子供のゲーム


経済学を少しでもやったことのある人なら、これは「ゲーム理論」か?と思われるかもしれないが、残念ながら、今回は違う。子供のゲームをする過程を通じて、もっとも効果的な途上国開発はどのようなものかを検証してみたい。

まず、ここに小さな子供が何人かいたとしよう。そこでゲームをする。その場合、勝手に子供たちにやらせるのと、大人が一人ついて審判およびアドバイザーをするのと、どっちがゲームの効率をアップするだろうか。

その前に途上国を子供に見立てているわけだから、それに合わせて前提条件を用意する必要がある。第一に、途上国が国際競争市場においての競争に不慣れなことを考えて、子供たちはルールに慣れ親しんでいないとする。国際的な市場においてプロフェッショナルだったら、それはすでに途上国ではなく産業国だからだ。次に、途上国の目的は主に開発化、それに付随する産業化であって、他国を追い落とすことではない。それを反映して子供たちのゲーム目標は、「絶対的な自分の点数アップ」であって、「相対的な順位アップ」ではないことにする。

さて、シミュレーションとして、子供たちを自由に遊ばせていた場合を考える。その場合、ルールに詳しくない子供はルール違反や間違いをおかすことになる。あるいは、協力ということを考えた場合、相対的順位アップを絶対的点数アップと取り違えた子供は協力などせずに裏切り行為に走ることもあるし、効果的な協力体制を構築することが難しくなる。これは一般に市場の失敗と言われる。そもそも市場には競争を通じた調整システムが内在するのだが、それにも問題は含まれている、ということだ。

一方で、もしそこに大人がついていたらどうだろう。この場合、市場内競争を管理・モニターするのは政府の役目である。したがって、この大人は政府を意味する。大人はまずルールを守らせることができる。そして、効果的な協力体制を提案し、実行させることで、トータルの競争をより効率的に運営することができる。また、お互いの足を引っ張り合うような無駄な競争を排除し、それぞれの絶対的な点数をアップすることができる。

ここまで想定した場合、途上国の開発過程においては政府が重要な役割を果たし、新古典派のいうような「自由市場至上主義」よりも修正主義者がいう「開発管理政府」がより有効に作用するであろうことが予想できる。しかし、ここにも問題はある。

まず、この大人が自分の子供ばかりをかわいがって、他の子供と差別して扱った場合。このときは特性に応じた協力体制や効果的な競争が阻まれることになる。したがって、政府には平等に競争参加者を扱うことが要請される。次に、大人が理解するルールが根本的に問題を含んでいた場合、それがそのまま子供たちに伝えられてしまう、というものだ。これは一般に「政府の失敗」といわれるものだが、大人が提案した協力体制や競争体制がベストなものである保証はどこにもない。加えて、この大人の判断をモニターするシステムが存在しないのだ。したがって、大人の失敗=政府の失敗については本人以外管理しえない、ということになる。

上記二つの失敗、すなわち市場の失敗と政府の失敗。どちらがより悪いのか。どちらを優先的に回避すべきか。その評価が途上国に対する開発システムの根本を決めるものである。あるいは、この両者をいかに妥協させてお互いのデメリットを最小化していくか、という点に焦点が合わせられる。

世界銀行やIMFは現在、政府の失敗を重く見て、市場原理を優先させている。これに対し、日本政府は戦後の政策史から鑑みて政府の役割をもっと重要視すべきだとの見解をみせている。



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