珠玉の作品 

Lucy / 大貫妙子

 

「12年ぶりに大貫さんと仕事をした。改めて大貫さんの、クオリティと暖かみのある音楽を求める厳しい姿勢に感動した。ひとつひとつの音を大貫さんに、お伺いをたてて、大事に作った。珠玉の作品であると、自負している。是非、たくさんの方に聴いてもらいたい。」

坂本龍一のこの言葉がアルバムの全てを物語っていると言っても過言ではありません。1曲ごとのクオリティの高さはもう言うまでもなく、個々の曲がそれぞれ白眉といっても過言ではありません。そしてこのアルバムでの坂本龍一の役割は、大貫妙子の手足となり作詞・作曲・歌唱以外のすべての仕事をこなしたということになります。

実は、坂本龍一は頑固に我を通す性格なので、他のアーティストとの共同プロデュースとか共作とかいろいろやっているわりに、あんまり上手くいったことがない人です。シングル1曲くらいならなんとかできるのですが、アルバム1枚を作るとなると、サウンド上の些細なことで他人と意見が対立してしまうようです。ロビン・スコットらと作った「左うでの夢」、ビル・ラズウェルとの共同プロデュースだった"NEO GEO"、シルビアンとのアルバム(未完成のまま無期延期中)など、例を挙げればきりがありません。ですから、YMOの成功は奇跡だったということもできます。

坂本龍一が他人の作品に参加して成功するのは、完全に自分のプロデュースとした場合か、単に1ミュージシャン・1アレンジャーとして参加した場合に限られています。本作においては全曲が坂本の手を経ていることからもわかるように、完全にプロデューサーとして機能していたと思われます。しかも、全曲にわたって自分のプライベートスタジオで、自分自身でキーボードを演奏しているわけです。にもかかわらず、コンセプト上では完全に大貫妙子の奴隷になっているのがミソです。大貫が手綱師とすれば、教授は馬車馬(笑)。これにより、誰に気兼ねすることもなく、大貫妙子の示す方向だけを目標に、自分の好きなようにサウンド構築をすることができたのではないでしょうか。教授のソロアルバム以外で、こんなに伸び伸びとした教授の演奏を聴くのはずいぶん久しぶりのような気がします。シンセやピアノやRhodesと様々なキーボードを、例のしかめっ面をしながらも楽しそうに弾いている様子が目に浮かぶようです。しかも昔と違って教授も大人になりましたから、制作にあたるスタンスも大人で、キーボードはボーカルのサポートに徹してますよね。このように、音楽において一歩引くことを知ってるのが大人のミュージシャンだと思うのです。昔は歌詞も何にも考えずにガシガシとオケを作っては「こんな唄いにくいサウンドで、いったいどうしてくれるのよ!」と大貫さんや矢野顕子さんに叱られていたそうですし、唄とサウンド(オケ)が乖離しているようなイメージの曲も少なからずありました。今回はそのようなことはなく、バックのサウンドがとても気持ちよく融合しているように思います。

このアルバムに収録された楽曲の素晴らしさは言うまでもありませんが、価値をさらに高めているのが曲順の見事さです。ポップでコケティッシュで可愛らしい曲から始まり、さまざまなサウンドバリエーションを聴かせてくれたあとの中間部ではボサノバでちょっと息抜き、最後は怒涛の爆涙系バラード攻撃と、とてもドラマチックな構成で全10曲を存分に味わうことができます。近年の教授関連のアルバムとしては、ちょっと文句の付けようがない内容ではないでしょうか。1997年の発表ですが、個人的にはこの年のポップス部門のベストアルバムだと思っています。

 

各曲解説

LULU

なんかすごく懐かしいサウンドです。アナログシンセのベースにフランジャーのかかったハイハット、Fairlightのノイズの混じったPadのコードと音色、すべてが80年代「音楽図鑑」の頃の雰囲気で微笑ましいです。あの頃も同じようなコンセプトのアレンジで「子猫物語」のテーマ曲がありました。なあんだ、教授も全然変わってないじゃないか、と思うかも知れませんが、サウンドから感じられる余裕や暖かみが全然違います。しかもサビの区切りにアクセント的に入るピアノのコードが中谷美紀の"Mind Circus"を彷彿させます(笑)。ただし、尖った音が全く入っていないマイルド&スウィート路線なのが大きな違いです。よく通る声をした中谷と、柔らかい大貫の声質を見極めて、シンセの音色を使い分けているわけです。可愛らしい曲と歌詞に、愛情たっぷりの丁寧なアレンジが光る1曲。さりげなく流しているようで、実はとっても教授的なBメロのコード進行が僕的にはすごいと思います。あと、最後の終わり方も面白いアイディアですよね。

Happy-go-Lucy

悲しいだけの曲を聴くのは憂鬱なものですが、僕はHappy-go-Lucyだけの曲もあまり好きではないんです。何か物足りなく思ってしまうんですよね。それは教授たちも同じだと思うんです。もちろんこの曲では、「苦しいときも、泣きたいときも」「まよっていても、たいくつでも」「うれしい時も、悲しい時も」、Happy-go-Lucyな気持ちで行きましょ、という歌詞です。さすがに達観してますな。チャップリンの映画に出てきた名曲、"Smile"と似たような意味あいになるように感じました。
サウンド面を見ると、こういったミディアム・テンポの曲をグルーヴィに仕上げるコツはパーカッションの演奏にかかっていると言ってもいいのですが、ここでは生と打ち込みの両方を使っています。どちらかというと教授はリズムが弱い人なので、最近ではミディアム・テンポの曲ではパーカッショニスト起用するようになりましたね。それとWill Lee(ベース)がかなりハイテクニックで音数の多いプレイをしてるんですが、これは相当に譜面で指定がしてあったんじゃないかなと思います。←音価が短くて手数が多いのが教授のベースラインの特徴なので(笑)。ずっと入ってるピアノはひょっとして懐かしのDX-7かなあ。シンセ系ベードラの音色もとても面白い音色ですし、タンバリンにかかってるリバーブも凄いですね。洗練され尽くされやサウンドと言えます。

Simba Kubna

大貫さんとアフリカものは切っても切れない仲にあるといってもよいのですが、サウンド的にもサバンナの熱風を感じさせるようなアレンジになっていてさすがです。これも生と打ち込みパーカッションが共存していて、"Happy-go-Lucy"と同じようなつくり方になっているので、同時進行で録音していたのではないかと思います。ベースとギターでかなり複雑なリズムになっているし、これも譜面で指定したんじゃないかなーとか推測しますが。作り込まれたPadの音色も素晴らしいですんですが、雰囲気的には「音楽図鑑」の頃を彷彿させる音色ですよね(笑)。

Volcano

これも同じく昔の「旅の極北」のような、寂寥感を感じさせるサウンドです。たっぷりとフランジャーのかかったストリングスが出だしからすごいんですが、そこへさらに生の弦を絡ませるアレンジは驚きました。わりと情熱的な歌詞だと思うのですが、サウンドの盛り上がりとは対照的なストイックな唄い方が面白いです。

TANGO

生弦+ピアノによるオケで思いきりロマンティックなアレンジと演奏を聴かせてくれます。"Smoochy"に収録されたバージョンよりも切なさが強調されており、アルバム中盤のハイライトと言ってよいでしょう。というか、やはり教授自身で唄わないほうが良かったのではないのでしょうか(笑)。この素晴らしいトラックを聴いていると、こちらの方がオリジナル・バージョンと言っても良いように思います。それにしても教授って、こういう弦のアレンジをやらせると世界一上手いですね。

夢のあと

ボサノバのメロディに散文詩のような歌詞が乗った小品。ギター&パーカッションのVinicius Cantuariaが大活躍しています。この曲はArto Lindsayのアレンジ&プロデュースです。教授がピアノ&キーボードを弾いてるせいもありますがかなり控えめな演奏ですし、他の曲との違和感がないのが凄いです。

Cacao

さらにボサノバです。歌詞もブラジル調ですね。「カカオ、カッカッオ、それわお金の成る木」なんていうフレーズは、思わず吹き出してしまうほどおかしくて楽しいです。妙にチープなシンセ・フルートやオルガンやクラビネットの音色も微笑ましくて可愛いし、力の抜け方がいいんですよね。この曲がアルバムで最も気に入ってるかもしれない(笑)。サウンド上の謎は4拍目に右チャンネルに入ってくるギロみたいなパーカッションです。この音色は何なのでしょうか。わかんないっす。

Mon doux soleil

今度はシャンソン。なので当然フランス語の歌詞が出てきます。おまけに妙にエロティックです。大貫妙子って声だけを聴いてると全然セクシーじゃないんだけど、こういう曲だと体温が感じられて妙に色っぽいんですよね。静謐さの中に少しだけ見える大人のエロティシズムといった感じです。おまけにテンポの速い8ビートなアレンジになっているのが小粋でお茶目です。ここで"TANGO"のような濃い目のアレンジをするとToo muchで、ちょっと軽めのサウンドの方が良いんですね。このバランス感覚はお見事です。それに、かっちりとしたピアノのバッキングも、もういかにも教授って感じです。最後の方にちらりと出てくるピアノソロはかなり格好良いので、もうちょっと長く聴きたかったなあ。あと大貫さんの唄い方もとてもカッコイイです。ちょっと梓みちよ風ですな。

空へ

また凄い曲が生まれてしまいました。この素晴らしい弦を聴くと、彼の才能はこういう曲のためにあるのではないかとすら思えます。いろいろな引き出しを持っている教授ですが、こと弦アレンジに関しては自由自在というか天才的なところがあります。しかしこれも、楽曲の良さがあってこそ。マイナー7th/9thで始まるメロディはそれだけで哀しく美しく響きますが、何より凄いのは、やはり歌詞です。歌詞と言うより、散文詩のようなのですが、なんとも切なく狂おしい思いが綴られています。

愛して虚しく
すべてが愛しい
たとえどれほど 愛が残酷でも

この一節に込められた情念の深さ。
いつも、この部分で深々と頭を垂れてしまう自分です。実は僕はこういったフレーズに感情移入することは少なかったんですけど、大貫妙子の歌詞は別格です。もう少し冷静に分析すると、このようなイメージの強烈な一節の後すぐに次に進まず、複雑な感情を反すうするのを待ってくれるように、直後に弦とピアノの間奏が入ってくるのです。つまり、思わず頭を垂れて感慨に浸るだけの余韻を持たせるアレンジ上の設計がなされているのです。そしてさらに大きく盛り上がった後にコーダとなります。ところがこのコーダもひとすじなわではいかない(笑)。コードがオープンになってないんです。DM7のトップにバイオリンがDで鳴ってて、チェロとビオラの演奏するD-F#-A-C#のアルペジオのC#と半音同志ぶつかってるんですよね。内声がアルペジオになってるから、ぶつかったり離れたりするんですが、刻一刻と変化する微妙な響きの色合いがとても美しいんです。そして最後は半音がぶつかったままの半終止。もう、なんて憎らしいアレンジをするんだろう、と思いました。まさに珠玉の音楽です。

Rain

「空へ」で頂点に達した気持ちを、ゆっくりとほぐしてくれるような佳曲です。Rhodesとサックスを中心にしたアンサンブルに加えて、教授の得意とする正体不明のアンビエントがたっぷりと入っていて、不思議な時空感覚をもたらします。全体の雰囲気はシャンソン風のバラードで、ゆっくりとしたテンポの中に大きなグルーヴを感じさせる演奏と唄が心地よいラストナンバーです。 

1999.01.30

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