男の子になりたいの。

ボーイ・ソプラノ / コシミハル

 

基本的コンセプトは前作『パラレリズム』の延長にあって、やはり耽美派テクノです。ただ、内容はかなり異なってきています。まず歌詞ですが、前作はエロティシズムな雰囲気が濃厚な耽美系で、ひとつ間違うと才気煥発やおい少女系になってしまったわけですが、このアルバムではエロティックな感覚はかなり影を潜め、むしろストイックな世界が広がっています。多少の妖しさは残っているのですが、前作のような不気味なものでなく、かなりコケティッシュで可愛いげのあるエロスなんですね。このあたり、『ボーイ・ソプラノ』というアルバムタイトルとも実に良くマッチしていると思います。変声期まえの男の子の声があわせ持つストイックさとエロスを表現したいということでしょうか。ただ、本人は当時のインタビューやライヴでも語っていましたが「空ってキレイだなとか、寒い時期の空気が気持ちいいなとか思って、そういう何気ない日常の中で自分にとって美しく感じることを表現したい」ということで、今までは空想の中に耽美空間を作っていた現実逃避系から徐々に地に足をつけた日々之耽美派(笑)へと昇華していったようです。

サウンド面では前作から大幅に変わっています。サンプリングマシンなどのデジタルな録音機材が台頭してきたこともありますが、この時期ミハルちゃん自身がエンジニアリングの知識や技能を身につけ始めたこともあって、彼女自身のアレンジによる曲が非常に増えました。前作までは、スタジオに入ってから細野さんと共同でアレンジを詰めていったようなのですが、このアルバムからはミハルちゃん個人でデモテープを作ってからスタジオ入りしたようです。プロデュースは細野さんなのですが、実質的にはほとんどミハルちゃん一人でサウンドを作り上げたようなもので、本人としても大変な自信となったようです。そのため、細野さんっぽい感覚が非常に希薄になっていて、全体的にタイトで引き締まったサウンドになっています。実はこの頃、細野さんはFOE(FRIENDS OF EARTH)を結成して、ノンスタンダード・レーベルなんかも立ち上げて、けっこう忙しい時期だったんですね。それで、このアルバムも全面参加というわけにはいかなかったようで、サウンド面・演奏面ともに深く関わっていた前作とはうってかわって、実際に細野さんが参加した曲はほんの一部になっています。

−各曲解説−

野ばら
『野ばら』をテクノで唄いたい!・・・というミハルちゃんの欲求のがこのアルバムを作る直接的な動機になっていたようなので、オープニングも当然この曲です。このサウンドは当時それなりにインパクトはありましたが、アレンジがさっさりしすぎていて今一歩という感じがしないでもありません。実はその後、カヴァーの天才・矢野顕子さんが彼女のアルバム『グラノーラ』で同じく「野ばら」をJazzアレンジでカヴァーしまして、そのあまりの懐の深さに私を含め多くのリスナーが恐れおののくという事件が起こってしまい、ミハルちゃんのバージョンの印象があっさりとかき消されてしまったというのが真相でございます。
夕べの祈り
これはまず歌詞ですね。この日常的幸福、日常的美しさを表現した歌詞に共感したんだと思います。だからアレンジは非常にシンプル。
アヴェ・マリア
再びシューベルトの歌曲です。当時ミハルちゃんはクラシックのアリアにハマっていたらしく、いろいろ聴いたりしてカヴァーを狙っていたようなのですが、最も有名なこの曲に落ちついた感じです。やはりアレンジはシンプルで、ちょっとあっさりしすぎているような気がします。次作でモーツアルトの「アレルヤ」をカヴァーすることになるのですが、そちら方は細野さんがアレンジしたので捻りが効いてて良いと思います。
マリアンジュ
シャンソンの影響が感じられる曲。『野ばら』とのカップリングでシングルになったのですが、僕は当時この曲の良さがわからなかったんです。でも今はとても好きになりました。ピアノやシンセを何重にもユニゾンして作っているイントロの雰囲気が素晴らしく、コケティッシュな可愛いさやちょっと悪戯で小悪魔的な雰囲気など、その後のコシミハルのイメージを方向付ける重要な曲になったと思います。
マドモアゼル・ジュジュ
これはおかしな曲で、だってタイトルが『マダム・ジュジュ』ですよ。半分冗談じゃないかと思うくらい(笑)。しかし古っぽい楽器の音色をテクノなリズムに乗せたアレンジが実に見事で、その後の『Echo de Miharu』への伏線になるような気がしないでもありません。でも歌詞とかメロディの雰囲気は前作「パラレリズム」の延長上で、かなりエロティックです。
カトレアの夜
カトレアは熱帯椿とも書くようでして、この曲もインド調なリズムにスラブ系のスケールが乗って、妙な雰囲気になっています。ただサウンドの歯切れが良すぎて、ドロドロした雰囲気がほとんど感じられないのが惜しいと思います。
走れウサギ
うーん、名曲ですー。というかこの曲のためだけにこのアルバムを買う価値があります(笑)。この曲と『Home Sweet Home』(矢野顕子)が1985年の私のすべてであったと言っても過言ではありません。作詞:糸井重里、作曲:細野晴臣ときたらもう無敵です。やっぱりこの二人は天才ですね。糸井氏はミハルちゃん以上に彼女らしい世界を詩の中で構築してしいるだけでなく、ちょっと悲しげな哀愁すら感じられるんです。それを増幅するかのように切ないメロディ、そしてミハルちゃんのアレンジは正統派テクノ+ロマンティックな進行。こんなにコテコテにテクノなのに、どうしてこんなに泣かせてくれるんでしょう。
Lip Schutz
日本語ラップですが、彼女がやると思いっきり変ですね(笑)。この曲は細野さん全面参加で、なんと彼自身によるベースが聴けます。このベースのフレーズが見事で、もう誰が聴いてもすぐに細野さんだとわかるんですけど、これが無いと普通の曲になってしまったと思います。

1999.10.17

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