なぜ腐敗が起きるのか?


そもそもあらゆるモノゴトは多面的である。一面的にとてもすばらしいと思えても、必ず負の側面があるはずであり、その点を見過ごしてのトータル評価は意味がない。たとえばこれは新規プロジェクトにおいての決断においてもそうであり、学術的な評価あるいは逐一の言動、行動への評価にもあてはまる。一般に民主主義は社会主義よりも秀でていて、社会主義システムはダメだといわれる傾向があるが、民主主義システムにも社会主義システムに劣る側面はあるし、社会主義システムにも民主主義システムに優る側面がある。ただ、トータルで民主主義システムのほうが「意思決定の失敗」による被害を最小限に食い止められると考えられているために、採用されているだけなのだ。絶対的に優っているというわけではない。事実、旧ソ連は一時期アメリカをもしのぐ生産性の向上を見せたことがある。

さて、上記のなかに見える意思決定の失敗というものについてもう少し深く説明してみたい。あらゆる集団組織において、特定の行動目標が存在する場合、暗黙のうちにミクロの行動決定をする必要が生じる。つまり、利益を追求する企業の場合は、年間の売上目標がミクロの行動決定であり、国内の経済発展を目指す途上国の場合は年間のGDP伸び率が当座のミクロな行動決定の指針になる。一番大きな目標というのは得てして漠然としているし、ほぼ全員の同意を得ることができる。逆に、ミクロの行動決定においては選択肢が豊富にあるので、全員のコンセンサスを得ることができない。このとき、二つの方法がある。一つが分権的民主主義的システムであり、もう一つが中央集権的独裁システムである。前者のメリットは、あらゆる選択肢について考慮がなされるために、意思決定の失敗の可能性が比較的低い。もちろん集団であやまちを犯す場合もある。日本のバブル経済がそのいい例だろう。みんながみんなそろって土地投機に対して危機感を覚えなかったところの重大な原因があるのだ。あるいは、もし意思決定の失敗が起きたとしても、すぐに別の策を講じることができる。これはオープンに意見を取り入れるという姿勢が前提になるが。デメリットとしては、考慮に時間をかけるために、迅速な行動がとれないということだ。強力なリーダーシップを持つアメリカの大統領制にくらべて、日本の議会制民主主義がスピーディな行動を求められないのはそこにポイントがある。

後者について考えてみると、強力なリーダーシップを一部の人間が持つために、行動は迅速である。旧ソ連が一時期アメリカにしのぐ生産性を達し得たのもそこに理由がある。ただし、逆にまわりの意見を聴かないので、自分が失敗していることに気がつかないことが多い。限定された脳ミソでは、多面的なモノゴトのトータル評価はできないのだ。そのために、問題が表面化するまで事態を悪化させてしまうケースが多々ある。これを腐敗と呼ぶことにする。

ここまでの議論からすると、意思決定の失敗については、モニターする人間の存在が不可欠であることがわかる。たとえ民主主義でも監視されることがなければ中央集権的独裁と同様に意思決定の失敗を犯すことになるからだ。日本の国家システムを考えてみると、「三権分立」という言葉がある。これは立法、行政、裁判つまり国会、政府、裁判所がそれぞれを監視しあうというモニタリング機構だ。たしかにこのバランスシステムによって、互いを牽制しあい、腐敗を防ぐという効果がある。ただし、実のところを言うと、この三権分立の三角形の上に、三角錐の頂点の位置に官僚がある。国会の議事も政府の施政も法律の解釈もすべて大蔵省やら通産省、法務省の手にあることは公然の秘密だ。この官僚をモニタする機構がないために、腐敗を進行させてしまっていることは事実である。そして自浄作用を持たない官僚組織においては、もはやこの腐敗は誰にも止めることはできないことは周知の大問題である。いまだにこの解は与えられていないのだ。



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