いい上司の条件


1.

僕はまだ職業経験というものはない。だから、ビジネスにおける理想的な上司・部下の関係というのは、想像上のものでしかない。しかしこれでもいくつかのバイトの経験もあるし、組織の上部にいたこともあるので、こういうことを考えたりもする。

今回は、どういう上司・部下関係が理想的で、円滑かつ望ましい組織運営を可能にするか、ということを考えてみたい。なお、部下の手柄を横取りする上司、ヴィジョンのない上司、失敗の責任を部下になすりつける上司、部下の手柄をねたむ上司、自分が「人間的にも偉い」と勘違いしている上司は、ダメ人間だから、ここでは触れる価値もない。だから除外。


2. 現場知識のなさ=ダイヤモンド

部下。上司からすれば経験が少ない分、的外れな意見をいうことも多いだろう。しかし、裏を返していえば、彼らは当該組織に染まりきっていないというメリットがある。

これはその会社や組織に「馴れていない」ということの裏返しである。本来は、これはデメリットとして扱われたり、「早くこの現場に馴れるように」とか言われることも多いことにそれが反映されるが、これは同時にひとつのメリットを持つのだ。

つまり、「その会社文化に染まりきった上司には見えないこと」に気がつく可能性もある、ということだ。別ページで言ったように、長年一つの環境の中にいると習慣化されたモノゴトに疑問を感じることができなくなるのだ。だから、感化されていない新鮮なアンテナというのは違った視点からモノゴトを見るためには必要なものである。会社組織に「馴れていない」部下、特に新人というのはこのアンテナを強く残しているので、それを大事にする必要がある。

だから、部下がいう意見の多くが実際には使えないからといって、それらに耳を傾けないのは、土砂と一緒にダイヤモンドを捨てるのと同じことだと言える。彼らの言葉の中には上司が持っていない視点が含まれていて、斬新なアイデアや思考を伴っていることがあるからだ。10のうち8がダメだったとしよう。それでも、上司は、この残りの2を活かすように心がけないといけない。8がダメだからといって10を封殺してしまうと、2が今後3になったり4になったりする可能性の芽を摘んでしまうことになるからだ。

上司のみなさん。彼らに知識が現場の知識がないのは当然のことで、逆に別の知識をもっていたりする。上司はトータルでそれらを効果的に組み合わせるようにコーディネイトできたら理想的だろう。いわば、大量の土砂のなかからダイヤモンドを掘り起こすのが仕事だとも言える。


3.部下の失敗は必ず起きる=知識の分与

失敗は成功の素。これを言葉として知らない人はいないだろうけど、これを体現できる人は少ない。利益追求型組織では、一回の失敗が重く響くからだ。

しかし最終的に見た場合、「失敗をしたことがない人」と「失敗を完全にリカバリーする人」とどちらが有用だろうか。失敗というものがつきものである以上、前者はいつかは破綻する。

したがって、後者であることが望ましいのだろうと思う。もちろん失敗の数は少ないほうがいいのだが、これはモノがいつか壊れるのと一緒で、「起こすな」というほうがムリだろう。

しかし一般に、何かを失敗したときに、感情的に「なじる」だけの上司が少なくない。この場合、一番に求められるのは「いかに失敗をリカバリーするか」、「同じケースで今後いかに失敗を回避していくか」という2点であって、「なじる」ことが何の解決、進展にもなっていないことを銘記すべきだろう。

強いて言えば上司個人の感情の発散という効果があるが、これは部下の信頼を失なって、関係を損なうだけであろう。上司が失敗を起こした部下に接するときは極めてビジネスライクであるのが望ましい。もちろん経験上の知識を分け与えることでサポートし、部下の成長を促進することに貢献しなくてはいけない。


4.上司≠偉い

思うのだが、昇進が地位の向上を意味するのは、本質的におかしいと思う。昇進するというのは、むしろ、「管轄する仕事領域が増えて、責任が重くなる」ことであって、「雑務係り」の称号のほうがしっくりくるような気がする。これを、「地位の向上」と取り違えると、不適切なサイズや能力以上の仕事を部下に押し付け、さらに失敗の責任を部下になすりつけるという愚行が現われる。

本来は、それら仕事の効率的な分配、部下の育成という、「自分の仕事以外の仕事」が増えるのであって、権力が増加するわけではない。もともと上司に権力があると考えるのも間違いだが。普通の会社では「上司能力」を直接に査定するシステムというのがない。部下が上司の管理能力を評価するのが最も効果的な査定方法だが、これを採用している企業など皆無に等しいだろう。

ダメな上司というのは感情的になって部下を査定することもあるというのに、アンバランスがここにあるといえる。したがって、現在では完全に上司のモラルだけに、「上司≠権力」を否定する鍵がある。部下を持つ人は銘記しよう。


5.部下≠個人的な奴隷

上司が上司であるゆえに部下に対して絶対的な権力を持つ、と過信するから、休日出勤や無茶苦茶な業務命令を下したりする。そもそも上司に与えられている部下に対する優位性というのは企業から借りているものに過ぎない。

つまり、企業がその肩書きを上司から外してしまえば、同時にその優位性も消えるのである。加えて、その貸し出されている優位性の目的は、円滑な業務遂行のためのみであって、それ以外の上司個人的な目的のためではない。

だから休み時間にタバコを買いに行かせたり、業務時間以外の拘束、私的目的での命令は、越権行為なのである。たとえ業務時間内だったとしても、「○○君、ちょっとコーヒー入れてくれないかな」というのも本来の部下の仕事ではないわけで、越権行為にあたる。部下にしたって、そのために入社したのではないからだ。しかも企業目的の円滑な業務遂行には関与していない。


いくつかの点を中心に、だらだらと書いてしまったが、共通する点はひとつである。それは、「上司としてのプロフェッショナル性」という点だ。上司というのも、肩書きにはないがひとつのテクニカルな業務である。

だから必要とされるテクニックもあるし、求められる資質、結果もあるということだ。これを意識しない限り、部下との関係において個人的な感情が先立ってしまうことはまず間違いない。上司の人は、これを常に心がけるようにしよう。



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