことに2人しか乗っていなければ、ひとり3人分のスペースををぶんどって、横になってぐっすり眠ることが出来たりします。ただ、最悪なことに混んでいて6人びっちり乗っていると・・・、座ったまんま、うつらうつら・・・ということに。くどいようですが、お金を払えばちゃんと横になって眠ることが出来ます。日本も一緒ですよね。
生まれて初めてのヨーロッパ列車の旅にドキドキしながら(強盗が乗ってきたらどうしよう・・・の思いもありつつ)、思っていたよりはるかに快適に、シチリア島の端っこ“Messina メッシーナ”についたのは、明朝7時を回った頃。途中で、フェリーに乗り換えたりしたのですが、疲れていたのか、眠たかったのか、記憶がはっきりしていません。ここから、目的地パレルモまでは、約3時間。やっと着いたぁと思いきや・・・、乗るべき列車が来ない。時刻表には8:00とあるのに、いつまで待っても来ない。初めてのイタリア旅行で、掲示板の見方も分からない私たち。ようやく理解したのは、横に書いてある数字は、到着までの時間じゃなくて、遅れている時間だ、ってこと。あらかじめ掲示板に、遅れた時間の欄がとってあるとは。私たちの乗りたい列車の横には、「1.5h」。もう、ここまで来たら、無事にパレルモに着けさえすれば、他に文句はないです。でも、いつになったら列車は来るの?ミラノから1時間半遅れでやって来た、パレルモ行きの列車。遅れてるんだから急げばいいのに、メッシーナの駅で30分間休憩(?)して、10:00にやっと、私たちはパレルモへ向け出発する事が出来ました。
パレルモまで、約3時間。思っていたより、車内は混雑していていました。空いている座席が見あたらなかったので、たった3時間だし、連結部分に荷物を置いてその上に座っていました。夜行列車は寝たのだか寝てないのだか・・・だったので、とりあえず、座って眠りたかった。が、イタリア人はみんな親切?通りすがりの人が口々に、「日本人か?席がないのか。待ってろ。探してきてやる。」とかなんか言って(イタリア語は理解できなかったけど、たぶんこう言ってると思う。)、本当に空いている席を探してきてくれました。しかも、「日本人がもう一人いたぞぉ」と、連れて行かれたコンパートメントには、日本人の先客が。聞くと、彼も「ここに座れ」と、見知らぬ人に強引に連れてこられたとか。日本人が乗っているというのは、車掌さんのところまで伝わったらしく、電車が出発すると車掌さんもやって来ました。英語がさっぱり通じず、何を言っているか私たちはさっぱり分かっていないのに、彼らはとってもマイペースにイタリア語。辞書を引くのも馬鹿らしくなってきて、ただ、うんうん頷いてました。私たちは、疲れているので眠りたかったんだけどな。3時間の貴重な睡眠時間だったのに。 クワットロ・カンティ
Quattro Canti クワットロ・カンティ
バロックの四つ辻
気が付くと、車掌さんは私たちの隣に座っているシニョーラと、話し込んでいます。電車が動いている間は、車掌さんの仕事ってないんだっけ??と、思っていると、駅に到着。車掌さんは、笑顔で、新しいお客さんの切符を切るため、お仕事に出かけました。ほっ。これで眠れる。・・・と思ったのも束の間。しばらくすると、またもや、彼は私たちのコンパートメントへ戻ってきて、お話の続き。だから、何を言ってるのか、分からないって。私たちが持っていた“旅の会話集−ヨーロッパ編−”。「若い頃に英語を習ったことがある」と、さっきから長い間ページをめくっていたシニョーラが、ゆっくりと、「アイ アム 60 イヤーズ オールド」。「英語なんか何十年も使っていないから・・・。」としきりに照れていました。その後、少し思い出してきたらしい片言の英語でお話しして・・・。何だか、すごくうれしくなっちゃいました。見も知らずの人のはずなのに、たまたま隣の席に乗り合わせただけの人なのに、まるで10年来の知り合いみたいに、楽しそうに語り合ってるシニョーラ達が、うらやましくて。あぁ、イタリア語が話せたら、ものすごぉく楽しい旅になっただろうな、って悔しい思いをしました。イタリア語がさっぱり分からなくて、相手も英語がまったく分からないのに、こんなに楽しかったんですもの。そして、私は、日本に戻ったらイタリア語を勉強するぞぉ、と決意したのでした。おしゃべりにも疲れて、うとうとしかけた頃、パレルモ到着。結局、ほぼ3時間中、車掌さんは、私たちのところにいたような・・・。ホントに仕事はないものなのだろうか・・・。
プレトーリア広場
Piazza Pretoria
プレトーリア広場
列車での経験から、ほぼ英語は通じないだろうという結論に達し、ホテルに電話をするのを諦め、直接行ってフロントで交渉することに。しかし、ついていることに、ホテルのシニョールは英語を話してくれました。石造りの古そうな建物。何重もの鍵がある重そうな扉(それだけ、物騒ってことか!?)を開けると、そこは中庭。シーツやら洗濯物がはためいていて、これぞイタリアの光景。ものすごく安かったので(ツインルームが3,000円くらいだった)期待していなかたのだけど、これはついてる!?
いざ、市内観光へ!!と、リュックサックにガイドブックとカメラ、お金は落とさないようにしっかりと持って。フロントに鍵を預けようとすると、「ちょっと待て!!」とシニョール。「治安がよくないので、スリにあうかもしれない。鞄は置いて、手ぶらで行くように。鞄を置いて来ないと、ここから出さない!!」と。なんだか、ナポリのホテルでも似たようなことを言われた気がするけど・・・。幸いなことに、前の目的地で両替は済ましており、パスポートを持ち歩く必要がなかったので、必要最低限のお金をポケットに入れて、財布も、もちろんカードも置いていくことに。ちょっぴり、ビクビクのお散歩となりました。
すごぉい!!この町はナポリと違って、信号が赤になると車がみんな止まる!!などと、訳わかんないことにも感動しながら、無事、危険な目にも遭わずにお散歩することが出来ました。実は、怖くってあんまりフラフラしなかったのですが。
イスラム文化とヨーロッパ文化が交差した町パレルモ。街角に残る門柱に彫られた人物も、心なしかアラブ系。不思議な教会は、ファサードはバロック様式。どこにでもある普通のデザイン。が、屋根に並ぶのは、真っ赤なたこ焼き・・・じゃなくって、3つのドーム。アラブ風なのだろうか?こんなのは初めて見たので、ただただ、驚き。16世紀に造られた噴水の残る“Piazza Pretoria プレトーリア広場”。アラブ風の彫刻が施された“Porta Nuoba ヌオーヴァ門”。“Cattedrale カテドラーレ”は、シチリア・ノルマン様式の大きな教会。建築は12世紀後半。
翌日は、パレルモ駅前からバスで約30分。パレルモ市街の南西8キロ。“Monreale モンレアーレ”へ向かいました。ノルマン・アラブ様式の、黄金のモザイクで有名なドゥオモがあります。ドゥオモの天井は、眩いばかりの黄金色。金閣寺にも負けてないんじゃないだろうか。
サン・カタルド教会
San Cataldo
サン・カタルド教会
モンレアーレの修道院
Chiostro
モンレアーレの修道院回廊
何を思って、金を貼ろうと思ったんだろうか・・・。いくらお金持ちだったからって・・・。なんて、あまりの豪華さに腰が引けちゃいました。私が気に入ったのは、絢爛豪華な黄金のドゥオモより、お隣の修道院回廊Chiostro。柱のモザイクがまた素朴でいいなんです。きれいだなぁ、としばらく見入ってしまいました。ここでのいちばんのお気に入りは、この回廊。あれ!?金のモザイクで有名な町じゃなかったっけ!?
そして、バスでまたトコトコと山道を下り、パレルモの町へ。お次の目的地は、アグリジェント。ギリシア遺跡が残る町です。列車が来るまでの間に、友人が銀行に両替へ。パスポートとT/Cを握りしめて走って行きました。私は、ホームに腰掛けて荷物番。が、列車の時間が迫って来るにも係わらず、友人は一向に戻って来ない。次の列車って、何時間後?とドキドキし始めた頃、友人到着。友人曰く、「だってアメックスのT/Cを、珍しいものを見たみたいに、後ろの注意書きまで全部読んでるんだもん」。1万円札なんて渡していたら、今日中に戻って来られなかったかもね。

1995.07


 

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