愛ある暮らしもラクじゃない。

Love Life / 矢野顕子

 

90年代はコレ1枚で事足りる(かもしれない)。

「なんか悲しい曲が多いから、このアルバムはあんまり好きじゃない」という人もいるようだが、僕は大好きな作品である。実際、1990年代の矢野を総括するにはこのアルバムがあればほぼオッケーという感じの密度の高い内容となっている。

90年代の彼女のアルバムは本作のようにバンドサウンドを中心としたものと、"SuperFolkSong"以降の弾き語りという2つの方向性がある。この流れはそのままライヴでも反映されて、バンドサウンドの「さとがえるコンサート」と弾き語りの「出前コンサート」へと発展する。もっとも弾き語りは矢野にとっては呼吸と同じようなものであると推測されるので、方向性という言葉は適切でないかもしれない。しかし90年代に発表されたバンドサウンド系のアルバムについては、それぞれ微妙な差異はあるものの、すべて"Love Life"の延長線上にあると言っても過言ではない。

 

坂本龍一はもういらない。

坂本龍一とデキて以降、ずーっと一緒にアルバムを作ってきた矢野である。確かにこの二人の相性は良かった。坂本龍一のキーボードプレイは一流だし、最新のエレクトロニクスを駆使してサウンドをまとめあげていく能力はそれ以上に優れている。特に、80年代に普及したコンピュータ内蔵タイプのデジタルシンセサイザーやサンプラー、ミキシングコンソールを自由自在に使うことができたのは大きく、機械の苦手な矢野とはまさに好コンビであった。というわけで、この時代の矢野のアルバムは坂本&矢野の二人だけで作っていったものが多い。一方の矢野は坂本と結婚後、一緒にアルバムを作っていく課程で坂本の技術や才能を盗みまくっていたと思われる(笑)。とりあえずおいしいところはゲットできたからあとは一人でもできるわよ、みたいな意識もあったと思うが、前作"Welcome Back"で半数を占めるジャズ系の曲をセルフプロデュースして自信を付けた矢野は、このアルバムでは全曲セルフアレンジ&プロデュースを敢行する。しかし、矢野の機械オンチは相変わらずなので(←本人がそう言ってるのよ)、このアルバムではJeff Bova*1がシンセサイザーのオペレータとして参加している。

ぶっちゃけた話をすると、急速にジャズ・フュージョン系のサウンドに傾倒していく矢野に坂本がついていくことができなかった、というのが真相であると思う。ニューヨーク移住直前のラジオ番組での「朝起きると大音響でジャズがかかっていてすごく不愉快」という教授の発言が象徴しているように、このころから二人のサウンド指向が徐々に乖離していったことがわかる。それに、"Welcome Back"で矢野はPat Methenyと共演して好感触を得たと思うのだが、坂本とMethenyでは共有できるものが何もないような気がする。

しかし改めて考えてみると、遠い異国で自分一人でアルバムを作るというのは、矢野にとっては相当なプレッシャーだったことは想像に難くない。このアルバムのサウンドからはそういった気負いは全く感じられないが、曲作りと演奏以外にもやらなければならないことがいっぱいある状況はストレスになったのだろう。そういった反動から、『どうせ一人でやるなら、弾き語りの方がわずらわしさが無いわね』という発想になり"SuperFolkSong"を生んだとも考えられる。まあ、何から何まで自分でやるのは精神衛生上も良くないし、矢野自身も行き詰まりを感じたようで、その後は自分以外のキーボードプレーヤー(Gil Goldstein)を起用したり、Jeffを共同アレンジに迎えたりと、少しずつ方向を変えていくことになるのだ。

*1
Jeffを矢野に紹介したのは他ならぬ坂本龍一だろう。坂本のアルバム"NEO GEO"やライヴなどで一緒に仕事をしていて、かなり気に入っていたらしい。Jeffはキーボードプレイも大変上手く、このアルバム発表後のアッコちゃん日本ツアーにも同行して見事なプレイを聴かせてくれたが、アルバムでは一切演奏せず裏方に徹している。キーボード類は全部アッコちゃん自身が弾いてるのだ。初顔合わせということもあるし、分をわきまえたサポート振りが光る。特にリズムマシン系の打ち込みは秀逸である。

 

Pat Methenyにはかなわない。

ここまで推測を交えていろいろ書いてみたのだけれども、このアルバムで何がすごいってそれはPat Methenyのギタープレイだということだけは明らかだろう(笑)。7曲目までで十分すぎるほど素晴らしい内容なのだが、その後の3曲は詞曲が傑作中の傑作というだけでなく、Methenyが加わることで別次元の凄味を持つに至った。矢野とMethenyのコンビは"Welcome Back"でも"It's for you"と"Watching You"という傑作を生んでいるが、そのパートナーシップは本作においてさらに強力になったのだ。

矢野顕子の音楽とギターサウンドは合わない。これは以前からいろいろな人が言っていたし、僕自身もそう思うことがよくあった。そもそもアコースティックピアノとディストーション系のギターサウンドは相性が良いとは言えず仕方のない部分もある。それに、合う合わない以前の問題として、ピアノ弾き語りを中心として他のミュージシャンがサポートするという彼女の演奏スタイルにおいては、自己主張の強いギターサウンドが登場する必然性は乏しかった。しかしこのアルバムで聴けるように、彼女の歌とピアノにぴったりと寄り添ったMethenyのギタープレイは、その認識をあっさりとくつがえした。「いいこいいこ」ではサウンド・テクスチュアの大半をギターが受け持っているし、「愛はたくさん」の狂気のようなギターシンセソロはまさしくMethenyの独擅場である。にもかかわらず、矢野顕子の曲の雰囲気を全く阻害せず、むしろ相乗効果をもたらしている。また、彼の特徴である柔らかい音色"Rounded Tone"のギターがアッコちゃんの弾き語りと渾然一体になったラストナンバーに涙した人も多いのではないだろうか。Methenyは他のアーティストのアルバムにゲスト参加することが多いギタリストだが、このアルバムで聴かれるほど深い関わりを持つことはなく、その意味でもたいへん貴重な3曲であると言える。

さて、上記のようにMethenyの参加によってサウンド的にもほとんど文句のないアルバムになったわけだが、唯一気になるのがSteve Ferroneのドラムである。あまりにタイトにビートを刻むため、曲によっては雰囲気が合わないのではないかと思う瞬間もある。タイトなリズムはそのままで、もう少し繊細なプレイが欲しいところだろう。90年代後半において、ジャストなタイム感を持ちつつも繊細なプレイを得意とするCliff Armondを起用したことによってこの問題が解消されていくのは、実は必然性のあることだと言える。

それにしても、こんな形で愛を表現したアーティストが今までいただろうか。矢野が最後の3曲で示した『愛のもつ暖かい厳しさ、寂しさ、悲しさ、そして優しさ』は、"Home Sweet Home"(「峠のわが家」収録)あたりから具体的に表現され始めたものである。本人は「作詞は苦手でいつも最後まで苦労するから、歌詞ができてる曲はラクでいいわ〜」みたいな発言をしているのだが、こんなに複雑な感情を表現しようとしたら苦労するのが当然だと思う。このアルバム以降、矢野はそういった哀愁を表現することが多くなり、それとともにピアノ演奏が大きく変貌していくことになる。

<第二部につづく>

2000.11.05 (Original : Sep,2000)

 

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