心優しき表現者

君が笑うとき 君の胸が痛まないように / 槙原敬之

 

 

槙原敬之くんの記念すべきファーストアルバムです。

僕は「坂本龍一のサウンドストリート」で、まだ高校生だった槙原くんの"HALF"って曲を聴いたときからファンなので、とっても業が深いんです(笑)。その頃からすでに彼は一部の音楽マニアの間では、歌詞もメロディもクオリティ高くて、何よりきちんと起承転結のある曲を作れる人として有名でした。ハナウタ程度のメロディなら誰でもできると思うんですが、商品価値のあるポップミュージックのフォーマットを持つ曲として完成したものを作るにはかなりの実力が必要です。彼は中学生のころから、そういう作曲能力を持っていたんですよね。だから、20歳そこそこでAXIAのオーディションでグランプリを取って、デビューということになりました。

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このアルバムは最初に聴いたときから、全部が彼の世界だなあ、と思いました。槙原敬之というと、シングルヒット曲のイメージが強くて、明るくポップな曲を作るアーティストと思う人が多いかもしれません。しかし、実はこのアルバムの曲のようにちょっと翳りのある、繊細で切ない表現が彼の本質です。

1曲目の"ANSWER"、ここにすべて凝縮されているようにも思いますが、日常生活の中の一瞬を切り取り、繊細な感性を生かして詞として表現し、美しいメロディを付けて曲に仕上げる。これこそが彼の才能です。さらに、このような歌詞と曲調にぴったり合う柔らかい声質を持っていたことも、幸運な偶然だったと思います。当時男性のポップアーティストで彼のような世界を表現していた人はいなかったので(今もほとんどいませんが)、繊細なものの好きな僕はこのアルバムが大好きになりました。それにコンサートに行くと9割以上が女性ですが、実際には男性ファンも多いんですよね。オネエに人気があるのは当然としても(笑)、意外と繊細なものを好む男子が多いことがわかりました。高校時代からの僕の友人なんかも大ファンで、「この暗い歌詞がたまらない」とか言ってます。どれも私小説的なのに、わりと普遍性を持った表現をするのが男版ユーミンと言われる所以でしょう。

そのほか気づくのは、矢野顕子さんも絶賛していたコーラス・アレンジのセンスの良さです。槙原自身は一人多重コーラスの達人・山下達郎を師と崇めているようで、このアルバムでも様々な曲で1人多重で録音されたコーラスを聴くことができ、新人とは思えない非凡な才能を感じさせてくれます。彼は良く通る素晴らしい声質をしているのですが、中高域のピーク成分が少ないため、多重コーラスをしても嫌味なくすっきりと響きます。逆に言うと、3パートを1回ずつ唄った程度では厚みに欠けるので、さらに3回ずつ唄わないといけなかったりするわけです。しかし本人いわく「それがとっても快感なの!」だそうなので、これからもいっそう多重コーラスに励んでいただきましょう(笑)。

あとメロディへの歌詞の乗せ方の上手さという点で、抜群の完成度になっています。実はこのアルバムの曲はほとんど歌詞の方が先にできてるので当然のように思えるかもしれませんが、今の日本ではメロディの進行と歌詞がぴったりと合うアーティストはそんなに多くないので(苦笑)、ここまで違和感なくメロディと歌詞が融合するのは驚異なのです。彼は歌詞に使う言葉にはとても神経を遣っていて、頑固なまでの主張を感じることができます。

さて、一方で非常に残念なのがサウンドの悪さです。西平彰さんがアレンジをしているのですが、槙原がQX-3でデモテープ用の仮オケとして使っていたデータをほとんどそのまま本番にも使ってしまったため、全体に打ち込み風で、機械っぽい堅い演奏になってしまったのが惜しまれます。本格的なレコーディングは初めてということでアレンジャーを付けてくれたのに、それが仇になってしまった形ですね。なにしろこの頃の槙原くんはまだ気の弱い青年だったので、気に入らないサウンドでもダメ出しすることができなかったようです。西平氏のような人は職業としてアレンジャーをやっていますので、「このアレンジじゃやだ」「もっとこういうサウンドが欲しい」と言えばその通りのサウンドを作れるだけの技量を持っているんです。

でも、優しい、というか優しすぎる槙原くんは言えなかったのです。彼は今でもそのことをとても悔やんでいて、一時期はこのアルバムの全曲を録音しなおそうとまで思っていたんです。そりゃそうだよね、大切な思い出がいっぱい入っている宝石箱、それがアーティストにとってのファーストアルバムなんだから。そこで「北風」をシングルとして再録したり、「CLOSE TO YOU」の英語リメイク版を出したりしてるんですが、結局それ以外の曲は一切やりなおしていません。そのかわりというか、ライヴではアルバムと違ったアレンジで演奏しています。特にPHARMACYツアーのときの"ANSWER"は熱く静かに燃える彼の情念を見るような感じで凄かったね。"PHARMACY"のツアーなのに、プログラムの最後がこの曲なんだもん。いかに思い入れが深いかわかるというものです。

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それにしても、良い曲がいっぱい入ったアルバムだなあと思います。「どんなときも。」以降の彼しか知らない人にぜひ聴いていただきたいです。

 

1998.02.14

 

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