聴きどころ満載な快作 

Pagoda / 大橋純子

 

大橋純子といえば・・・

誰もが「たそがれマイラブ」や「シルエット・ロマンス」をなどのヒット曲を思い浮かべると思う。この「Pagoda」は1990年に発表された彼女のアルバム。80年代に入ってからはヒット曲もなく、芸能活動を停止していた彼女だが、そのあいだ遊んでいたわけではなかった。NYに渡ってボーカルトレーニングを受けていたのである。そして80年代半ばから作曲家の佐藤健とともに活動を再開して「DEF」「QUESTION」「Pagoda」と3枚のアルバムを制作している。これは三部作とも言えるのだが、どれもテンションが高い傑作である。特に3枚目の本作は彼女のキャリアの中でもベストといえる完成度を誇り、素晴らしいポップスアルバムとなった。

さて、彼女の特徴は何と言っても伸びのあるボーカルである。デビュー当時から歌唱力は抜群だったのに、さらにボーカルトレーニングを積んだのだからその実力は日本でも屈指で、特に高域の伸びは圧倒的迫力である。しかしもっと凄いのは中域〜中低域で、高域から下がるときでも声質が変わらずにどんどん前に出るボーカルのため、非常に説得力のある表現が可能になっているのだ。また、音程・発音・ビブラートなどどれを取っても正確でよどみがない。ただ声を張り上げるなら子供でもSpeedでもDA-Pumpでもできるわけで、繊細な表現をしながらも絶対に音程を外さないのは凄みすら感じさせる。

もう一つのききどころ

このアルバムのききどころが大橋のボーカルであるのは言うまでもないが、もう一つのききどころは素晴らしいアレンジである。作曲は全曲、佐藤健が手がけていて、井上鑑、清水信之、中村哲と3人のアレンジャーが編曲を手がけている。特に凄いのは井上で、生弦とシンセサイザーを中心にしたスペイシーなアレンジは天下一品である。また清水のお洒落なセンスに溢れるアレンジも素晴らしい。中村は、まあ普通だが(笑)。アレンジャーに気を付けて聴いてこれほど面白いアルバムもそうないと思う。ニューウエイヴから始まり、Scritti Porittiで全盛となる80年代サウンドの洗礼をたっぷり受けた三人が、それぞれにそこから脱していこうとする様子がはっきりとわかるサウンドである。

曲目解説

時のバザール
1曲目は思いきりディープなバラード。歌詞はほとんど意味不明で、イマジネーションのみによって生まれた抽象的な言葉の羅列と言ってよいのだが、一方で非常に音楽的でもある。メロディはわりとまともなのに、コード進行がものすごく変で一度たりとして終止形を取らない。さらに井上鑑のアレンジが変態的で、8分音符3つ取りが多発するイントロや間奏は拍子すらわからなくなってしまう。それに輪をかけるようにぐしょぐしょなPadが入り、アヴァンギャルドな弦が絡むアレンジは凄すぎる。ボーカルものなのにコントラバスまで使っていて、ものずごい重低音を出したりするのだ。コーダになってようやく普通の音楽らしくなるのだが、その前が混沌としているだけに異様に盛り上がるのだった(笑)。しかし、これだけむちゃくちゃやってるのにもかかわらず、大橋のボーカルはどこまでも甘く伸びやかなのだった。さすが。
Tokyo Calling
阿鼻叫喚の1曲目が終わると、いきなり超ポップな世界が始まる。この非のつけどころがない完璧なイントロを聴いてみて欲しい。もちろん間奏のシンベ・ソロやラストの終わりかたまで、すべてが完璧である。これは清水信之の最も得意とするパターンのアレンジで、コーラスはもちろんEVE。ほとんど打ち込みのオケなのだが、右チャンネルで鳴ってるギター(清水自身の演奏)が曲のノリを作り出す重要な鍵となっていることがわかるだろうか。16分音符が軽くハネたドラム&ベース(Mini-Moog)&パーカッションが作るリズムはそれだけでダンサブル。でも、どうしも機械っぽいグルーヴに感じるのだ。そこへややルーズなノリのギターが入ることによって、グルーヴの幅が広がるのである。メロディ面では、サビにけっこう難しい転調があり、直後に取りにくい音程のブルーノートが出てくるのだが、全然問題なく唄いきってしまうのが凄い。最後のフレーズ"Can you hear me ?"も正確に唄うにはなかなか難しい音列で、カラオケになったとしても普通の人にはちょっと唄えないと思う。
微笑みの向こう側
3曲目になってようやくドラマ的な歌詞が出てくる。中村のアレンジはイマイチで、シンセ・オペレータの迫田到のカラーが強く出すぎのように思う(シンセの音色がほとんどTM Networkなのだ)。実は迫田はほとんどの曲でYAHAMA DX-7IIのユニゾンモードによるベースを思いきりコンプレッサーでつぶして使ってるのだが、これはいかにも「あの時代の音色」という感じで、どうもいただけない。Oberheim Matrix-12のブラスも「いかにも」な感じね。←このようにシンセの機種までわかってしまうような使い方は、いただけないと思うのだ。
朝焼けに消えて
青山純(Dr.)、美久月千春(B.)、今剛(G.)の強力トリオが流れるようなグルーヴを聴かせる1曲。確かにこのアレンジにはこのミュージシャンの選択が正しい。アレンジしたのは井上で、比較的まともだと思って聴いていくと間奏で大仕掛けが待っている。強力なシンコペーション&変拍子でどうしても拍子が合わないのよ(苦笑)。
Snow Fall
歌詞&メロディが超・超泣かせるバラードである。この1作前のアルバム「QUESTION」にも「あなたにつつまれて」という爆涙ものの名バラードがあったが、それに匹敵する名曲。特に2コーラス目の歌詞が切なくて良い。しかしこれまたイントロの拍子が不明な井上アレンジ曲。もっとも構成そのものは王道路線で、Aメロから転調を経てBメロ、Bメロの中でさらに転調してサビへという展開。最後のサビ前の間奏に素晴らしい弦カルテットが挿入されていて、震えがくるほど美しい世界を聴かせてくれる。それにしても、こういったバラードにおける大橋の表現力は本当に凄い。
The Power of City
レコードでいうとここからB面、という雰囲気。中村アレンジだが、当時ですら「いまどきゲートリバーブのかかったドラムはないでしょう」みたいに思ったので、今はさすがに聴くに耐えないかも(苦笑)。間奏のピアノソロもかなり強引で、しなやかさに欠ける。惜しい感じの1曲。サウンド優先で作られたのだと思うのだが、ううむ。
バラードにして
タイトルと違って、バラードではない(笑)。他の曲と違って、メロディの動きが小さく、高音部もほとんどないのですごく新鮮に聴ける。清水アレンジにしてはちょっと音数が多すぎるように思う。
彼女のApril Morning
「バラードにして」もそうだが、こんなタイトルを付けて恥ずかしくないのだろうか>竜真知子。これは中村アレンジで、やはり迫田到のカラーが強く出ている。アレンジ上の必然性が希薄な打ち込みカウベルとか(笑)。かなりの凡作だと思うのだが、大橋のボーカルがあまりにも素晴らしくサビで伸びるので、それだけで音楽として成立してしまうのだった。パワーのある歌があれば、平凡も非凡になってしまうのだ。
You Can Love Someone
ちょっと歌詞が意味不明で、"You Can Love Someone"の"You"って誰のことなのか、いまいち不明瞭なのだった。"You"と言いつつも自分を意味してるんだろうけど。思いきり歌い上げずに、響かせるように聴かせるのが気持ちよいラストナンバーである。

余談

このアルバムはジャケット、歌詞カードのデザインが秀逸。山吹色の歌詞カードをよく見ると、わずかに色の違うインクでイラストが描かれている。ジャケット画の女性はもちろん大橋純子その人がモデルと思われるが、なかなかインパクトがあってよい。ぜひレコード屋で確認してみてください。

1998/8/8

 

Back to "Cool Disks"