高齢化社会に向けての税の公平と直間比率の是正について


今回の話はちょっとわき道。資本主義による競争社会と、物質的平等を理想とする社会の間にあrうギャップが顕在化するのが税金問題である。そこで、以下、平等概念というものを、税金政策を通じて説明してみたい。

・はじめに__税金とは

国民一人一人の生活は基本的には各自が責任をもつべきであり、当然そのコスト負担も各自に負担されるべきである。しかし、例えば道路、下水道、電信設備といった産業インフラストラクチャーや、市民会館、警察、裁判所といった社会的インフラストラクチャーの設備に関しては個人が必要だとおもっても彼一人の力ではどうすることも出来ないものである。従ってここでは各個人の要求を聞いてまとめあげる機関が必要となる。これが行政府である。行政府は担当エリアの住民、県民、もしくは国民の要求の中から全体として行う必要のあるものを選び、必要に応じた金額をそれに分配しなくていけない。これが予算作成である。このもととなる財源が税金であり、この税負担は有権者の総意による合意が必要となる。この合意に関してキーとなるのは、いかに“公平”な税負担であるかということだろう。

 

・直間比率の是正

直間比率とは直接税と間接税などの比率である。直接税は所得課税と資産課税からなり、国税として所得税と法人税、地方税としては個人住民税と法人住民税が代表的である。それに対して間接税などは取引税と消費課税からなり、前者は有価証券取引税や不動産取得税などである。後者は来年春から5%になる消費税、酒税など、モノやサービスの消費に課せられる課税である。いわゆる直間比率の是正とは直接税である個人所得税を減らしてウエートを引き下げ、間接税である消費税のウエートを引き上げることによってヨーロッパの主要国に近い直間比率を目指すことを指す。

・政府の考え方

1、高齢化社会を支える勤労世代に過度の負担が偏らないようにするためには世代を通じた税負担の平準化を図り、社会全体の構成員が広く負担を分かちあう税制を目指すべきである。現在の税制では労働年代(30代から50代後半にかけて)のサラリーマン家庭に偏った負担をかけている。今後相対的に労働年代の人口は減っていくと考えられるので改善する必要がある。

2、高齢化社会においても安定的な経済成長をするためには国民一人一人がその活力を充分発揮することのできる税制を目指すべきである。消費に応じた課税は課税の時期を所得の獲得段階から所得の支出段階に切り替えることによって生涯を通じた税負担の平準化につながる。

3、社会保障などの公共サービスを適切に提供し得る安定的な税収を確保する必要がある。高齢化の進展にともなう社会保障費用のように景気変動にかかわらず経常的に財政需要が増大していくなかで、これに適応するためには景気変動に対する影響を受けることの少ない安定的な税収が期待できる消費課税のウエートを増やしていくことが望ましい。

 

・所得税中心主義の主張

ただし、所得税中心の税制には、所得に対して逆進的であるという問題がある。所得の多い層ほど得をするといわれるのがこの点である。所得税中心ではその所得ごとに逆進的な率を定めることによって社会的な富の公平を実現することができたが、消費税を中心にすると奢侈品に関する税や、高所得に対する所得税が結果的に減免されることになり、経済的な弱者に対しては改悪の側面を持つという。したがって、今後の税収確保は所得税中心のまま、株式に対する税を確保したり、業種間の特別所得税格差などの措置をなくし、その他の部分で税源を確保する方が公平であるというのだ。

税の公平に関しては後述に置くが、ひとつ言えるのは日本社会においては年収700万円以下の結果的に増税になってしまう階層の数は非常に微量であるという点である。多数の人間のために少数の人間が犠牲になってもいいのかというとそうではないが、資本主義経済の下では競争に負けてしまう人間がいることも確かである。それと社会福祉の存在を考えてみれば、多少の増税階層の存在も仕方ないと考えられるのである。

 

・結論〜税の公平について

まず、結果的な富の公平を基本とするか、富を得るチャンスの公平を基本とするかで大きく違う。簡単に言えば、前者が社会主義的な公平であり、後者が資本主義的な公平といえるだろう。日本は資本主義の国であるが、たとえば税制ひとつとっても累進課税方式などにより結果的な富の差が大きく開くことはなかった。資本主義社会の中で最も社会主義的な色を濃く持った特殊な国であると言える。したがって、日本の場合、上述の選択は“どちらか”ではなく“どちらも”である点がみえてくる。

しかし、今後の高齢化にともなって結果的な富の公平は縮小していかざるをえないだろう。なぜなら、まず年金制度の縮小が挙げられる。政府の方針が、財政的理由により公的介護よりも家庭による介護を中心とする方向に動かざるをえないのは周知の事である。これは公的な資本の再分配が充分でないことを示す。さらに、高齢者を雇用することが普通の世の中になればそれはすなわち高齢者のなかにも資本主義的な競争が入り込むことを意味し、それは結果的な富の公平とは逆の方向に作用する。

このように問題は、まさに「公平概念」そのものに行きついてしまうのだ。この公平概念の定義については古くはマルクスによる資本主義批判のなかにも同質の問題意識を見つけることができる。現代社会においても新古典派と新マルクス主義の双方がそれなりの理論に沿って主義主張を立てていることから分かる通り、この公平概念の定義を確立することはほぼ不可能といってもいい。むしろ、この両極にある主義をいかにバランスよく両立していくか、という問題設定のほうがより現実的かつ機能的であるように思える。



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