Love Mac

接触篇
Apple Macintoshの誕生は1984年である。その後512k(Fat Mac)〜Macintosh Plusへと進化するのであるが、記憶によると85-6年にはMIDIシーケンスソフトのPerformerが発売になり、日本でも楽器屋などで取り扱われるようになった。ちなみに日本のミュージシャンで「マックはいい!」と騒ぎだしたのは、カシオペアの向谷実が最初だったと思う(もっぱらゲーム通信に使っていたらしいが)。そのころのマックは、本体だけで98万円とかムチャクチャ高価で、とても手の出せる値段ではなかった。当時の僕は学生(薬学部)で、「マックというコンピュータがあるらしい。すごくいいらしい」という事しか知らなかった。もちろん実物なんて見たこともなかった。ちなみにまだ消費税は存在しなかったので、98万円のものは98万円払えば手には入ったのだが。
実際にMacに触れるのは、大学院に進学してからのことである。1990年夏の日本薬学会(札幌)で発表するためのスライド作成をすることになったのだが、化学構造式を描くよいソフト&プリンタがあるということで、初めてMacintoshを使った。担当だった助手の安藤先生がアメリカ留学から帰国するときに、MacPlusをちゃっかり持って帰ってきていたので、それを使わせていただいたのだが、その操作のあまりの簡単さに驚く。当時のシステム(OS)は6.0.3Eで、Plusでもさくさく動いていたし、化学構造式描画ソフト(ChemDraw(TM))はマウスで直接斜めに線を引いたり、投げなわツールで不定形にオブジェクトを選択することができた。これは当時としては衝撃的なことであった。
プリンタは画期的製品と言われたHP DeskWriterであった。当時レーザープリンタの選択肢は事実上NTX-Jのみしかなく、Microline 801PSが出るかどうかというあたり。しかも値段は100万円前後で、個人ではとても購入できるものではなかった。DeskWriterはモノクロ300dpiのインクジェットプリンタで、MacPlusでもかなり高速な印刷だったことを覚えている。印刷品位もスライド原稿として使うには十分であった。
けっきょく、修士論文にも安藤先生のMacPlusをお借りして構造式だのタイトルだのを作らせていただいた。日本語部分には目の付け所がシャープなワープロ「書院」を使った(当時のMacは日本語処理が非常に弱かったので)。
ChemDraw(TM)は衝撃的なソフトであったが、ほかにもMacにはおもしろいゲームがたくさんあった。SimCityのオリジナル版もそう。有機合成の実験というのは待ち時間を持て余すことがよくあるのだが、そんなときにSimCityで暇つぶしをしていたことを思い出す。
胎動篇
大学院を出て、地元に就職した僕は、これ幸いとばかりにDTMに精を出すようになった。
この頃の僕はQX-3というヤマハのシーケンサとFOSTEXのオープン8trMTRを使って多重録音などをしていたのだが、FSK信号での同期がどうしてもうまくいかず、悩んでいた。FSK信号の実態は単なるMIDIテンポ・コントロール信号であり、「せーの」で始まったらあとはテンポを一致させてくれるだけである。小節位置の記録もないし、そもそも絶対時間の管理がなされていないのである。そのため、信号がドロップアウトすると、ズレたまま進行させてしまう。これでは音楽にならない。困った。
同期信号にはもうひとつ業務用で使われるSMPTEというものがあり、こちらは絶対時間管理がなされている。そのため、曲の途中から同期しても大丈夫だし、まったく別のモノ(VTRとか)を同期させることも可能である。そんなわけで、僕はSMPTEを使いたかった。でも、SMPTE機器は基本的に業務用で、とっても高価なのである。シンクロナイザーだけで50万円とかするのよ。
そこで、当時よく行っていた楽器屋さんに相談したら、「そんなの、MacintoshとMTPを使えばカンタンですよ。しかも、安上がりで使いやすい。
いまどきSMPTEシンクロナイザーを単体で使うなんてダサイっすよ」とまで言われてしまった。さらに「いまなら憧れのSE/30が40万円でっせ。もう製造中止だし、いかがっすか?」という悪魔の囁きまで加わった。
僕はMacPlusの処理速度の遅さをよく知っていたし、日本語も使いたかったので
「Macを買うならSE/30以上、できればIIci」と思っていたのだ。特にSE/30はコンパクトな筐体が可愛くて、いつかは欲しいものリストのナンバー1であった。そのSE/30が製造中止だなんて・・・。
けっきょく、その場でSE/30購入を決意し、僕は晴れてマックユーザーとなったのである。1991年12月のことであった。
発動篇
さて、ひょんなことからマックユーザーになってしまった僕だが、実はDTMにはその後もQX-3を使っていた。マックを音楽にも使うようになるのはなんと93年3月からである。その間はグラフィックにハマってしまい、SE/30に外付け13inchモニタ、拡張ハードディスク、カラープリンタ(出たばかりのDeckWriterC)などを買いあさっていた。そして絵に描いたようなマック貧乏に陥る。本来の目的であったDTMはもうどうでもよくなっていた。というか、実はそれまでのマックのシーケンスソフトはステップ入力が弱く、イマイチ使いにくかったのだ。そもそもステップ入力自体がMC-8/4から続く日本特有の文化であったので、アメリカ製のソフトに反映されにくいのも当然である。しかし、日本のユーザーの要望にこたえて、Performer Ver4.0からかなり実用的なステップ入力ができるようになった。これを機に、僕はMacでDTMをするようになる。
実際にPerformerを使い始めてみると、想像以上に
めちゃくちゃ使いやすい。今まで苦労していたことは一体なんだったのか、というほど使いやすいのだ。MTPの処理速度も速いし、SMPTE同期もばっちり。こんなことなら、もっと早くからマックでDTMするべきだった、と後悔する。
SE/30-MTPのセットは、QX-3と比較すると処理が遥かに高速で(←そもそもCPUのレベルが違うってば)、その結果として
音楽のノリまで変わってしまった。それまで「なんかノリが悪いな」と思うことが多かったのだが、処理系の遅さによるMIDI信号の遅延のために、本来同時に鳴らなければいけない音がズレていたのが原因だったのである。
その後もPerformerはバージョンアップを続けているが、僕は現在でもVer 4.2を愛用している。Powerアプリケーションでもないのだが、機能的に充分であるし、動作も非常に安定しているため、バージョンアップする必要がないのだ。
そして伝説へ…
その後、僕は93年からパソコン通信を始めた。それ以降は、ハードウエアや周辺機器などいろいろ遍歴を重ねてはいるのだが、基本的な使い方は現在までほとんど変わっていない。というか、仕事にMacを使わなくなってしまったので、使い方そのものが非常にシンプルになっている。いまMacでやってるのはネット関係(パソ通&インターネット)と、MIDI関係、たまにグラフィックと雑用(年賀状作成とか)という具合である。
Apple社およびMacintoshをとりまく状況は相変わらず厳しいが、多くの人に愛される製品であることに変わりはない。僕はコンピュータが好きなのではなくて、マックが好きなのだ。だからこれからもマックユーザーであり続けることに変わりはない。愛しちゃったんだから、仕方ないでしょ。
 
<オマケ:ブンのマック歴>

1991

SE/30:初めて自分で購入したマック。会社のMacSEの速度に慣れていたので、衝撃的に速く感じられた。体感で4倍くらい。数値演算関係はもっと速かったと思う。その後、知人に売った。

1993

PowerBook180:TFT液晶が稀少で市場にはほとんど出回らなかった機種。在庫処分の時に見つけたら安かったので衝動買いした。これも売った。あまり使われなかった(反省)。

同年

Quadra610:漢字Talk7はSE/30ではかなり遅く、ATOK7でさらに遅くなったため購入。あまり大きな声では言えない秘密のバイトをして得たお金を充てた。やはりSE/30の4倍くらい速く感じた。7600/120を買うまでメイン機として活躍し、現在でも所有。

1995

PowerBook550c:これも在庫処分品で安かった(30万円弱)。寮暮らしで狭かったので買ったが、転勤とともに売った。カラーTFT液晶が非常に明るくて美しく、本体デザインも良かった。トラックパッドもそこそこ使えたし、今でも人気の高いマシン。

1996

PowerBook5300c:転勤先のOA環境があまりにもタコだったので550cを買い戻そうとするができず、身銭を切ってこちらを購入した。自分で購入したマックではこれが最も高価である(40万円超)。初めてのPPCなのに、こんなカタチで買いたくなかった。マシン自体もいろいろ不具合のある大トホホ機。97年4月にシステム部に転属になると同時に「イヤな思い出よ、さようなら!」とばかりに売り飛ばされた。

同年

PowerMac7600/120:よく覚えていないのだが、Painterなどを使ってフルカラーグラフィックがやりたくなってPCIマックが必要になったので購入(PCIのグラフィックボードは安価なのよ)。Quadraとは段違いの速度に感激する。しかし翌年、7600/200購入と同時に売り飛ばされる。

1997

PowerMac7600/200:4/17に購入。2年半にわたりメイン機として活躍。やはりPCIバスにグラフィックアクセラレータを載せてるので画面表示まわりは速かった。7600/120でもほとんど不満はなかったのだが、同じアーキテクチャで2倍近く速いのが魅力だった。2000年1月、iBookへの移行とともに売り飛ばす。

1999

11月、iBook購入。ほぼ3年ぶりのノート型マックだが、完成度の高いマシンで気に入ってる。

 
<参考文献>
あげたらキリがないことが判明したので、省略です(笑)。
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