今夜はゆっくりピアノを堪能しましょう

Piano Nightly:矢野顕子

 矢野顕子の最高傑作である。

 彼女の音楽の大きな魅力、世界で彼女だけが持つ個性。それが「ピアノ弾き語り」である。そしてこのアルバムはまるまるピアノ弾き語りオンリーである。

 矢野顕子の詞と曲については、私はもう溺愛といっていいほど惚れ込んでいるのであるが、実はこのアルバムが出るまで、彼女のピアノプレイは大好きというわけではなかった。
 柔らかなフレーズの中で唐突にフォルテシモでアクセントをつけたりする、音楽的な裏付けのないダイナミクスの付け方や、弱音部におけるタッチの乱れなど、「これさえなければ音楽の流れを壊さずにすむのに」と思わせる欠点があったのだ。
 唐突なフォルテシモについては「これが彼女の個性である」という考え方もできるが、弱音部のタッチの乱れは単なる技術不足である。

 そもそもピアノはピアノ・フォルテという名前の楽器であり、ピアノ(弱音)の表現においてこそ、その真価を発揮する。したがって、弱音部でタッチが乱れるのは、ピアニストとして致命的な欠点なのである。そして、自在に弱音を弾きこなすのは、強音を連打するよりも遥かに高度なタッチ・コントロールと音楽性を必要とするのである。

 「Piano Nightly」以前に彼女の作ったピアノ弾き語りのアルバムとしては「Super Folk Song」というものがある。
 選曲やアレンジのセンスはさすがに抜群であり、ピアノと唄が有機的に結びついた傑作である。しかし、ことピアノプレイに関しては全体的に平板であり、ダイナミクスに欠けた演奏の曲がかなりある。そのため、しばらく聴くと飽きてしまうのだ。

 そして、この「Piano Nightly」である。
 このアルバムで矢野顕子は徹底的にピアノの弱音表現にこだわった。

 一聴しただけでは地味な演奏であるが、ひじょうに繊細なタッチで驚くほど多彩な音色を弾き分けていることがわかる。まだ即興的な部分でタッチが乱れる箇所が散見されるものの、全体としては注意深いタッチ・コントロールがよく行き届いている。これにより、彼女独特のコードがより濃密な色合いを持ったのである。そのため、何度聴いても飽きないばかりか、聴く度に新しい発見のある、深い味わいと感動の得られる作品となった。

 例えば、「WHAT I MEANT TO SAY」の間奏の終わりの方でピアニッシモで弾かれる高音の駆け上がりなどは、寒気がするほど凄い。ペダルを踏みっぱなしのため、下手をすると音が濁る危険性があるのだが、矢野の演奏はとても美しく響いている。これも絶妙なタッチ・コントロールがあってこそ出せる響きである。また、このアルバム全体として、ピアノ演奏そのものは音数も少なくシンプルなのだが、ペダルワークで響きはかなり複雑なものになっている。
 ペダルワークといえば、このアルバムはタッチ・コントロールだけでなくペダルの踏み方・踏み変え方が非常に高度である。いろいろな踏み方をして響きや音色を変えているのだが、コードの変わり目での踏み変えがとても素早い。このため、複雑なコード進行においても、響きが濁らない。基本的なテクニックだが、とても重要である。
 さらに、これはライヴを観てわかったのだが、矢野顕子はあまりソフト・ペダルを使わない。タッチで音色を弾き分けるのが好きなようである。

 録音はウィーンとロンドンの2カ所で行われている。それぞれのピアノの音色がかなり異なるので、曲によるピアノの使い分けなども興味深い聴きどころとなる。
 ウイーンのピアノは、その柔らかさといい広がりの豊かさといい、奇跡のように素晴らしい音色である。こういうピアノは何をしなくても、ポンと弾くだけで素晴らしい音色が出てしまう。比較的大きいライヴなホールで録音したようであるが、このピアノの音色にぴったりである。「虹がでたなら」「夏のまぼろし」などで聴くことができる。
 一方でロンドンのピアノは、イギリスらしいストイックな響きであり、「ニューヨーク・コンフィデンシャル」など曲で絶妙な音色を聴かせてくれる。こちらはややデッドなスタジオ録音のようであり、シックな響きが心地よい。
 普段ピアノを弾かない人でも、よく聴けばこの2台の差はわかると思うので、「ウイーンのピアノは広がりが豊か」ということに注意して聴いてみて欲しい。

 歌唱法もずいぶん変わった。
 デビュー当時の、地声をがなるような唄い方はすっかり影をひそめ、無理のない発声法で声を響かせるように唄っている。日本語の発音も実にはっきりとしている(日本語が聞き取れないアーティストの多い昨今では貴重である)。
 ピアノと一緒に、ボーカルトレーニングも積んだのであろう。消え入るような弱音表現においても音程が全く乱れないのはさすがである。

 選曲もまた、素晴らしい。
 「Super Folk Song」は単にいつも唄っている曲、好きな曲を並べただけという感がしたが、今回の選曲には統一性がある。歌詞に込められたの切なさ、哀愁、寂寥感といったものを表現したかったのだろう。

 私は「ニューヨーク・コンフィデンシャル」からの4曲が特に好きである。どの曲も素晴らしいのだが、この4曲は別格というか、単にHappy go luckyでない矢野顕子のシリアスな面が集約され表現されている。よく、矢野顕子の明るいポップな曲が好きという人がいるが(特に女性に多い)、私としては、矢野顕子の本当の魅力はむしろ内面表現を重視した曲にあると思う。
 「突然の贈りもの」は、もう大貫妙子の最高傑作であろう。矢野本人もライヴでそう言っていた。哀愁あふれる歌詞と甘いメロディが実に切ない名曲。何のことはないコード進行でも、矢野が弾くとここまで情感あふれるものになる。その情感が決して外へほとばしるものでなく、自らの内に向けられたものであることまで表現されてしまっている
 その次の「いつのまにか晴れ」も、高野寛の名曲である。これも高野本人が思い入れ深い曲としており、矢野がこの曲を取り上げたことについて感謝の気持ちを語っていた。高野の作品には、直接的ではないが強いメッセージが込められていることが多いが、この曲も例外ではない。閉塞された状況からの解放がテーマになっており、それを示すかのようにコード進行も実に複雑怪奇摩訶不思議である。実際に弾いてみるとわかるが、非常に弾きにくい。そして音楽はとても感動的である。この曲がこのアルバムのハイライトと言えよう。
 アルバム最後を飾るのは矢野自身の手による「NEW SONG」である。この曲も歌詞といい、メロディといい、素晴らしいとしか言いようがない。「いつのまにか晴れ」で頂点に達した心をそっと元に戻してくれる、アンコールのようなこの曲を最後にアルバムは幕を閉じる。

 このようなアルバムには、いくら賛辞の言葉を並べても足りない。そのため、レビュウを書くときには本当に困ってしまう。
 ともかく、「ゆっくりピアノを聴いてみたいな」と思う夜には、このCDをおすすめしたい。

 初出:1995年10月 UC-Galop 改稿:1998年5月

 

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