時間もお金もかけました。

峠のわが家:矢野顕子

 

 「ブロウチ」でクラシカルなアプローチに成功し、特にボーカルに関して自信を深めた矢野が久々に出したオリジナルアルバム。矢野と坂本の完璧指向−特にサウンド面において−が強かったこともあり、レコーディングにはむちゃくちゃ時間&お金がかかっている。当時一番高かったサザンオールスターズの2枚組大作「Kamakura」(約5千万円)を超えたとも言われる。この頃の矢野はせいぜい5万枚程度のセールスだったと思われるので、大赤字であろう(笑)。しかし内容は盛りだくさんであり、それまで詞曲やピアノ演奏でのみ評価されていた感のある矢野が、一気にサウンドプロデューサーとしても脚光を浴びることになった。

 で、このアルバムには「初の」という事柄がたくさんあるので列挙したい。

 ・坂本龍一にとって、Fairlight CMIを購入してから初めての矢野顕子作品への参加
 ・MIDIレコードから出た初めての矢野顕子のアルバム
 ・PowerStation Studioでの本格的レコーディング
 ・Steve FerroneやAnthony Jacksonとの共演

 まず教授のFairlight CMIであるが、このアルバムのベーシックはCMI+DX-7+Prophet-5のみで作られたと言っても過言ではない。ただ、同時期に作られていた教授の「Esperanto」などに比べると使われ方はおとなしい。過激なものは「おてちょ。」のリズム隊だけである。

 次に、矢野が徳間ジャパンからMIDIへ移籍した第1弾ということであるが、やはり相当に力が入っていたと思われる。詞曲の充実度からもそれが伺える。また矢野本人も「久々に自分に厳しくなって」ボーカルを録音したそうである。それまでの彼女は、いつもテイク2で終わりとか(^^;)、異様に録音が早かったようであるが、このアルバムからボーカル録りにも充分に時間をかけるようになる。

 最後にPowerStation Studioの使用やSteve Ferroneなどとの共演であるが、これは当時のサウンド事情が大きく影響している。当時の日本の音楽業界はScritti Porittiが大ブレイク状態であり、教授も大好きということでサウンド・ストリートのゲストにメンバーを呼んだりしていたほどである。スクポリのドラムと言えば、Steve Ferroneその人である。また、ドラムのサウンドという点では"The Power Station"のサウンド(豊かなルームアンビエントをゲートでばっさり切るゲート・リバーブ)が大ブレイク中であった。ともかく80年代の日本の音楽業界はこれらの影響が非常に強く、それがこのアルバムのサウンドにも色濃く反映されているのだ。

 またアレンジやキーボードでの教授の関与が大きいのもこの曲の特徴である。
 フェードアウトせずにきっちり終わる曲が半数を占めるが、これは「なんとしても終わらせる」という教授のつよい意志のあらわれだそうな(笑)。もちろん、ミックスも教授自身が手がけている。
 ただ、全体的にシンセサイザー中心のアレンジ&ミックスになっており、もう少しピアノとボーカルを全面に出しても良かったのではないか。このアルバムにおける唯一の弱点がそこであるように思う。しかし、現実問題として電気系サウンドと矢野のピアノ&ボーカルを違和感なくミックスするのは非常に難しいと思われる。結局、日本人のエンジニアではそれが不可能ということになり、"Love is Here"からミックスもNYでやるようになる。矢野のピアノとボーカルのミックスはNYのエンジニアにとっても至難の技だったらしいが、その苦労は後の「Elephant Hotel」で実を結ぶことになる。

 このアルバムを通して聴くとわかるが、弾き語り(ピアノ+歌)にバンドサウンドが加わった形のアレンジは、「ちいさい秋みつけた」と「Home Sweet Home」だけである。実は、バンド的にみんなでスタジオに入って「せーの」で録音する方法は「オーエスオーエス」が最後となっており、このアルバムでは教授+アッコちゃん二人だけでほとんどのトラックを作り上げていったのである。ドラムもフェアライトで打ち込んでおいて、あとで生に差し替えるような形を取っていたらしい。この頃はアレンジ手法を、夫婦揃ってスタジオで試行錯誤していたもようで、矢野本人も「どっちが早く良いフレーズを弾くか、競争するようなもの」と言っているし、教授をして「あの人(矢野顕子)と僕は、ライバルだから」と言わせしめたのである。当代随一のキーボーディストが二人も揃って延々とスタジオで作ったアルバムであるから、楽器の中でキーボードの占める比率が非常に高くなっているのも当然と言えば当然のことである。

The Girl of Integrity
このアルバム制作における矢野のスタンスを歌っているとしか思えない曲(笑)。
なんといってもSteve Ferroneのドラムに度肝を抜かされる。初めて聴いたときは「なんだこれわ!!」と目からウロコが飛び出してしまった。ドラムのパターン自体は矢野か坂本が考えたものであるが、Ferroneが叩くとここまですごくなるという好例。途中で32分音符のハイハットが入るところなどはなんとなくスクポリ的である。また、スネアのエフェクト(ゲートリバーブにフランジャーがかかっている)もすごい。このアルバムではFerrone/Steve Gad/高橋幸宏と3人のドラマーを使い分けているのが大きな聞き所になるのだが、分類するとハッタリ系=Ferrone、繊細系=Gad、ポップ系=幸宏ということになる。
で、この曲のミソは、矢野の弾くシンセベースと、右チャンネルに入っている「ボン、ボン、ボヨン」という妙なリズム音である。特にこのリズム音はナニをサンプリングしたものか、今でも全然わからない。大いなる謎である。
David
ここで一気に聴きやすくなる。超ポップな曲。
音楽的な面ではそれほど内容のある曲とは言えないのだが、矢野−坂本路線のアレンジとしてこの曲が頂点であるように思う。シンセ類で入れるオブリガードのセンス・フレーズがそれぞれ卓越しているのだ。
ちいさい秋みつけた
矢野はいろいろ童謡をカバーしているが、ロック寄りのアレンジで成功しているのはこの曲だけといえる。Anthony Jacksonとの初共演となった。矢野の奔放なピアノと歌に驚いたというコメントが「さとがえるコンサート」のパンフレットにも記されている。なおこの曲のスネアも、リバーブ+フランジャーで独特な音色になっている。
一分間
これは名曲。詩にメロディを乗せるのが難しかったと思われるが、非常に静謐な雰囲気となっている。Steve Gadのドラムが矢野のピアノとユニゾンになっているところが異様に多いのだが、いったいどうやってレコーディングしたのか知りたい。
おてちょ。(Drop me a Line)
教授色が濃厚である。最初はCMIのリズム隊に驚くが、実はこれは単なるオドカシである。ボサノヴァ風のギター(Eddie Gomez)をもってきたり、平坦になりがちな曲想にバラエティを付けるように入るコーラスやボコーダーの使い方などのアレンジ・センスがとても教授的なのである。あと、最初から最後まで16分音符で「ププププププププ・・・・」というパルスが入っている(Linnのクリック音か?)。このパルスが独特のノリを生むのであった。2コーラス目やサビに入るProphet-5のHornもいかにもProphetという感じの上品な音色である。
海と少年
いかにもスクポリなアレンジだが、曲調はとっても健全というギャップがすごい(笑)。
ギターの音色やシンセの入り方などはスクポリそのものだが、ホーンが入ったり、薄く白玉が入ったりするので、スクポリっぽさが強調されていない。Steve Ferroneのドラムも仕掛けがなく、ノリ一発というかんじである。最後のブラスは教授がCMIで弾いているが、これが実に見事なフレーズである。
夏の終り
さざ波をイメージさせるようなイントロや、スケールの大きな間奏など、教授のストリングス・アレンジが光る。カヴァー曲の多いこのアルバムで特にアレンジが素晴らしい1曲といえよう。
そこのアイロンに告ぐ
それまでの矢野はJazzぽいものをやっても、Jazzそのものはやらなかった。が、この曲はかなりJazzである。アイディア一発&サウンド重視だが、教授がキーボードを弾いており、そのため幾分かっちりとした印象を与える。
Home Sweet Home
サウンドは超ポップなんだけど、歌詞の内容がとてもとても重い。サウンド重視のこのアルバムの中では異色だが、「ひとりひとりが責任を全うすることも、また大切な愛情」というような、ちょっと厳しい矢野の主張が出てくるのはこの曲からであり、その後の彼女の曲作りの上で大きな転機となった重要なマイルストーンといえる。
暖かくて優しい、でもなんとなく哀愁を感じさせる歌詞はこのアルバムの中でも白眉であるが、特に2コーラス目が素晴らしい。2コーラスめは「誰もわかってくれないの」と始まり、とても切ない想いが唄われているが、この中の一節の「たとえひとりきりになったとしてもHome Sweet Home」はすごいと思った。この曲の感情的な高まりはここにある。(矢野自身もこの一節が訴えたかったということである)

参考文献:当時のSound & Recording Magazine ←この頃はよかったよねぇ(笑)

1998年7月18日

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