愛ある暮らしもラクじゃない。<第二部>

Love Life / 矢野顕子

 

構成的にわりと大ざっぱ

なアレンジがこのアルバムの特徴になっている。全体的にピアノ弾き語り+バンドサウンドが基本である。当然キーボードもほとんどアッコちゃんが弾いていて、特にオルガン系のプレイにセンスの良さを感じさせてくれる。音を切るタイミングが実にシャープにコントロールされているのだ。ちなみにアッコちゃんが弾かなかった唯一のフレーズは"SAYONARA-CHEROKEE"の最後の方に出てくる『ピロロロロー』という下降音だけである(ここだけシーケンサなのだ)。また、坂本龍一が参加していないので、シンセサイザーやサンプラーを駆使した切り貼り的アレンジが消滅してしまったことが特筆される。そういう細かい部分の配慮よりも、曲全体の流れを重視したのが今回のアレンジだと重う。
そのため、この大ざっぱさは決してマイナス方向には働いていない。少々無理してポップ路線に行った感のある"グラノーラ"や、絶妙な空気感を持つものの小品と言うべき曲が半数を占めた"Welcome Back"と比較すると、本作では格段に詞曲が充実している。したがって小手先のアレンジ技術を利用するよりも、曲そのもので勝負した方がベターという判断があったのだろう。

一方で、かなり細部にこだわったのがコード進行である。矢野の生み出す摩訶不思議なコード感覚は、前作の"Watching You"あたりから一層洗練されはじめていたのだが、今回もさりげなく大胆な和音を用いているケースが多い。「釣りに行こう」のAメロの進行などは坂本龍一も真っ青な分数コードの嵐だし、「ANGLER'S SUMMER」に至っては変拍子の上にクラスター攻撃である。このあたりは各曲ごとに書いていきたい。

 

各曲解説

BAKABON

1曲目はオドカシ、というお約束ナンバーである。ついでに言うと「ニューヨークのやの」のお約束としては1曲目にホーンが入るのだ。当然、ホーンアレンジはGil Goldsteinがやっている。しかしこの曲派単なるおどかしでなく、意外と内容が深い。まず問題はメロディで、冒頭からいきなり10度も跳躍するのだ(下記譜面参照)。何気なくサラリと唄われているように聞こえるが、これだけの跳躍音を自然に表現するのは大変に高度なボイスコントロールを必要とする。ここは普通なら3度にすると思うのだが、彼女の唄を聴いていると10度でも全く不自然さが感じられない。しかし普通の神経の持ち主だったらこんなに唄いにくい旋律は作らないと思われる(笑)。

 

釣りに行こう

THE BOOMとの共作のセルフカバー。しかし、何もここまで難しいコード進行を作り出すことないのに、というほど凝った展開になっている。ギターの大村憲司が大変苦労したというエピソードが残っている(苦笑)。また、ベースはアッコちゃんがシンセベースを弾いている(MIDI化されたMINI-MOOGと思われる)。このアルバムでは彼女によるシンセベースをいろいろな曲で聴くことができるが、非常に有機的なフレーズで気持ちが良い。僕は以前から矢野顕子のピアノ演奏における左手(つまり低音部)の使い方に特徴があることを知っていて、そのエッセンスを抜き出したのがこのようなシンセベースのプレイということができる。これを生のベースに置き換えるとそのままWill Leeになるという話もある(笑)。

 

THE LETTER

というわけでベースが聞き所となる曲の登場である。クレジットではWill Leeがベースを弾いていることになっているが、サビのフレーズはアッコちゃんが指定したと思われる。しかし、このテンポで、このノリで、これだけの超絶フレーズを弾いてのけるWill Leeは大したものだ。
アッコちゃんのオルガンも大活躍しているがアレンジ的にベースとの絡みが重視された周到なものになっており、このアルバムではかなり異色である。間奏でのコードを提示するだけのピアノも面白い。サビのピアノは左手のオクターブ進行にアッコちゃんの手癖がそのまま出ている。2−4にアクセントを置いて弾くとかなり「それらしい」演奏になる。

 

ANGLER'S SUMMER

めちゃくちゃ過激な曲。初心者にはとっつきにくいと思われる(笑)。Aメロ(?)の変拍子&無調クラスター攻撃から成り立つ緊張感あふれるオケに、とことんのどかな詞をのどかに乗せてしまう感覚も、かなり過激なものがある。しかしさすがにサビはまともな進行になっていてほっとさせられる。というか、ホッとさせるようにコードをアレンジしているのだ。ところがブリッジになるとまた妙な進行があったりして、余談を許さない。またNana Vasconcelosのパーカッションが大変素晴らしい。よくこのサウンドに合わせたものである。
詞についてはニューヨーク暮らしと「釣りに行こう」からのアイディアだと思うが、このアルバムには他にも釣りをキーワードにした曲がいくつかあって、不思議な連携が取れているあたり面白い。

 

スナオになりたい。

弾き語りが基本となったシンプルなアレンジ。サウンド上では、スティール・ギターとレゾったPADが特徴になっているが、基本はあくまでも弾き語りと考えてよいだろう。糸井重里の歌詞にメロディを付けるという作業は、矢野顕子にとっては呼吸するよりも楽なのかもしれないが、そういう曲については凝ったことをする必要がないのである。というわけで、サビのキーボードの進行などはこれまた手癖といっても良い左手のオクターブ進行が出てくる。面白いのは間奏でのピアノ低音部で、このフレーズはどう聴いても荒井由実の「生まれた街で」で細野晴臣が演奏していたイントロ部ベースそのものである。譜面を参照されたい。

 

湖のふもとでねこと暮らしている

Steve Ferroneのドラムが超かっこいい。出だしから変拍子という恐ろしさなのだが、例によってノリ一発で持っていってしまう。構成・アレンジとも文句の付けようがない完璧さである。最近のライヴでも演奏しているが、アレンジが全く変わっていないのも頷ける。特に、転調と三拍子を経由してAメロへ戻っていく間奏のアイディアは光る。これだけのアレンジができれば、坂本がいらなくなるのも当然だろう。ところで、「湖のほとり」が正しいと思うのですがいかがでしょう。

 

SAYANARA - CHEROKEE

2曲を繋げてしまうアイディアが面白い(かなり強引ではあるが)。この曲では矢野以外のミュージシャンの裁量範囲が大きいようで、例えばドラムやベースはFerroneとLeeがかなり好き勝手に演っている様子がうかがえる。Jeff Bovaによるパーカッションの打ち込みも絶妙である。

 

いいこ いいこ

糸井重里の歌詞が素晴らしい。サウンド的にはPat Methenyが大活躍している。特に間奏でのアコースティックギター多重録音は驚きで、シンセサイザーの響きと相まって非常に複雑なサウンド・テクスチュアを構成している。最小限の音数で演奏されるキーボードも要チェックである。

 

愛はたくさん

とても歌詞が重い曲である。ここまでの内容が唄われてしまうと、アレンジはシンプルにせざるを得ない。実際、循環コードを中心にして決めの部分にテンションコードを持ってくる程度であり、これで十分感動させることができる。・・・のであるが、最後にPat Methenyトレードマークな超絶ギターシンセ・ソロが入っちゃうのだ。このアイディアはMetheny自身から提案されたのだが、矢野としては当初はミスマッチだと考えていたらしい。結局採用されたわけだが、「あのソロは夜中の2時くらいに録音したんだけど、弾いておいてもらって本当に良かったわね〜」と感謝の辞を述べていた。しかしここまでMethenyに本気で弾かせてしまう矢野は、ある意味偉大かもしれない。結果として、Methenyのギターシンセ・ソロがこのアルバムのカタルシスの頂点にきてしまったわけだ。なお下の楽譜は間奏でのPatのエレクトリックギターによるソロ。便宜上このような楽譜になっているが、実際にはリズムは大きくうねっており、オンビートでない箇所も多い。2〜5小節と6〜9小節が呼応した音型になっているところにも注目。最後に短3度下に転調してAメロに戻っていくところが切なくて良い。

実は僕はこの曲が矢野顕子の最高傑作だと思っていて、詞と曲がここまで素晴らしいのに、さらにこんなにすごい演奏をしてくれちゃってどうすればいいんだ的な感想を持っている。いつ聴いてもしみじみとした深い感動を味わえる名曲である。MIDIデータ(SC88用)なんかも作ったりしてるので、興味のある人はダウンロードしてみるのも一興かと。Lotslove.mid←ここをクリックしてファイルを保存。標準MIDIファイル形式104kB(でかい)。

 

LOVE LIFE

アッコちゃんのピアノと唄に完璧に合ってしまうギターが素晴らしい。特に間奏のクラリネット、ギターのソロはそれぞれが白眉である。
しかしこの曲、メロディとコード進行が特徴的で、マイナー系のペンタトニックで始まってすぐに転調した後、またすぐ元に戻る。実はこれは矢野の得意技で、狭い範囲の転調を織り交ぜることでトニックがわかりにくくなり、サウンドに独特な浮遊感が出てくるのだ。教授もトニックがわかりにくいアレンジをするが、矢野は教授とはまたアプローチが違っているのだ。以前の矢野はサビ前やサビ後に転調を含む印象的な展開部を持ってくることが多かった。「ひとつだけ」や「在広東少年」などが典型で、サビの高揚感の演出に一役買っていた。しかし80年代後半からはそういったあからさまな手法から遠ざかり、Aメロなどの平ウタ部分での調性のあり方をいろいろ工夫することが多くなる。なお90年代での類似例としては"SuperFolkSong"の「それだけで嬉しい」サビ前の大仕掛けが上げられるが、コード進行自体が相当に複雑化しており俗っぽさとは無縁である。

 

2000.11.12 (Original : Sep,2000)

 

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