小学生経済


小学生に経済活動なんてあるのか。そうお思いのあなた。経済活動という言葉の定義を狭義に捉えすぎているのではないかな。もちろん小学生にもオカネにまつわる話がある。いや、おかねにまつわらなくともよいのだ。今回は小学生を例にしてブラックマーケットを検証してみたい。

 

小学生はそんなにオカネを持っていない。せいぜい毎月もらえるおこづかいくらいだ。基本的に自分でオカネを稼ぐ、ということが不可能なのだ。これはつまり外貨を稼ぐことが不可能な鎖国状態の国家経済に相当する。例えば外国からの輸入を規制し、かつ外資企業の参入も規制している途上国の場合、結局自国内で細々と生産する農工業からの収入で国家を運営していかなければいけない。バイトができずに、毎月決まった額のおこづかいでやりくりしなくてはいけない小学生と同じ状況だ。またそれは中央集権的計画経済下における企業とも通じるところがある。そういった企業は自ら収支を合わせることができずに、中央政府によってのみ、資金の使い道が決定される。これはおこづかいの使い道をチェックされているようなものだ。

 

さて。おカネがない小学生はどうするか。欲しいものはたくさんあるのだが、いかんせん、カネがない。彼らは彼らのなかで、一般世界とは違う経済圏を形成するのだ。わかりやすくいえば、友達同士でおもちゃを交換したり、シールを交換したり、あるいは宿題のカタにモノを受け取ったりするのである。これは商品・資金が不足している経済圏で往々にして見られる光景である。いくら母親に貯金しなさいといわれても、欲しいものはたくさんあるのだ。

そこで母親に知られないように、自分の欲望を満たさなくてはいけない。外貨を稼ぐことが許されない経済圏内では、おカネ以外のものがあたかもおカネのように取り扱われ、そこに正規のものとは違う闇市場を形成することになるのだ。小学生の場合はシールや小さなオモチャであり、途上国・旧社会主義国では不当に手に入れた外貨だったりするのだ。

 ここで両者の共通項を見ることで、通貨の一側面を見ることができる。それは即ち、「一定以上の市場参加者に対して半ば強制的な通用力をもつ」という点だ。小学生が形成する経済圏内で通用するオモチャ類は、たいていの小学生が欲しいと思うようなものでなければ、通用力を持たない。また、自国通貨が通貨不足だったり価値不足だったりする場合は、より安定的なドル・ポンドといった外貨が好まれる。それはもちろん通貨政策を執る政府からすれば望ましいことではなく、ほとんどの場合、コントロール不可能なものとなっている。円というおカネを持たない小学生は、それなりの代替物をもって別の経済圏を形成する。

これと同様に、自国の通貨が通貨として通用力を持たなかったり、市場に出回っている通貨量が極端に少なかった場合には、代替物が二次的通貨として闇市場を形成するのだ。



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