最高の贅沢

出前コンサート'98 in 奥志賀高原:矢野顕子

 

 長野の山奥、とっても綺麗なホールでの矢野顕子出前コンサート。弾き語りオンリーの矢野としては、過去最高であった。すごいぞ、矢野顕子。

 とにかく、ピアノ自体がとんでもなく素晴らしかった。 矢野自身がMCで「こんなにいいピアノは、持って帰りたいくらい」と言っていたが、素人耳で聴いてもとても美しい音質。ちょうど"Piano Nightly"のロンドン録音編のような、シックな音色のSteinwayであった。僕が聴いた中では間違いなく最高のピアノと言い切れる。長野県にこんなにすごいピアノがあるとは知らなかった。不覚である。

 これだけピアノが良いと、当然ながら相乗効果で演奏も良くなる。今までの矢野のライヴは、ピアノと歌のコンビネーションの妙を楽しむことはあっても、ピアノの演奏やピアノの音色そのものを楽しむということはほとんどできなかった。(それができたのはアルバム"Piano Nightly"だけである。)
 しかしこれだけ繊細なタッチを自在に操って、レベルの高いサウンドを聴かせてくれれば、ピアノだけでも十分に楽しめる。あまり派手な演奏ではなくかなり通好みというか、微妙な色合いの美しさを味わう、みたいな楽しさなのだが。
 ピアノ奏法やボーカル唱法は予想通り"Piano Nightly"の延長上で、さらにハイレベルになったように思う。単に演奏が巧くなった、という言葉では済まされないように感じた。実は"Piano Nightly"のライヴはイマイチだったのだが、今回はあのテンションの高さをライヴで表現するだけのものが何かしらあったのかもしれない。

 曲目は「東風」「ラーメン食べたい」などの懐かしどころから、間奏のソロが素晴らしかった「NEW SONG」、それに涙なくしては聴けない「Greenfields」「愛はたくさん」などなど。矢野の楽曲の素晴らしさについては様々な人が語り尽くしているので、ここでは特に述べないが、昔の曲を現在の矢野のピアノ奏法で聴く、というのは非常に興味深いものがあった。

 いま矢野の音楽は二つのベクトルを持っているように思える。一つは今回のライヴのような、弾き語りにおける"Piano Nightly"路線の追求である。もう一つは昨年末の「さとがえるコンサート」のようなニューオリンズ・スタイルとも言うべき、バンド内でのピアノバッキングの追求である。この二つのベクトルを共存させることは、いまの彼女の実力をもってしても困難と思われる。したがって、弾き語りだけのツアーと、バンドのツアーを分けたことは聡明な判断であるといえよう。
 それにしても、聴けば聴くほどおもしろいピアノであった。Bill Evansなどのジャズ・ピアニストの影響が色濃くなるかと思ったが、そんなことはなく、Jazzでもポップでもロックでもない「矢野顕子の音楽・矢野顕子のピアノ」なのである。

 PAの良さについても触れておきたい。エンジニアは例によって吉野金次氏と思われるが、あのピアノの音を見事に鳴らす手際には恐れ入るばかりである。なるほど、確かに良いピアノにはリバーブは不要である。もちろんノイズなし。聴く側としてもあんなすごいピアノはなかなかお耳にかかれないので、すごく得した気分である。

 それにしても、あんな山奥までわざわざ出かけてコンサートを聴くとは、なんという贅沢であろう。
 「森の音楽堂」は小沢征爾の提案によって作られた300人規模の小ホールであり、建物と周囲の環境の一体感、ホール内の雰囲気、それに音響、どれもが最高に素晴らしかった。音楽を聴く喜びを存分に満喫させてくれた。
 ホールから漏れてくるピアノの音を聴きながらゆっくりと開演を待つ時間、終演後に暮れゆく山々と空を眺めながら友人たちと音楽について語り合う時間。これほど満ち足りた時を過ごすことができるとは、あらためて音楽に感謝したい気持ちである。
 これはもう、最高の贅沢と言ってもよいだろう。そして、こういう贅沢こそが心を豊かにしてくれるのである。

 奥志賀には、何もない。
 山と木々しかない。
 だからこそ、奥志賀は美しい。

 

1998年5月31日:奥志賀高原「森の音楽堂」(with NEWMANさん&ブチコ)

1998年6月15日

 

このライヴのチケットは、NEWMANさんが確保してくださいました。いつもすみません&ありがとう。僕は発売日をすっかり忘れていたので、感謝感激です。あと、帰りに東京までクルマに乗せてってくれたブチコにも感謝です。仕事場(白馬)から奥志賀に直行してきた彼は、さぞや疲れていたことでしょう。ちなみにネクタイ&スーツで決めてステージ横の特設席の最前列に座っていたので、ほとんどの聴衆から関係者と勘違いされていたもようです。
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