男は死ぬまで子供であり、女は生まれたときから母親であるという。 この言葉の意味は深い。 今の世の中を見ても、自分の身勝手な理屈を満足させるために他人を犠牲にするのはほとんど男だ。 逆に、常に戦闘を避け、自らが犠牲になりながらも家族や子供を守っているのはほとんど女だ。 戦争に反対するのはいつも母親で、戦争を始めるのは常に男なのだ。 このときの男は子供であるといいかえてもいい。 女はいつの時代も、いくつであっても母性愛というものがあるのかもしれない。 そして男にはいつの時代も、いくつであっても、身勝手な子供っぽさがあるのだろう。 僕はある日それに気がついた。 僕は子供ではなくて女性を守る騎士、大人の男、優しさと厳しさの両方をもってすべてを包み込む人間にならなければならないと思ったのだ。 僕の中にある身勝手な子供の部分、それは捨て去らなければならない。 ちゃちゃら〜、ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃ〜 頭の中で流れる音楽はまさに松平健主演、『暴れん坊将軍』だ。 悪行盛んな江戸の町を、庶民・将軍の両方の立場から守る将軍・吉宗。 江戸の町から見れば彼は悪から守護してくれる父であり、そして悪には厳しく反省を迫る父ではなかったか。 ***** 僕はその日、当時女子高生だった彼女とデートする約束があった。 その日は朝の1限目から授業だったので急いで部屋を出て、そして大学からそのまま彼女の通う高校へクルマで迎えに行った。 大きな見落としがあったことに気がつかずに。 ウチに来る途中のスーパーで買い物をし、ケーキ屋でケーキを買い、ビデオをレンタルするのがお決まりのようなものだった。 部屋に入るとまず彼女は靴下を脱ぎ、部屋でくつろぎながらビデオを観る。 僕はキッチンでパスタをゆでながら彼女の学校の宿題に目を通し、ケーキをお皿に載せてテーブルまで運ぶ。 いつのまにかそうなっていた。 そのときも彼女はいつもどおりビデオをデッキにいれようとしていた。 彼女「○ーくん、なにコレ!!」 !! その声で僕は自分の顔が一瞬にして青白くなったのがわかった。 ビデオデッキにはそのまま入っていたのだ。 『夕樹舞・穴に入れて』 むしろ僕が穴に入りたかった。 あらゆる意味で。 僕「え、あ・・・、それは・・・」 答えに窮する僕に、彼女は、 彼女「もう今回だけだからね。もうこういうの見ちゃダメだよ」 僕「・・・うん。ごめんな。もう見ないから」 ・・・。 彼女にパスタを持っていくのだが、いつも彼女の食べる量はまちまちなのでいつも2人分弱を一皿に作って彼女が残した分を食べることにしていた。 しかしパスタは冷めるにしたがっておいしさは減っていく。 彼女「今日のもおいしいね。○ーくんも食べなよ。はい、あ〜ん♪」 僕「ア〜ン♪」 彼女「こぼしちゃダメ!」 食べ終わったあとは、適当にお皿をシンクに突っ込み、ビデオを途中から観る。 こんなことではいけない。 絶対にいけないのだ。 僕はビデオを観ているフリをしながら必死に現実の自分と向き合おうとした。 僕に欠けているのは何よりも『威厳』だ。 優しさには自信があるが、厳しさに思いっきり欠けている。 欠けているというよりも、ない。 アダルドビデオを発見しても強く叱ることもなく、かといって発見しなかったことにもしない彼女の姿勢。 僕の口にパスタやケーキを運んでくれる優しさとともに、こぼしちゃダメ、と注意するその姿勢。 むしろ彼女のほうが厳しさと優しさにあふれているのではないのか。 暴れん坊将軍・松平健が江戸の町に示した人間的な大きさに匹敵しているのではないか。 じゃあ僕はいったいどうすればよいのだ? そう、こういったものは「垣間見える行動」に強く示される事柄であって、「あからさまに見える行動」には逆に示しにくい事柄なのである。 わざとらしく大仰に見せる行動では優しさと共存する厳しさではなくて、単に傲慢な側面を見せるだけになりかねない。 『トゥルーロマンス』を観ながら僕はますます考えた。 時代は今、クールで危ない男を求めている。 見た目は凶暴で、ナイーブだからこそキレやすい男というのもかっこいい。 しかし、僕は明らかに、どこで間違えたのか完全に道を外れていた。 そもそも意識体と肉体は別物であるという主張がある。 肉体が死んでも意識体が存在するという考えと同じで、意識で何を考えていたとしても、それが必ずしも肉体の追従を伴うものではない、ということだ。 そのときの僕がまさにそうだったのかもしれない。 彼女「ねえ、○ーくん、そこ、好き?」 僕「うん、大好き」 ベッドの上で彼女のひざまくらに頬をすり寄せていた僕はどうみても暴れん坊ではなく、単なる甘えん坊に過ぎなかった。 彼女「あのね、今度のバーゲンでいいし、コート買って♪」 僕「うん、いいよ♪」 そして、弱かった。 秋風が気持ちいい、そんなさわやかな夕暮れのことだった。 |