解答例を書く前に、個別の問題から僕が何を感じたか、それをヒトリゴト形式で書いてみたい。そのほうが、多分わかりやすいと思う。 【個別問題の解析】 1、日本の社会は、しばしば「組織と個人」という観点から諸外国と比較される。 この側面を持つ社会問題を自由に取り上げて、この観点に立った議論を検討しなさい。 ほ〜、『組織と個人』か。組織主体と個人主体の人間行動の違いを、日本と欧米にあてはめればいいんだな。 そういやヨーロッパは個人主義が徹底してて、『自我』の発露こそがもっとも価値あることだって教えられてるんだったっけ。 仕事でもなんでもたいてい『個人ベース』なんだよね。基本的に与えられる仕事もチームワークよりは個人的能力重視だし。 企業活動だってそうだよ、市場原理に忠実であれ、というのが信条だから、カルテルだとか談合だとかそういうフェアじゃないやり方っていうのは一番嫌われるんだよね。 さて、で、日本。日本は全体主義の傾向が強いなあ。 『和を以って尊しとせよ』とか『自分を抑えてみんなのために』とかいう言葉あるくらいだからね。 そう、基本的に出る杭は打たれるし、横並びがもっとも美しいんだよね。 市場原理に則って企業間ゲームに勝ち進んでもあんまりいい評価はされなくって、周りの競争相手との調和とか、足並みを気にしながらじゃないと、自分とこの戦略すらも決定できないんだ。 まあその分、『出し抜かれるリスク』がないから安心なんだけどさ。 こういう『組織と個人』という観点で考えたら、この側面をもつ社会問題ってなんだろ? 横並び傾向とそれに対する欧米の批判なんてあたりがここでいわれてる『この観点にたった議論』なんだろうな。 じゃあ、この批判に対して具体例をあげて、再反論をしたらいいんだな。 2、自然科学ないしは社会科学において理論モデルが果たす役割、ならびに理論モデルから得られる予測の有用性といぎについて、考えを述べよ。 3、自然科学と社会科学の差異と共通性については、一方で、両者に共通の方法的な特徴が見いだされると主張され、他方、全く異なると考える主張もある。このような考え方の違いは、どのような理由によると考えるか。 2と3が出題者、きっと同じだな。ぶっちゃけた話、2の答えを使えば3はすぐに解けそうだ。 論理の展開のしかたに若干の違いはあるものの、3の答えって、途中までの2の答えを使うようなものなんだよね。 つまり、3できかれてる異同点っていうのは、ひとつには理論モデルの予測の有効性と意義においてもあてはまるんだから。 さて、自然科学と社会科学。 どっちも『力学』を扱う点では同じだ。 自然科学は自然環境内で、例外なく生じる物理的力学を分析するモノ。一方で、社会科学は一般社会において、生じる『力学』を分析するモノ。 どちらも、『ある任意のアクションを起こした場合に、反応として予想される次のアクションを分析・証明する』という点で同じなんだよね。 物理法則や化学反応は、一定の自然法則にもとづいて『力学』が存在することを証明しようとしているんだから。 社会科学も、一般社会において任意のアクションが社会にどういった反応を引き起こすか、という『力学』を扱っているモノでもある。 たとえば、政府が金融引締めをおこなった場合に市場と企業はどういった反応を示すのか、それを社会法則にのっとって分析するのが社会の力学だ。 でも、自然科学と社会科学では、違う点もあるなあ。 社会科学には『実験』っていうのは存在しないし、理論モデルにがっちりあてはまった事例っていうのも案外少ないんだよね。 なんでだろ。 まあ、ここらへんのことを書いたらいいんだろうな。 4、世界の中の日本の役割 5、(4と似ているのですが) アジアの中の日本ーその過去・現在・未来・について、考えを述べなさい。 4と5も多分出題者は同じ人だな、きっと。 1〜3の問題とこの二つの問題が違ってるのは、そう、問題文が一文しかない点だ。 つまり、ヒントとなる『しぼりこみ』の文章がない分、自由に持論を展開できる、ということだ。経済の話を書いても、国際政治の話を書いても、歴史的な話になっても、題意を踏み外すことがないから、その分、オリジナリティを期待されてる、ってことか。 ただ、自分でかなり『問題提起』と『論点のしぼりこみ』をきっちりしないといけないなあ。 だって、経済の話してたはずなのにいつのまにか国際政治の話になったりしたら論理に一貫性ないしさ。 4は、『どういった』世界の中の『どういった』日本の役割を強調するか、が論点の定義づけの段階で必要になるかな。 そこでどこの分野の話をするのかを書けばいいんだな。 5は、アジアが出てきたからアジア・太平洋戦争と、EAECあたりの話を書く必要があるみたいだ。 つまり、過去:戦争、現在:高度経済成長をするアジアにおける地域経済圏の成長、そして未来は・・・これは持論でOKか。 6、おそらくどのような分野でも、程度の差こそあれ、「事実はいいから意見を出せ」という主張と、「意見はいいから事実を示せ」という主張がぶつかる事があると思われる。 あなたが勉強してきた分野、あるいは勉強しようとしている分野で、こうした議論が生ずる状況を具体的に記述し、それについてあなたの考えを述べなさい。 この問題、経済の知識も社会学の知識も、新聞にでてくるような知識もなんにもいらないみたい。 ただ、ほんとに自分が勉強したい分野に対する熱意を聞いてきてるみたいな感じがする。 事実と意見か。 つまり客観的事象の把握と主観的意見の、いずれが重要か、というお話だな。 でもこれってじつは両方とも一連の流れのなかで必要なんじゃないかなあ。 だって、モノゴトを考えるときって、ほとんどの場合、『緻密な現状認識』→『主観的な意見を元にした分析』ってなるわけだからさ。 自分の考えを発展させて意見を構築する前の段階で、事実をきっちり認識することって必ず必要になるんだよね。 要は、これらのステップの移行点で、どういった衝突が起こるか、を書いたらいいんだな。 『ん?これって事実認識なんだけど自分の意見がはいっちゃうぞ?』とか『自分の意見って、事実がどうあるかによって変わるじゃん』という疑問が浮かぶ状態ってどんなとき? |