香港にかかってきた一本の電話






僕はそのとき香港のとある喫茶店でその日3杯目のコーヒーを飲んでいた。

株式会社アミーゴ、国際部を取り仕切る京都支社長として仕事で来ていたのだ。

イギリスのコーヒーはまずいのになんで香港のコーヒーはこんなにおいしいのだろう。

コーヒーを運んできたウェイトレスの女のコがかわいかったのも何か影響しているのかもしれない。

僕がブルーマウンテンを飲んでいると、先ほどそのコーヒーを運んできたウェイトレスが、お客さまにコレクトコールです、と伝えた。

泊まっているホテルならいざしらず、出先の喫茶店に僕がいることを知ってる人というのは誰だろう?

「Hello?」

タワシだ

社長だった。きっとワタシだ、と言いたかったのだろう。

ここで「あんた亀の子か?!」というツッコミはきっと相手の思う壺だ。

「あ、どうも。お久しぶりです」

「久しぶりだね。先週一緒にマクドにバイトしに行ったきりじゃないか」

だから行ってねぇんだよ。

それとも何か?ご一緒にポテトはいかがですか、って言いたいのか?

「はあ、私は行っておりませんが(汗)・・・」

「ところで仕事のほうはどうなってるね?」

「すこぶる快調です」

なにッ、化け物の鳥が飛んでいるだと?

怪鳥ではありません。それでは会話が意味不明です。快調です。すこぶる順調です」

「それはよかった。用件の前に気になってることがあってね。一つ聞きたいんだが紳士君はワシを尊敬してるかね?」

「え? ええ、もちろん尊敬しています」

最近は少しだけ、という言葉は飲み込まざるを得なかった。

「ところで例の件だが・・・」

「例の件・・・ですか?」

南斗水鳥拳のことじゃないぞ

「それでは”レイの拳”です。日本語は通じてます。ただ、何のことだか・・・」

社長との会話は、普段の5倍の時間を必要とした。

無駄な会話が多いからである。

それにしても「例の件」とは何のことだろう?

ワラビさんの女子研修室とのもめ事のことだろうか?

それとも最近僕が自分の支社のことをほったらかしにしている件だろうか?

あるいはインターネットビジネスとは切り離せない「Windows Me」のことだろうか?

ほんの数秒、頭をひねってみたがどれもピンとこない。

「墓参りにいくために必要なチケットのことじゃないぞ」

「・・・。の券じゃないこともわかってます。しかもそれ、ちょっとムリがあります」

「今香港にいるのだろう? 買ってきてほしいモノがあると言ったじゃないか」

そうだった。そんなようなことを言っていた気もする。

「あ、コピーしたCD−ROMでも使えるようにチップを違法改造したプレステですね? でもあれは違法だから持ち込めないって行くときに言ったじゃないですか。ダメですよ、買えませんって」

「いやーん、ケチ」

「かわいらしい声出したってダメなものはダメなんです」

今やプレステは世界的に人気のテレビゲームだがソフトが高価なのが珠にキズである。

そこで違法にコピーしたソフトが出回るワケだが、香港の路地裏に並んでいるようなプレステは、そういった違法ソフトでも稼働するようにコピー判読チップが機能しないように改造されているのだ。

「じゃあ、Nin1ソフト買ってきて」

「それも違法!」

「じゃあ大麻」

「もっと違法!! 空港ですぐに見つかって異邦の地で監獄行きになっちゃうじゃないですか」

「うーん、じゃあいいや」

「もっとまともなのはないんですか?例えば海産物の缶詰とか珍しい中国茶とか」

「みかんの缶詰」

姫路で買え。・・・キーホルダーとかでいいですか?」

マーライオンのキーホルダーがいい」

それ思いっきりシンガポールだし

「もう、いらない」

「子供みたいにすねないで下さいよ、もうー」

話を切り替えるのが一番だと僕は思った。

「そうだ、最近うちの支社の定時業務報告してないからついでにしちゃいますね。

最近は、そうですね、すいこみ君のネカマネタが秀逸です。

チャットで女子高生のフリして男とチャットして、そのログを公開してるんですけどね」

!?

「あれ、社長、何をあわててるんですか? それからダイスケ君のねえさんネタも筆が上達してきてます」

「そ、それはいいね」

「葵ちゃんはミルキーのJDさんとユニットで”恋は出刃包丁”っていうのやってます。面白いですよ」

「と、ところでそのすりこぎ君?のネカマチャットだが、あ、相手の名前とか出てるのかな?」

「確かハンドルネームは出てたと思いますよ。何だったっけ?エイ・・・」

エイ・・?!

「エイ・・・、そうだ思い出した、エイサクだ」

「エイサクか・・・、ふう。紳士君、では気をつけて帰ってくれたまえ。以上だ」

そして電話は切れた。

2回ほどツー、ツー、と鳴ってから無情なコンピュータ音声が「ただいまの料金は300香港ドルになります、ありがとうございました」と伝えた。

意味のあまりない会話は日本円で4500円になったのである。

今度からはコレクトコールは取らないようにしよう、と僕は心に決めた。

やたらと蒸し暑い、香港の8月だった。




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