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BTTB / 坂本龍一

 

"Basic Elements"

このアルバムは、教授が誰の影響を受けたのか、そういった出所がはっきりとわかるほどシンプル、というのが作曲上の特徴なんですね。サティの空気感、バッハの荘厳さ、ドビュッシーのハーモニー、ブライアン・イーノのサウンド構築法、etc.... 自分の音楽を構成する上でベースとなる要素を端的に表現する曲を作ってソロで演奏しました、というわけです。つまり彼の引き出しの中身ひとつひとつ=Basic Elementsです。何もここまで戻らなくても・・・と思うほど、坂本龍一のベースがはっきりとわかってしまう内容にはかなり驚かされます。また、それぞれの曲からいろいろな影響が感じられるのにもかかわらず、全体としては不思議なほど統一感のあるサウンドになっているのが大きな特徴です。

この統一感の要因はいくつかあります。まず非常に大きな点として、全曲が坂本龍一自身の作曲・演奏ということ。さらに、サティ風の空気感を基調とするシンプルな曲が多いこと。次に、同じピアノを使って、同じホールで短期間の内にレコーディングされているということ。などが挙げられます。

 

どんなふうに聴けばよいのか

実は、最初にこのアルバムに触れたときには、いったいどうやって聴いたらよいのかわかりませんでした。どの曲も1曲1アイディアという感じであまりにもシンプルなものが続くので、しっかり曲を聞き込もうとすればするほど退屈になるわけです。そんなわけで、4〜5日は「どうしようかなあ、困ったなあ」という具合でした。ですがある日、寒空の下を歩いてると、自然にこのアルバムの"chanson"が頭の中に浮かんできたんですね。会社帰りのリーマンが思い浮かべる曲としてはちょっとロマンティックすぎるんじゃないかとも思いましたが(笑)、そのときにわかったんです。このアルバムは聞き込むのではなくて、サウンドの空気感や曲の持つ雰囲気を味わうと良いのではないか、と。

それで、帰ってからさっそく聴いてみると、あら不思議、とっても気持ちよいではありませんか。まずピアノ自体の持つ音色が良いですし、アンビエント(エコー成分)の録音が素晴らしくて、とても気持ちよいサウンドになってるんですよね。でも、よくよく聴くと、曲によってずいぶんサウンド傾向が違っていて、意外とバラエティに富んだ内容になってるんです。ですから、一辺倒な聴き方をすると、ちょっとつまんないだろうと思います。サウンドのこだわり具合を聴いていくと、やっぱり教授のアルバムだよなあ、と痛感する点が多くありました。ということで、その辺りを中心に各曲について書いてみます。

opus

サティってゆうか、ひたすらサティってゆうか、とにかくサティってゆうか。ABAB形式で、A部はとにかくサティ。で、B部はお得意のフランス近代で、転調が見事です。メロディとコードの成す妙を味わえばいいような気もするのだけれども、それだけでは半分しかこの曲を楽しめないのよー(笑)。A部とB部ではホールの残響成分が変わってることがわかります?実はこのアルバムはホールのあちこちにマイクを置いてアンビエントと一緒にProTools24に録音していて、それをエディットしながらミックスしています。どのアンビエントをミックスするかが腕の見せ所なわけですが、この曲では進行に合わせてアンビエントも変わっていくという面白いサウンドアレンジがなされているのでありました。

sonatine

右手で弾くパートが何か変です。というか、左手とぶつかってるってば(笑)。「このアルバムでは左手のアレンジがすごくよくできてる」とは教授の弁ですが、確かに、フツーの伴奏にはなっていないことはわかります。で、この曲はちゃんとソナチネ形式になっていて、しかもバイエルを終えたくらいの人なら弾ける程度の難易度なのです。最後は華やかだし、変なんだけど楽しい曲になってます。ソナチネっていうくらいなら2楽章、3楽章も用意して欲しかったところですが。

intermezzo

あら、いきなりピアノの音色が変わりました。この曲はちょっとロマン派風なので、ソナチネとは弾き方が違って当然なんですけど、ここまではっきりわかると思わずニヤリとしますよね。具体的には、タッチの深さとペダルの踏み方が全然違うんですけど。切ない導入部に耳を奪われますが、その後メジャー系になる展開部(1分10秒〜)の方が音楽的には価値があるんです。左手のアルペジオの音列が素晴らしいんですよ。この左手はけっこうすごいと思うんで、注目して聴いてあげましょう(笑)。モーツアルトなんかがよく使っていましたが、教授の方が現代的です(←あたりまえ)。ちなみにモーツアルトはこういう音型は一瞬で閃いてしまっていたらしいです。一方の教授は、けっこう一生懸命作ったらしいです。この辺が超天才とフツーの天才の差だと思うのです(笑)。

lorenz and watson

変な曲〜。空気感はサティなんだけど、メロディに長3度と短3度が入り交じるのがなんか滑稽で微笑ましい感じです。タイトルもその辺のおかしさを表現してるようですな。

choral no.1

このアルバムはコーラルが2曲収録されてますが、このno.1は教授の好きなコードから入って、そこから展開を作っただけの、わりと即興ぽいものだと思います。アンビエントのミックスがどんどん変わっていくのも聞き所です。

choral no.2

こちらのコーラルno.2はこのアルバムのハイライトの一つです。バッハの「マタイ受難曲」そのものではないかという話もありますが。コーラルなんだけど、フーガ(カノン)にもなってるのがミソです。特に中間部は凄いです。たった2声なんですが、モードとスケールの中間的な展開で、要するに古典的コーラルからいきなり近代にタイムワープしてるんで、聴く方もクラクラきちゃうわけです。

do bacteria sleep ?

これは口琴(こうきん)の音色ですな。ってゆうか、ほとんどアナログシンセです。テクノみたいな。口琴は青山のスパイラル・カフェで教授自身が購入したらしいです。スパイラルと言えば、実は僕もいろんな思い出のあるホールってゆうか、みちくさ師ってゆうか、ミゾグチ女史ってゆうか、ウィルキンソンのジンジャーエールってゆうか(←わかる人にしかわからないネタ)。エフェクトが思いきりかかっていて、そのサウンドがとても気持ち良いです。フランジャーも思いきり深くかかってるのにすごく音質が良くて、一体どんなエフェクターを使ってるんだろうかと、謎だったんです。でも何のことはない、これはきっとProToolsのプラグインですよね(笑)。

bachata

左手のパターンだけ作っておいて、右手で作り込んで、あるいは右手で即興的に弾きました、という曲。このアルバムの中では最も現代音楽ものの一つです。

chanson

It's Beautiful ! 大変美しいバラードです。最初のメロディとその展開だけでできていますが、やはり左手(伴奏)の進行が素晴らしく、実に切ない雰囲気を作り出しているわけです。左手の小指で弾くラインを追うと、とてもメロディアスなことがわかります。また、メロディの始まる部分の音型といいコードといい1曲目の"opus"と全く同じなのですが、音色も雰囲気も全然違いますよね。表現したいものが違うと、曲も演奏も全く違うものになってしまうという好見本であります。"opus"は静謐さを表現し、この曲は心の奥の情熱を表現しているように聞こえます。短い曲だけれども、このアルバムでは重要なものだと思います。渡米以前の教授のピアノはどれも"opus"のような雰囲気で、「おしゃれなんだけど、どこか醒めてる」という印象がありました。それは教授自身の中にあるラテン気質を隠蔽するための、一種の照れ隠しでもあったわけですが、濃い目の感情表現が好きな僕としてはことのほか物足りなく思っていたんです。ところが90年代に入って教授の作り出すメロディが変化して、この曲のような切ない感情がはっきり伝わるようなものが多くなって、とても嬉しく思います。

distant echo

ブライアン・イーノのピアノの音です。このサウンドに身を委ねるだけで気持ちいいっすー(笑)。

prelude

プリペアド・ピアノの音色です。要するに、洗濯ばさみで弦をミュートしちゃったピアノです。教授はこうゆうのが大好きだから、この程度では驚かないっすよ(笑)。凄いと思うのは、単に洗濯ばさみを挟んでないこと。つまり、いろんな吟味をして弦をミュートしてることです。site sakamotoのdialyを見るとミュートしたピアノの中の写真が見れますが、弦を挟むものの材質(フェルトを使っている)なんかがよく吟味されていたことがわかります。特に、ミュートしてる位置がいいですね。それでこういう不思議な、気持ちよい音色になっているわけです。たぶん、ガムランを意識したと思います。

sonata

プリペアド・ピアノ第二段。こっちの曲は、もう明らかにガムランそのものです。というか、きちんとガムランの曲になっていて、叩いてる鍵盤もしっかりと決まっていて、微妙なチューニングがされていますし、普通のピアノ風には弾いてないです。思わず"Esperanto"を思い出しました。さすがです。サウンド的にも"prelude"とは全然違うし(アンビエントが異様に多い)、全くお見事です。しかしなぜ"sonata"なんてタイトルが付いてるのか、そこだけがわかんないんですけど。

uetax

水の中の音だそうです。"uetax"というのは、この音を録音するために使った水中マイクを作っている会社の名前だそうで、まああまり意味のない曲というか、SE(Sound Effect:効果音)。次の曲にひっかけてなものですかね。

aqua

坂本美雨に提供したという曲。このアルバムの曲は、すべてこのアルバム用に作曲されているわけですが、この曲だけは違っているということで、演奏内容もサウンドも他とはかなり違います。ボーカル入りを聴きたいっす。

 

音楽的評価

純粋に音楽的な評価をすると、すでに使い古されたつまらない内容、という感じもします。新しい事は何もないし、現代においてこのような曲を作り、自ら演奏してアルバムをリリースすることにどんな意義があるのか、疑わしくも思います。これが20世紀初頭の、サロン文化の中でひっそりと演奏されていたらさぞかしお洒落だったと思うのですが、やはり時代錯誤な感じは否めません。そもそも坂本龍一でなかったら絶対リリースできない音楽なんですよね。

逆にさすがだなと感じるのはサウンド面で、ピアノそのものの良さはもちろん、録音やミックスのセンスは相変わらず抜群です。一聴すると「単なるピアノソロ」ですが、実はけっこう手の込んだサウンドメイキングをしていることがわかります。でも、なんか神経質な音色のピアノなんですよね。それがYAMAHAの特徴でもあるんですが。やっぱり僕はSteinwayが好きだなあ。確かにこのサウンドと演奏内容はYAMAHAのピアノによくマッチしてますけど。教授のピアノっていうと僕は80年代の印象が強くて、とにかくかっちりしていて揺るぎないという感じで、けっこう息苦しい印象があったんです。そういう閉塞感はこのアルバムではずいぶん希薄になっていて、柔らかいピアニッシモの美しさを際だたせるような演奏も多く聴けるのは嬉しい変化です。全体としては静謐で、澄んだピアノを堪能できる一枚、と言えるのではないでしょうか。ただ、静謐だけどあったかいピアノを聴きたいときは、僕は奥方の"Piano Nightly"をお勧めしますけれども(笑)、これはこれで大変気持ちよいサウンドだと思います。

あと楽譜&MIDIデータが同梱、というのはなかなか良いアイディアだと思いました。正直言ってMIDIデータはどうでもいいんですが。←これだけサウンドが良くしかもシンプルですから、音からすべてを、ええもう細かなミスタッチや指のよろけた感じ、ペダルの踏み込み具合まで聴き取れちゃいます(笑)。しかし楽譜はね、独立して出版すると著作権料の関係でものすごい値段になったりするので、CDに同梱しちゃえって考え方はありがたいです。以前、"1996"の時に、それが原因で楽譜を出版できなかったという経緯があるんですよ。結局ライヴVTRのオマケとして楽譜を付けたわけですが、そのへんがヒントになってこういうリリース形態になったのでしょう。特に今回のアルバムだと、単に弾くだけならそんなに難しくない曲ばかりなんで、「わたしも弾いてみたーい」って人が多いと思うんだよね。そういう人のためにも楽譜があるとありがたい。ちなみにワシはこの程度の音数なら、楽譜なしでいきなり弾けちゃいますけど(←じまんげ)。でも、ホント、少ない音数で教授らしいハーモニーが堪能できる曲が揃ってるんで、ピアノ弾ける人は挑戦してみて下さい。ワシ、けっこう弾いてます(笑)。

 

1998.12.05

 

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