資生堂の販売戦略


1、沿革

資生堂が本格的に海外で化粧品の販売を開始したのが1957年、台湾からであった。当時、台湾では化粧品の輸入が禁止されていて、資生堂は「台湾資生堂」を設立して、日本から派遣された技術者の協力のもとで現地生産をはじめた。

2、マーケティング

台湾資生堂の取ったマーケティングは化粧についての知識が乏しい消費者に配慮して店頭で美容指導するチェインストア制度を取った。また、社員教育を徹底し、ビューティーセンターを開設して無料で美容講座を実施するなど顧客への美容指導を地道に続けた。

3、資生堂の海外進出の意識

資生堂はこの台湾進出を筆頭にアジア、ヨーロッパ、アメリカなど世界各地に販路を拡大し、現在の進出国は50数カ国に及ぶ。資生堂の内部には「化粧品という商品はナショナルブランドなしでは生きられない。ワールドワイドにしなくては化粧品メーカーとして続けていけない。」という思想がある。化粧品はまず、20世紀初めにフランス製品が政界的ブランドとなり、戦後、アメリカ製品がそれに代わった。つまり、マーケットが早くからボーダーレス化している商品なのである。世界で支持されない商品は日本でもいずれは排除されていくという危機感が常に存在した。

4、グローバル戦略

以上のような考えに基づいて資生堂は「21世紀グローバルNo.1〜チャレンジの5ヶ年計画」という新たな戦略を打ち出した。これは西暦2000年までに世界中の消費者からサービス、社員の質などについて資生堂がNo.1との評価を得ようという構想である。売上面では連結ベースで現在の5608億円(95年度)という実績を2000年には8000億円にし、また、海外売上を今の504億円から2000億円に引き上げ、海外売上比率9%を25%にするという計画である。この計画はまた、「国内製品の輸出」から「海外専用商品の輸出」、そして「海外専用商品の現地生産化」と三段階を経た資生堂の国際事業をさらにワンステップ進め、資生堂グループ全体の国際化を図ろうとするものである。

5、アジア地域の市場拡大

この「グローバルNo.1」戦略の中心テーマとなっているのがアジア地域における市場拡大である。とりわけ、今後巨大なマーケットに成長すると見込まれる中国での販売戦略が要点である。12億の人口を擁し、急速に経済成長を遂げている中国は近年化粧品の売上も急激に伸び、世界の化粧品メーカーにとって格好の市場となっている。欧米の各メーカーも競って現地生産に乗り出し、激しい顧客の争奪が行われている中国市場で資生堂は売上を年々倍増させるなど成果を挙げている。

6、中国進出

資生堂が中国に参入したのは1981年のことである。北京市との技術協定を何回か締結した後、1991年に市からの要請をうけて合弁会社を設立し、販売を開始した。当時、社内にも時期尚早という意見もあったが、21世紀を考えて、現地での販売をスタートさせた。当時中国には、現在の社会主義市場経済という考え方はなく、「化粧品など高くて売れるはずはない」と多くの人が考えていた。関税が高く口紅1本の値段が240元(日本円で約5000円)と、中国の労働者の1ヶ月分の給料とほぼ同じくらいの価格だったのだが、予想外にも購買層は存在した。仮にこうした富裕層が1%だとしても中国全体では約1200万人にもなるのである。資生堂は方針を転換し、ターゲットをその人口1%にしぼり、新たなハイ・プレステージ・マーケティングを開始した。94年からは現地工場で中国市場向けの化粧品「オプレ」を生産し販売をはじめた。しかし「オプレ」は販売開始から半年は計画通りには売れなかった。そこで、台湾資生堂の協力を得て、北京にビューティーセンターを開設し、無料の美容講座をはじめたのである。台湾からの美容指導の応援が言葉や習慣の違いをカバーして美容講座は好評となる。こうした協力のもと、「オプレ」は爆発的に売れるようになった。

7、グローバル戦略の意識

商品開発や生産設備投資といったモノづくりは日本人、生産・販売は現地、といった役割分担が生まれつつあり、資生堂はアジアにしっかり根付くことが優先と考えている。したがってアジア各地に強力なパートナーをもち、ネットワークを培うことが今後のアジア・グローバル戦略のポイントになろう。



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