シンプル・イズ・ベスト

Ryuichi Sakamoto/Trio/World Tour
  ピアノ・バイオリン・チェロのトリオによるベストアルバム「1996」のワールドツアー来日公演(凱旋公演?)。D&Lから180度転換し、音楽だけを深く見つめ演奏に集中する形態は、結果として大成功であった。

 教授の弦の曲はいつも胸が痛く、切なくなるが、このコンサートはそういう曲が目白押し。教授のライヴでもこの種の深い感動を覚える日がとうとう来たか、という感じ。こある程度の覚悟をして聴きにいったものの、あの音の波に身を任せるのはものすごく疲れた。でも次の日にはまた聴きたくなってしまう。ドラッグのような魅力(魔力?)があった。

 結局、シンプル・イズ・ベストなのである。
 無類の恥ずかしがり屋でもある彼は、これまではセンチメンタルなメロディやアレンジを全面に押し出すことを極端に避けてきた。いわく「そうゆうのって、格好悪いと思う」。だからどんなに美しいメロディを書いても、複雑なサウンドでそれを目立たないようにしたし、「絶対に終止形ではおわらない」と評されたように、予定調和なアレンジもとことん避けていたのである。
 ところが、アメリカに渡りいろいろな人とつき合ううちに、考え方が変わったらしい。ベルナルド・ベルトルッチの映画、というかベルトルッチ本人からの影響が大きいと思うが、"Little Buddha"以降、抑えきれない感情を音楽で表現することが多くなったのである。

 そんな状況下でとりかかったのがこのトリオ・ツアーである。
 クラシカルなトリオ(ピアノ、バイオリン、チェロ)のため、曲のもつ魅力をストレートに表現するアレンジが多くなるのは当然である。美しいメロディはより美しく、悲しい曲はより悲しく。そう、「演奏内容がわかりやすい」というのは、ライヴにおいては重要なファクターなのである。
 ツアーはこのトリオで録音したアルバム「1996」の発表にあわせて行われたのであるが、アルバムそのものは堅い演奏が多く、あまり楽しめる内容とは言いがたい。しかし、ライヴを重ねることによって円熟味を増し、最終公演地となった日本ではとても充実した演奏を聴かせてくれた。

 演奏プログラム、聴衆、雑感と、3部に分けてこのライヴの感想を書きたいと思う。

その1・演奏プログラム

美貌の青空
青空と言うより深海のような照明がとても美しい。非常に抑えた、静かな演奏で始まる。あえてメロディを強調しない前半部はアルバムとは印象が大きく異なる。終盤、弦楽器のアルペジオの中からメロディが浮き上がってくるところはゾクっとする。
Rain
ほぼアルバム同様の演奏。
Merry Christmas Mr.Lawrence
これもアルバムよりかなり音数が少ない。MCでは、スエーデンで演奏したときに、後半のリズム・バンプで若い聴衆がみんなヘッド・バンギングしていたというエピソードに笑いが起こる。
シェルタリング・スカイ
切ないメロディと独特のエンハーモニックな内声部が魅力であるが、これをトリオ編成にアレンジするのも容易ではない。チェロとバイオリンで交互に内声を分担しつつ進行してきて、最後にユニゾンでメロディを奏でるのは圧倒的な迫力である。
青猫のトルソ
ピアノソロで始まり、アルバム以上に静謐な雰囲気に。この辺でちょっと一息、という小品のはずが、緊張感がすごい。
Tango
教授が唄う。大宮の時は思いきり音痴でけっこう「下げ」だったので、オーチャードでは気を付けて唄っていた(笑)。サビでチェロのピチカートでベースラインを作るアレンジは、それまでボウイング奏法がメインだったのでドキッとする。テンポが揺れまくりなので、さぞ合わせにくいことだろう。
チェロ・ソロ〜即興〜ハイヒール
ジャックのソロは圧巻。ぐいぐい引き込まれてしまう。教授とエバートンが加わっての即興は、ピアノの弦を引っかいたり叩いたりと、やりたい放題。無茶苦茶なようできちんと音楽になっているのはさすが。そのまま続けて「ハイヒール」へ。これも切ない曲。
Little Buddha
音数の大変少ない導入部では、MIDIピアノをフルに活かしシンセサイザーの和音がしっかりとバイオリンをサポートして、非常にゆっくりと始まる。遅いほど後半の展開が効果的なので、意識してやっていると思われる。光のカーテンのような照明が見事。しかし何と言っても、テーマが泣かせる。この曲をして、今回のライヴのベストという人も多いだろう。
Sweet Revenge
やはりエバートンのバイオリンの泣きがすごい。後半のピアノはほとんど即興と思われる。
嵐が丘
ここまでの3曲シリーズの終楽章とも言える曲。最初のメロディは、なんとシンセサイザーのフルートで演奏され、弦楽器中心のアレンジの中でひときわ効果的に響く。曲の場面転換がアルバム以上に明確になっている。教授のピアノも意識的に過剰にロマンティックなものになり、感情的な盛り上がりを作り上げる。この3曲を聴き終えるとものすごく疲れるが、たまらない快感。
安里屋ユンタ
教授がボーカルを取る。笑いながら楽しそうに唄っている。重い雰囲気の中にこういう明るい曲があるとホッとする。聴衆もよく知っていて、とても盛り上がってくる。
M.A.Y. in the Backyard
最近のライヴではお馴染みの曲。照明もマニュアルで完璧に同期させていて、今回は一切の同期を使っていないからこれも立派な「演奏」と言える(^_^)。
1919
アルバムよりもテンポが速い。しかし、音量は思いきり抑えて始まる。後半になるに従ってどんどん盛り上がり、起伏が大きくうねる。ローアングルからの照明の効果もあってすごく怖い。ちゃんと演説も流れる。
<アンコール>
Flower is not a flower
台湾の二胡奏者ケニー・ウォンのために作ったという、とても美しい曲。クラシカルな坂本の曲としては、これが最高傑作ではないだろうか。ピアノにかぶさってくるシンセサイザーが、夢のように素晴らしい。チェロもバイオリンも甘く切ない演奏で、思わず目が潤んだ。曲に込められた気持ちを考えると、涙なしでは聴けないものがある。この曲を聴くことができただけで、このライヴに行って良かったと思う。
The Last Empelor
以前とはちょっとアレンジが変わる。「Flower is not a flower」の次にこの曲を演奏する意味は深い。真っ赤な照明にも納得。コンサートとしてはここで終了という意味もある。厳粛な気持ちで聴く。
<アンコール2>
1000KNIVES
「ちょっとね、これから新しい試みをやろうと思います」という意味ありげなMC。あのsus4の導入部ではどよめきが起こる。リズミカルなアレンジで、立ち上がって踊り出す人も出る(^_^)。ソロ部分はチェロとピアノがとる。今回のライヴでは異色のフュージョン的なフレーバーがかえって新鮮。日本に来てからアレンジしたというが、準備期間の短さのわりに完璧な演奏。練習したのね、きっと。ここで終演の案内が流れたが、ブーイングにかき消される(^_^;)。
<アンコール3>
Tong Poo
教授が「ソーラソドレラソー」とイントロを弾き出したとたん大歓声で場内総立ちに。一斉に手拍子が起こる。東京ではキメの部分でかけ声までかかる。ブリッジではいったん手拍子を止めさせるのだが、それでも声援で演奏が聴こえない(^^;)。すごい盛り上がり。とても速くて、素敵な演奏。

その2・会場と聴衆による違い

 今回はシーケンサもなく、すべて人間による生演奏。そのためか、会場や聴衆の雰囲気でずいぶん演奏内容が変わって興味深かった。

<大宮>
誰のライヴでもイマイチ盛り上がらない大宮で、あれだけ盛り上がるとは思わなかった。曲目紹介の「ではLittle Buddhaをやります」で拍手が起こったのも、ディープなファンが多かった証拠。男の子どうしで来てる人が多かった。MCも信じられないほど快調で、ボソボソと聞き取れなかった以前とは別人のよう。中盤に重く暗い曲の多いこのライヴでは、息抜きのMCは重要だったと思う。
演奏はリラックスした中に適度な緊張感があり、自由自在という感じであった。教授本人もこの日の演奏内容には満足した様子。このライヴでは誰もが感じていることと思うが、音が素晴らしく良い。また、D&Lのような映像はないが、複雑な照明が絶大な効果を発揮している。ここまですごい照明技術にはなかなかお目にかかれない。終演後、駅に向かう道で(UCの)太郎くんとSHUNN-TAさんに見つかった。
<オーチャードホール>
某ネットでナンパした子と行った(^^)。いわく「震えが止まらなかった」。初日は観客も教授も緊張していて、雰囲気があまりよろしくなかった。教授は緊張するとかえって演奏に力が入るので、すごく怖い。曲に引き込まれてクタクタになる。終盤の「安里屋ユンタ」あたりでようやく雰囲気が和んできて、アンコールではそれまでの静けさがウソのように爆発的に盛り上がる。

その3・音楽的評価と雑感

 クラシカル・スタイルというと、以前の「Playing the Orchestra」があるが、あのときはオーケストラを持て余してしまい、変化に乏しいライヴだった。教授以外の人(ゲルニカの上野さんとか)がオーケストレーションした曲の方が良かったのはなんとも皮肉である。その後の教授は、いろいろな映画音楽を作る過程で、新たな管弦楽表現法を模索していたのがわかる。
 ターニングポイントといえるのはバルセロナ五輪の開会式用の曲"El Mar Mediterrani"である。ここで大胆に金管を導入して新境地を開き(教授はそれまで金管楽器の使い方があまり上手くなかった)、「Little Buddha」ではオーケストラにとどまらず、コーラスやインド楽器まで利用した幅広いアレンジを見せてくれた。
 アルバム「1996」や今回の「1000KNIVES」「Tong Poo」で見せたアレンジ技法は非常に素晴らしく、ピアノと同じように弦楽器も自在にアレンジできるようになったことがよくわかった。派手な曲や盛り上がる場面よりも、そうでない箇所において彼らしいハーモニーが随所に見られたのも嬉しい。エバートンとジャックという、クラシック界にはちょっといないアーティストとの出会いがここまで教授を変えてしまったと思うと、実に興味深いものがある。
 また今回のライヴは照明が非常に凝っており、絶妙な効果を上げていた。演奏に合わせてリアルタイムで操作していた部分も多く、さすがだった。教授も「世界一のクルーたち」と言っている。

 20年近く教授の音楽を聴いてきたが、今回のライヴほど心を揺さぶられるものはなく、行ってよかったと思う。古い曲(「1000KNIVES」はソロデビュー作)や、一時期のめり込んでいた沖縄民謡なども含め、いままでの総決算的内容でありながら、決してノスタルジーに陥らない内容だった。ピアノトリオというクラシカルな形態で、ここまでアグレッシヴなアレンジと演奏を見せるとは思わなかった。
 教授もアルバム「1996」と、このツアーで自身の音楽活動の一区切りと考えているようで、今後しばらくオフに入るという(次のアルバムはまだ考えていないらしい)。

 1996年8月25日 大宮ソニックシティ
 1996年8月27日 オーチャードホール

 初出:1996年9月 UC-Galop

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