女子高生経済



ここになにか別のものを期待してきたあなたはスケベだ(笑)。残念ながらここでは「コギャル」の

生態観察も、「援助交際」の斡旋もするつもりはない。今回はこのテーマで、経済発展の本質

とは何かを検証してみたいのだ。女子高生の例を持ち出せば、経済学を知らないあなたでも、

何が経済の本質的発展に必要であるかを理解することができるのではないかと思われる。

 

昨今の女子高生の経済活動をみると、バブル不況中にも関わらず結構カネ遣いが荒いように

思える。「え〜それカワイイどこで買ったの?わたしも買う買うね〜見てよ“チェキ”買っちゃった

たまごっち?あんなのもういらな〜いたしかにプレミアついてたときは持ち歩いてたけどみんな

持ってないからやめちゃったぁスミスのルーズ高いんだよも〜

1800えんだよでもみんな履いてるし

あたしも履かなきゃいけないのスノボ行きたいし海外旅行にも行きたいし誰かお金ちょうだ〜い」

たしかにこれはいささか極端かもしれないが、こういった欲望は常に内に抱えてるものと考えられる。

ここで突然だが、望ましい経済活動とは何かを考えてみたい。誤解を恐れずにいえばそれは

「より高い“付加価値”を与える」行為として解釈されうる。例えば、昨今の

PCにおける

開発競争は「速さと容量」をいかに増やすか、であり、もっとわかりやすい例でいえば

株券そのものが付加価値の塊のようなものである。この付加価値の正体は何かといえば、

「本来の価値」と「消費された時点での価値」のギャップである。バブル期の不動産を

思い描いて欲しい。当時、“土地の値段は上がりつづける”という妄想がこの付加価値そのもの

だったのだ。ちなみに今回のこのテーマに関連させていえば、女子高生のパンツも

高付加価値を伴うものであるといえる。だって、もとは一枚千円もしないでしょ?

 

さて、ではより高い付加価値が何によって生み出されるかを考えたい。結論から言ってしまえば

物理的機能が伴わないものほど、高い付加価値が与えられやすく、そして不安定である。

金・ダイヤモンド・絵画・ブランドもののカバン・商品としての不動産・商品としての金融商品

などである。これらは一時的には高い付加価値を持ちえるものの、長期的には変動が激しく、

価値は変動する。したがって、これらの財物を商品として扱う業者は、付加価値の変動に

悩まされることになる。

 

ここで上記の女子高生の物欲を振りかえってみよう。どれもこれも物理的機能よりも

付加価値の高いものばかりであることに気がつく。どれも一時的には高付加価値をもつが、

長期的には安定せず、資金及び技術開発のリスクは高いものとなる。

せっかく売り出してもそのときに市場に嫌われては意味がない。そして短期的戦略に

導かれた商品はどうしても「本来の価値」について伸び悩む結果となる。新奇性にとんだ

商品が技術の発展に寄与するとは限らないのだ。

 

バブル不況期、各企業は女子高生マーケットを狙って商品開発をすすめている。

しかしどうだろうか。企業戦略として「カネを持っている層を狙え」

「どんどんカネを遣ってくれる層をねらえ」「おばちゃん、おっちゃんの財布のヒモは固い」

というような思想のもと、比較的不安定であるにも関わらず、ターゲットを

女子高生にしぼっている感じがする。もちろんそれは利益追求型の戦略としては正しいのだが、

技術の積み重ね、という点に関して言えば、新奇性にとんだもの、短期的戦略に裏付けられたもの、

不安定な市場、というのはネガティブに作用するように思えてしかたがない。

 

もちろん、最終消費として、物理的機能性の低い高付加価値商品を購買することは、

ある程度は許容できる。なぜなら、その行為が一時的であれ経済を刺激するからである。

戦時経済や、ケインジアン的政策、公共政策投資にも言えることだが、ムダ遣いであれ、

最終消費は生産を喚起し、それに関連する上流の経済活動を刺激するのだ。

しかしそれは一時的なものに過ぎない。いわばユンケルのようなものか。

それに頼るとあとでリバウンドが激しい。

 

長期的な視点からすれば、やはり高付加価値の商品は技術の発展および安定的経済には

望ましくないのではないだろうか。平たくいえば、消費指向の女子高生にもうカネ与えるな、ということだ。



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