かっこいい、でも意外と難解

Erotica / Madonna

 

超話題作の実態は?

センセーショナルなタイトル、同時発売の写真集"Sex"など、随分とハデハデなプロモーションを展開した本作だが、それがマーケティング上の理由だけとは考えにくい。むしろ、本気でアーティスト魂に目覚めてしまったMadonnaが、サウンド作りだけでは飽きたらず全方位的に「モノ作り」をやりたくなった、と捉えた方が自然である。
アーティストは本気で作品を作り出そうとすることにより、自分自身と深く対峙することになる。Madonnaも本作の制作時には自分を見つめなおしたに違いないと思うのだが、その際に自分のパーソナリティの形成において性が深く関わっていることを再認識したのではないか。性というのはフィジカルなセックスはもちろんだが、「女性」である自分、「男性」にはなれない自分、女性である母親からネガティブな影響をうけた自分、男性である父親の記憶がほとんどない自分、など複雑な要因から成り立つ。こんなことを悶々と考えながら作品作りをしていたら当然であろうが、このアルバムの歌詞は非常に内省的で、それまでのMadonnaの作品とは明らかに一線を画すものとなった。

確かにサウンドは扇情的ではあるが、それは直接的なものではなく、あくまでも聞き手のイマジネーション・解釈に委ねられている。そういった点で、お世辞にもポップとは言えない内容になっているし、それまで表面的にしかMadonnaを聴いてこなかった人にとっては非常に難解な作品となってしまったのではないか。
実際のサウンド作りの面でも、Shep Pettiboneがけっこうディープなプロデュースを敢行したこともあって(笑)、少ない音数ながらグルーヴィな打ち込みと重低音のバランスが実に秀逸である。しかし、ハウス色、R&B色ともに希薄で、なんとなく「これがMadonnaのサウンドなのかな」と思えるようなものになっている。また"Justify my Love"での成功を元にプロデュースに加わったAndre Bettsの担当したトラックも素晴らしい。Pettiboneのサウンドはサウンド構成が比較的わかりやすいが、Bettsのサウンドはちょっと凄くて、聞き取れないような分類不能の音がいっぱい入っている。

そんなわけで、それまでのMadonnaのセンセーショナルなイメージとは裏腹に、剛直なアーティスト魂を感じさせる渋いアルバムとなった。ところが日本のマスコミときたら大バカもいいところで、某誌のライターなどは「このアルバムで勃起した!」とか書いていた。笑わせないでほしい。この内省的な歌詞とサウンドのどこに欲情するのだろう。タイトルだけで判断して実際には聴いていないのではないだろうか。

ところで、サウンド作りだけでは飽きたらず全方位的に「モノ作り」をやりたくなった、と書いたが、それで成功したわけではない。やはりいろいろな物事をただ一つのコンセプトでまとめあげるのはなかなか難しいし、コンセプトに縛られるあまり失敗している部分もある。しかし、この作品をもってMadonnaは数多くの人から尊敬すべきアーティストとして認められたことは確かである。アイドルがいつのまにかアーティストになってしまう、というのはよくある話ではあるが、Madonnaの場合はそのスケールが違ったのだ。

サウンド分析

このアルバムはテンポはそんなに速くないのにやたらとグルーヴィな曲が多い。どうしてこのノリが生まれるのだろうか?こういうことはあまりやりたくないのだが、きっちり分析すると「なぜ、このサウンドが気持ちいいのか」がわかりやすいと思うので、解説したいと思う。

下の譜例は1曲目"Erotica"のイントロから入るベースパターンである。

恐ろしいことに"Erotica"は1曲を通してほとんどこのパターンが低域を支配するのだが、まず、その音域の低さに注目(注耳?)していただきたい。このベースラインは実際には譜面に書かれたよりも2オクターブも下で演奏されるのである。ピアノでいうと、いちばん左側のEとF#であるが、実はこのあたりが普通の人間には可聴限界で、これ以下になるときちんとした音程を認識できなくなるというギリギリの線なのだ。しかも音色は限りなくサイン波に近く、倍音成分に乏しい。このため、通奏低音のような効果が生じ、妖しい雰囲気を出すのに一役買っている。

次に大切なのが、1拍目の16分音符のノリである。譜面上は16分で記したが、実際にはジャストタイミングより少し遅れて演奏されている。これが俗に「ハネたリズム」と言われるものである。この曲のテンポは102bpmとやや遅く、そのままジャストに16ビートを刻むと非常に機械的で踊りにくいものとなる。実際、このテンポで人間が演奏してもリズムはハネると思うのだが、ここではコンピュータへの打ち込みでそのハネ方・遅らせ方をコントロールしている。シーケンスソフトのSwing機能を使うとそういうノリも簡単に再現することができるのだ。そして、そのハネ具合が絶妙である。例えば、2曲目の"Fever"は116bpmとかなりテンポアップするのだが、ハネ方は"Erotica"の方が少ない。"Fever"のハイハットを聴くと良くわかるがチキチーチキチー」ではなく「チッキチーチッキチー」のように明らかにビートをハネさせている。そのため、よりアッパーでイケイケな感じがする。

これは、見事なビート・コントロールではないだろうか。"Erotica"がアルバムの1曲目であり、歌詞の内容やサウンドの雰囲気からあまりイケイケにしたくないという配慮があったため、意識的にスウィングの度合いを減らしたからに他ならないのだ。このように、本作はどの曲もリズムのコントロールが絶妙であり、大きな聞き所となっている。

また"Erotica"のボーカルであるが、マイクに近づいて、異常なまでにコンプレッサーでレンジを圧縮して録音されている。これにより、リップノイズやブレス等が強調されて扇情的な雰囲気が醸し出されるのだ。

さて、たった1曲を取ってもこれだけの分量の文章が書けてしまうので、この調子で他の曲まで分析したら何年かかるかわからない(苦笑)。ということで、微視的な分析はここまでとして、次は曲そのものについて書きたいと思う。

プロデューサーの色がはっきりわかる曲

"Erotica"〜"Deeper and Deeper"はShep Pettiboneプロデュースであり、4曲で一貫したシークエンスとなっているのが見事である。もちろん最後の"Deeper and Deeper"が一番盛り上がるのだが、サウンド的な面白味からいうとそれほど大したことはないと思う。ミックスも保土田剛で、方法論としては"Vogue"と全く同じで目新しさがない。もっとも、最後にその"Vogue"のサビが挿入されたのには参った。一歩間違えるとダサダサな展開になる危険性があったと思うがこれは大正解で、この部分にカタルシスを持ってくるのは王道であろう。
そして、その後のBettsプロデュースによる"Where life begins"、これがクセモノなのだ。アレンジ技法がバラエティに富んでおり、アコースティックピアノやフルートの使い方が巧い。特に短いピアノソロを入れたりするセンスは脱帽である。Pettiboneのように1曲の中では多くの展開を作らずに、ちょっとしたソロ等で変化を付けるわけだ。
"BAD GIRL"は捨て曲ぽいのでおいといて(笑)、次にまたBettsによる"Wating"がくる。これも超クセモノで、構成としては"Where life begins"とほとんど同じなんだけど、見事に全く違う曲になっている。ブレイクビーツの選び方もすごい。
"Thief of hearts"と"Words"はPettibone-保土田剛路線によるもの。そして名曲"Rain"となる。"Why is so hard"は安室の曲にもパクられていた(笑)。"In this life"はこのアルバムでは異色で、友人の死がテーマになったもの。重い歌詞にアレンジが押され気味なのが惜しい。
最後の"Secret Garden"、これもBettsプロデュースの大問題作。どちらかというとかっちりしたPettiboneのサウンドに対して、とことん柔軟なイメージで、僕はとても気に入っている。

以上、つらつらと書いてきたが、現実問題として、Madonnaに対してステレオタイプなイメージしか抱いてこなかった人や、初期のようなポップさを期待した人は、このアルバムを全く理解できなかったと思う。僕もいまだによくわからない部分が多い、難しい作品である。しかしサウンドはとても格好良くて魅力的。発売後5年を経過するが、この手のサウンドにしては古さを感じさせないのも良い。ともかく、このグルーヴに身を委ねるだけでも気持ちが良いのだから。
確かにコンセプト面で頭でっかちになった感は否めないが、Madonnaが真にアーティストとして道を歩みだした記念碑的作品である。

1998/08/01

 

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