闘いの果てに見えたもの

El Mar Mediterrani:坂本龍一

 

1992年、バルセロナ・オリンピックの開会式を覚えていますか。このCDはあのセレモニーのクライマックスとなった「地中海のテーマ」です。開会式の総合プロデューサーPepo Solの唯一の指示、それが「クライマックスは坂本龍一の曲でやる」という、まさに絶大なる信頼の元に作られた曲です。教授をご存じの人ならわかると思いますが、彼はオリンピックとか平和とか権威とか、そういった音楽とは直接関係のないものが音楽のテーマになってしまうのが大嫌いな人です。だから、かの"We are the world"をクソミソにこき下ろしていたわけだし、清志郎のタイマーズにも参加しませんでしたよね。そんな彼がこのプロジェクトを引き受けたと聞いて、僕は非常に驚いたんですけど、実際に開会式の中継を見て、この曲を聴いて、その理由がわかったような気がしました。

結局、彼は戦士なんです。

もうずっと昔、教授は「音楽を作ることは闘い。だから僕は戦士になる」*注1ということを言っていました。ちなみにYMO時代にソロで出したシングル"Front Line"は、そういう彼の考えが歌詞の中に直接的に表現されていて、けっこう驚いた人も多かったと思います。その後「もう闘いとか、そういうことはやめたいですね」というような発言もあったりしたのですが、実は彼の意識下では90年代に入ってもずっと闘いが続いていたのです。教授は80年代後半〜90年代前半は映画音楽の仕事が多く、ラストエンペラーでオスカーを取ったこともあって業界内でもかなり高い評価を得ていたのですが、本人としてはあまり気に入っていなかったようです。つまり、映画はあくまでも監督のものであって、どんなに苦労して作った音楽も所詮その一部に過ぎないわけです。そんなわけで、フラストレーションが溜まっていたと思うのです。オスカーまで取って、もうこれ以上ないというほどの名声を得てもなお満たされない教授には、まさに芸術家の業を見る思いがするのですが、そんな状況に絶好のタイミングでこのプロジェクトが来たのではないでしょうか。オリンピックしかもその開会式という、地球上にはもうこれ以上ないほどの巨大な相手に闘うことができるこの仕事は、まさに願ったり叶ったりだったのではないかと思います。

さて、オリンピックの開会式。IOC会長のお膝下でのオリンピックなので素晴らしくて当然だと思うのですが、その後のオリンピックのセレモニーと比較してもとにかく美しく芸術的。こんな凄い開会式の最後を、わざわざ異国の人(教授)の曲で締めくくるなんて許されるのかしらん・・・とか思ってしまいました。が、いざ教授パートが始まったらそんな心配はもう全然要りませんでしたね。バルセロナの人からも大喝采を受けたのです。もっとも僕にとっては、坂本龍一の勇敢な闘いぶりとその勝利を讃える曲としか思えませんでした(笑)。

 

詳細解説

この曲は勝利の歌という精神的な面とは別に、坂本龍一の大編成曲における新境地を切り開いた重要なマイルストーンと考えられますので、詳しく解説したいと思います。

ピアノとコーラスの短いイントロに続いてリズム隊による前奏が入ります。このリズム隊のエコー成分にだけ、うすーくフランジャーがかかっているのは、YMOチルドレンGo Hotodaの業でしょう(笑)。なお、オリンピックのときは教授はオケの指揮をしていましたし、ピアノもなかったので、ここで聴こえるピアノはあとから加えたものですね。さて、リズム隊が盛り上がると、ブラスによるファンファーレ。これだけで「あっ、教授だ!!」とわかるハーモニーです(譜例)。特に7小節目のF#m-9/Aなんてのはコード記号を付ける意味すらあまりないような気が。凄いのは、これを延々と金管で演奏させていることで、また暴力的なまでに強力なんです(^^;)。それまでの教授は金管の使い方があまり上手くなかったのですが、この曲では積極的に使っているのが大きな違いです。

続いて海鳴りを感じさせるような中間部を経てチェロで主題が演奏されます。これはすぐバイオリンでも繰り返し演奏され、その後ろで演奏されている木管のパッセージを生かしてそのまま速い展開部へと入っていきます。この辺りの弦の使い方はフレーズはブラームス的で、まあ教授ではよく見られるメロディなのですが、わざわざ繰り返すという展開がやや古典派的で、それまでの教授のオーケストラ曲にはあまり見られなかったパターン。

さらにアンビエントで不気味な繋ぎがあって、いきなり6/8拍子に変わると教授お得意のsus4平行移動によるメロディが展開されます(8分30秒〜)。デビュー作「千のナイフ」のイントロからsus4平行移動メロディが使われているのですが、これはもう教授の専売特許なのです。しかし教授は80年代後半以降はsus4を前面に押し出すような展開をほとんど作っていなかったので*注2、これだけモロにsus4を連発したのは当時としては珍しい展開ということになります。あと、この部分は妙な笛の音色が入っているので、音だけ聞いているとほとんど無国籍状態です。ただやはり一般リスナーには厳しい展開なのでさっさと切り上げてわかりやすいスペクタクル調へと展開します(10分00秒〜)。ここはずっと4拍子なのですが、小節線を撹乱するようなメロディになっており、緊張感が高まります。

そのまま一気にピアノのソロになだれ込みますが、この部分はピアノとオーケストラ(パーカッション部隊)によるインプロビゼーションです。こういう前衛的なソロも教授のお得意なのですが、さぞやオーケストラの人は大変だったろうと思います。ソロに続いて一気に盛り上げていく部分も金管がふんだんに使われ大きな迫力を生み出します。その後、イントロのファンファーレがもう一度演奏されるわけですが(14分50秒〜)、この辺になるともう圧巻のあまり声も出ない状態(笑)。そして最後の最後にスペイン民謡をモチーフにしたメロディが演奏されます。リズムが「戦メリ」と同じパターンで硬直的だったりするのはご愛敬として(^^;)、オーケストラの楽器が次々と入れ替わりつつフレーズを受け継ぎメロディラインを紡いでいくのアイディアは、それまでの教授にはなかったものです。そして徐々に楽器が増えて盛り上がっていき、さらにメロディが繰り返されます。よく聴くとわかりますが、木管の演奏による中音域のコードがとても耳当たりがよく、絶妙です。続いてバックにはコーラスが入ります。教授がオーケストラもので人声を使ったのは、もちろんこれが初めて。さらに盛り上がってくると、イントロのファンファーレが金管による演奏で入ってくるという劇的な展開が待っています。暴力的なまでのイントロでの提示は、実は最後の部分で大きな感動をもたらす伏線だったわけです。ところで、この進行は、基本的には上に書いた譜例のような8小節の繰り返しなのですが、最後の部分だけちょっと違っていてとても甘く切ない気持ちを盛り上げてくれます。この部分は曲の締めくくりとして大変素晴らしいと思います。

ここでカタルシスも一気に頂点となるのですが、これを一気に崩していったんBsus4/Cという不完全終止を取ります。その後のcodaは教授が得意中の得意とするバーバー"Adagio"風の展開で、弦と木管でたいへん美しく演奏されます。しかしその展開から最後に導かれるのはなんとD-majorの完全終止!テンションも何も入っていない、全く純粋な終止形です*注3。そう、絶対に終止形を取らないと言われた教授ですが、メジャー調ではこの曲が初の完全終止となったのでした。というわけで、僕はこの完全終止をもって教授の勝利宣言と受けとめました(笑)。

この曲のあと、教授は再生YMOと"Little Buddha"をやります。"Little Buddha"は、El Mar Mediterraniの成果がすべて出たようなサントラで、弦のメロディがよりいっそう濃密なものとなっただけではなく、金管や民族楽器まで幅広いオーケストラサウンドとなったのでした。

 

*注釈

  1. "Front Line"の歌詞の一節にも同じような言葉があります。英語ですが。←日本語で強いメッセージを出すのが恥ずかしかったらしいです(^^;)。
  2. 80年代後半のポップス界はモロ出しなsus4とかペンタトニックを使った、いかにも現代風なアレンジは恥とされていた頃で、教授もあれほどのめり込んでいたエスノ(沖縄)を捨てて"HeartBeat"を作っちゃいました。
  3. この曲以前で完全終止する曲として"Sheltering Sky"のテーマがありますが、あれはマイナー調なので別格扱いとさせていただきます。しかし、この後も教授は完全終止の曲がほとんどないっす。"Little Buddha"のテーマだと、この曲のcoda前と同じ響きのEsus4/Fで見事な不完全終止だし、かの名曲"A flower is not a flower"も似たような終わり方なのよ。BTTB収録の"Sonatine"が完全終止だって話ですが(^^;)。

 

ライヴ:Playing the Orchestra 'f'

僕はこの曲が大好きでしたので、オリンピックが終わった後もビデオを繰り返し見ては感動していたのですが、なんとオーケストラを率いたライヴで生演奏を聴く機会に恵まれました。これがもう、ある程度の覚悟はしていたんですが、予想を遥かに上回る凄さでした。この難曲を演奏し切るだけでもすごいと思うのですが、やはり生演奏の迫力は違います。教授をして「DATに録音してみたら、そのままCDにできそうなほど素晴らしい演奏」というライヴでしたが、とにかく頭を殴られたような衝撃を受けました。音楽から大きな衝撃を受けるという経験はあまりなくて、それまでも教授の音楽はかっこいいけど衝撃的ではないという感じだったんですよね。そんな認識をこっぱ微塵に砕くようなすさまじい演奏だったわけです。最後のメロディのあたりでは亢奮のあまり脈拍が200bpmくらいに上がって死ぬかと思いましたが(笑)。←それも本望かも。しかしこのライヴは凄かったんですよね。最終日なんか、この曲で泣いてる人がけっこういたし。というか、最初は1回しか観ないつもりだったんですが、僕自身あまりに素晴らしい演奏に感激して、急遽最終日のチケットも取ってしまったという経緯があったのです。なお、この最終日の様子は「Playing the Orchestra 'f'」としてビデオにもなっていますが、このCDのバージョンよりもぐっとテンポアップして、より熱いアレンジへと生まれ変わっています。

 

1999.04.25

 

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