この二人だけが作ることのできる世界

As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls:Pat Metheny & Lyle Mays

 

 このアルバムの良さがわかるようになったのは近年のことで、今さらながら自分の音楽性というか感性の未熟さを恨んでいる。

 というのは、このアルバムの発売はなんと1981年なのである(レコーディングは80年9月)。81年の僕は中学3年生で、もちろん勉強なんかやらないしクラブ活動をしてるわけでもなく、ただなんとなく日々を過ごしていた子供だった。今から思い返しても、中学生の頃に得たものはほとんど何もなくて、残念な感じがする。ところが当時まだ二十代のPatとLyleはすでにこんなにも素晴らしい作品を生み出していたのだ。

 最初に聴いたときにはそんなに昔の作品とは思わなかった。
 そのことからもわかるように、全く古さを感じさせない内容である。今となっては、その後の第二期Pat Metheny Groupのサウンドの方向性を決定した重要な作品という位置づけがされているが、サウンドの方向性どころか、それまでのPMGとは全くことなったカラーを打ち出しながらもすでに完成された世界を構築している。

 そのサウンド・カラーを作り上げているのがLyleのシンセサイザーである(特にOberheim。Prophetらしき音もあるが、発売されたばかりか?)。Lyleは特別に凝ったことをしているわけではないのだが、ボイシングとボリュームコントロールが絶妙である。Oberheimシンセサイザーによるモワっとした実体感の希薄なPadが中心だが、そこへ少しずつシンセ・ストリングスが加わって厚みを持たせたり、サウンドカラーを変化させている。この感じは今のPMGにもそのまま引き継がれている。
 Nana VasconcelosもここからPatとの長いつき合いが始まることになるが、やはり切り込み方が絶妙にうまい。センスが良い、の一言で片付けてしまうにはあまりにも繊細なプレイである。

As Falls Wichita, So Falls Wichita Falls
舌を噛みそうなタイトル曲ではある(笑)。
20分を超える大曲のため聴くのが大変そうに思われるが、聴き始めると演奏時間など全く気にならない。破壊〜再生をテーマに様々なモチーフが次々と現れる。Nanaの多彩なパーカッションとボイスが素晴らしい。
スケールの大きな導入部に続いて、6分を過ぎるあたりからリズムボックスのリズムをバックにアヴァンギャルドなシンセサウンドを中心にした不穏な展開が始まる。破壊された世界を表現しているのか。続いて11分すぎ、オルガンの音色がレクイエムのように響き、一気にサウンドが盛り上がり再生への予兆が現れる。さらに分厚いシンセサイザーとボイスによる推移を経て、子供たちの再生の声でこの曲は終わる。
Ozalk
おそらくLyleが中心となって作られたと思われる。明るいイントロとテーマに続くピアノソロが素晴らしい。最近のPMGはどちらかというとサウンド面が重視されているので、こういう弾けた感じのソロが聴けると嬉しい。しかし一方ではむちゃくちゃテクニカルで難しい曲だと思う。
September Fifteenth (dedicated to Bill Evans)
柔らかいアコースティックギターとピアノのデュエットがとても美しいバラード。ゆっくりと変化するサウンド・カラーの移り変わりの美しさを味わいたい。PatとLyleのデュオであること(Nanaが絡んでいない)、このアルバムのレコーディング中に亡くなったBill Evansに捧げられていること、などから考えると、レコーディングに入る前から準備されたものではなく、Evans死去の知らせを聞いた二人が即興的に作った曲ではないかとも想像される。
そんな経緯なので当然ながら、メロディはとてもセンチメンタルである。コードはそれほど凝ってないけれど、ボイシングが非常に良く(やはり相当に気を遣っていると思われる)、シンセサイザーによるPadの内声の流れなどは絶品である。
サウンド構成はギター+ピアノのデュオにシンセをかぶせただけなのであるが、このデュオの演奏が半端じゃないほど呼吸が合っている。テンポはどんどん変わるし、拍子のとり方も揺れまくってるのに、見事なまでにぴったりと合うのだから凄い。やはり出逢うべくして出逢った二人は違うのか。
構成はバラードな導入部・Evans風の中間部・Lyleのソロという3部構成である。導入部=Pat、中間部=Lyleの作曲だと思っている人も多いことであろう。僕もそうだった。ところが、実際はその逆で、前半部がLyleの作曲、中間部がPatの作曲であることが判明した(*1)。中間部はいかにもピアニスティックな展開なので、どう考えてもLyleだろうと思ってたのだが。
後半のピアノソロは"Ozalk"とはガラリと違う内容で、リリカルで情感溢れるものになっている。しかもとても静謐な世界である。後のアルバムを聴けばわかるように、Lyleの本質はこちらの方である。
"It's For You"
Aメロの持つ、氾アメリカ的というか、どことなく牧歌的でフォーク風の要素は間違いなくPatのものである。対してBメロはLyleであろう。
ボイスとシンセ(Lyleの「あの音色」)の絡みも絶妙。そしてここへ来てようやくPatのギターソロが展開され、アルバムは一気に盛り上がる。
後年、矢野顕子とPat自身によってカバーされているが、そちらのバージョンも凄い。一時期Patの留守番電話には矢野の演奏によるこの曲がBGMとして使われていたそうである(*2)。
Estupenda Grasia
これはちょっと。Nana Vasconcelosのボーカルがてんで素人さんなのが非常に惜しい。このアルバムに唯一文句のあるのがこれだったりする。曲そのものはとても素晴らしく、アルバムのラストナンバーに相応しい。
 
<参考文献>
1)"Pat Metheny Interview", Guitar Magazine, p30, June, 1998
2)「矢野顕子 Pat Methenyを語る」, ジャズ批評, p28, 86, 1996

1998年6月 

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