イギリスという国はとても保守的である一方で、とても革新的な一面も持っている。 そのバランスというのは日本人から見たら少し奇妙に映るかもしれない。 日本の文化のなかで線引きされる保守性と革新性の狭間をそのままイギリスにもっていっても、うまく当てはまらないのだ。 *** イギリスが保守的だと思うのは、いまだに貴族制を継続させているところに垣間見える。 血統によってその地位を保全された議員によって貴族院は成り立っているし、それのおかげでいまだにイギリスには強い階級社会が残っている。 話される英語自体にも貴賎の区別があったり、階級間の人的移動もそう簡単になされるものではないらしい。 労働者階級の家庭からは高等教育を受けようとする子供は稀にしか出てこない。 したがって、都市内部においてキレイに階級ごとの住宅分布が区分けされることになる。 日本の場合、8割方の国民が自らを中流階級と認識することからわかるように、階級性はあまり意識されていないのが現実だろう。 また、これらの階級性については当然のようにイギリス国内に強い反論はあるものの、いまだにそれを破壊するほどの強さを持つには至っていない。 現在、労働党のブレア首相を中心に改革が進められているが、保守勢力や強い保守性がそれを阻害しているのである。 イギリスは権利の章典、市民革命など、「市民としての権利」をいち早く取り入れた国として知られているが、それは実は「王侯」と対立した富裕貴族が起こしたものであって、一般民衆が権利を求めて行った行為ではないのである。 だから、市民運動が階級性を打破できないイギリスも、市民運動が政治を変えられない日本も同様の根っこを持っていると考えられる。 すなわち、イギリスも日本も一般民衆が運動を起こすという経験をもっていないために、強い革新性を社会の中に生み出せないでいるのだ。 *** ところが、イギリスの場合は、そういった保守性と同時に日本にはない革新性を持っている。 たとえば女性論。イギリスは日本に比べて著しく女性の社会進出が容易になっている。 バスの運転手やタクシーの運転手、道路工事などこれまで男性のみで占められてきた労働市場にはほとんど女性が半ばまでを占めるほど進出しているのが現状である。 また、ゲイとレズに対してもかなり寛大な態度を示している。 たとえば議員のなかにはゲイであることを公言している者もいるし、閣僚のなかにもゲイであることを認めた者もいる。 企業はゲイであることを理由に解雇はできないし、就職時の質問にもそれをきくことは許されない。 日本と違っているのは、「個人の管轄」というのが極めてシビアに決められている点なのであろう。 簡単に分けてしまえばこの革新性の有無は、個人主義か全体主義かの違いに由来するものなのかもしれない。 個人を尊重すれば他人と違っていようとそれは個性であるが、全体を尊重するのであれば、強い個性は敬遠される傾向になる。 *** さて、これらイギリスと日本の異同は違いであって、優劣ではない。 しかし、これからの社会的潮流を考えた場合、どういう進路が適切なのだろうか。 一概に答えはでないだろうが、それでもイギリスに学ぶものも相当にあるのかもしれない。 |