開発政策
Using example, discuss the relative significance of external and internal factors for effective national development policies. 効果的な国家開発政策における相対的に重要な内的および外的要因について、例を用いて議論せよ。
このレポートの目的は、一国家の開発過程において何が重要な要素であるかを内的および外的要素に焦点をあてて説明しようとするものである。戦後、植民地政策から脱却した途上国の多くは独自の政策をもって国家的開発に乗り出した。それには様々な政策がとられ、概ね開発に成功した国もあれば、失敗した国もある。それでは、一体どのような政策が開発過程において不可欠であるのか。あるいはそれら開発に成功した国々の政策に共通するエッセンスとは何か。このレポートでは、その点について国内および海外の条件を探ってみることにする。 まず、開発政策においてはいくつかの側面があることに注意しなくてはいけない。経済的側面が重要視されがちだが、政治的側面、社会的側面、そして環境問題についても考慮する必要がある。これらのうちいずれかに問題があったとしたら、それはバランスを欠いた国家となり、開発政策が成功したとは言えないからである。ここでは、それらを(1)経済学的側面、(2)経済以外の側面に分け、さらにそれぞれのなかで国内事情、海外事情の二つの視点から何が効果的な開発に必要であるかを考えていく。また、それらを説明するにあたっては、東アジア経済の経済発展を主にモデルとして使用する。その理由は、日本を筆頭とする8つの東アジア諸国はその他の地域に比べて極めて高い開発を達成したのであり、開発政策の成功例としては適当だと考えられるからである。もちろんメキシコや南米、そしてサハラ周辺の諸国も開発政策に失敗し続けているわけではない。しかし、現時点では東アジア諸国に匹敵するものとは到底いえないだろう。通貨危機に端を発する東アジアの経済危機を考慮したとしてもその開発政策の優位性は揺るがないものと考えている。
国家の開発過程において、経済的側面が最も大切なものであろう。その理由は、国家の国力、生活水準、賃金レベル、そして産業における国民生産が反映するのが経済的側面であり、この側面を注視することによって、どの程度開発がすすんでいるか把握できるのである。そして、国家が最も考えるのが、GNPもしくはGDPといった経済的指数なのである。 ここでは経済的側面をさらにいくつかの側面に分けて考えたい。それは、経済的側面と一口に言っても、かなり広範囲にわたってしまうからである。ここでは、産業化とそれ以外の分野の二つに分けて考える。産業化が経済的側面の大半を占める重要なパーツであり、そしてそれ以外の部分が産業化に貢献する外部条件になっているからである。 @.産業化 主に、東アジアの産業化過程における産業政策には内部構造と外部構造の二つの側面がある。すなわち、国内市場と貿易政策の二つである。これら二つに対してはそれぞれに対して、新古典派的解釈、修正主義的解釈、およびその中間たる世界銀行による理解の3通りの捉え方が存在する。 バラッサに代表される新古典派によると、東アジア経済の産業化の過程で最も重要なことは、輸入代替政策から輸出指向型に政策転換し、貿易自由化をすすめたために価格の歪曲が最小限で済んだことである。これによってパレート最適が実現し、資源の最適配分が達成されたと考えられた。 一方で、アムスデンやウェイドによれば、政府による市場介入、公共政策が功を奏したのであって、市場の失敗を政府がうまく処理したことに注目している。特に、強い主導力をもった開発国家の存在を強調し、新古典派的な「小さな政府」を否定した。世界銀行は、1993年のレポートで、これらの中間にたつ見解を発表している。基本的に世界銀行は新古典派的解釈に基づく1991年レポートを継承しているのだが、1993年レポートで追加された解釈は、「市場に有効なアプローチ」と呼ばれるものだった。これは、市場調整機能を損なわないレベルでの政府介入を積極的に評価するというものである。開発国家の強い主導力の存在を認めた上で、それが市場の調整機能を損なわずに、むしろ市場競争環境を整えたという解釈を示したのである。したがって、マクロ経済の安定という項目については重要であるという見解を示しているものの、それを超える政府の介入は許容していない。これに続いて、特定産業に対する支援政策は無効であるとして批判している。 これらをまとめると、概ね市場機能と積極的国家支援の二つが国内産業の励起には必要であることが一般的な理解であると考えられる。問題は、市場機能と国家支援が衝突した場合、どちらが優先されるのか、という点である。これは別の言い方をすればどの程度までの政府介入が許されるのか、という問題になる。この点に関しては世界銀行によると、飽くまでマクロ経済の安定および収支正常が最優先であり、一時的であれ採算を度外視した産業運営は容認できないと非難される。しかし一方で日本政府によれば、その戦後の復興の歴史から鑑みて、短期的な採算を度外視しても長期的な支援はいずれ産業の発展に役に立つと考えている。この問題に関しては今後の政府の役割についての議論の発展を待たねばならないだろう。 次に、対外政策として貿易政策があげられる。 1960年代半ばまでは構造主義および従属学派の影響を受けて、およそほとんどの国で輸入代替政策がとられていた。これは、海外経済の影響をできるだけ少なくし、国内市場を中心に開発を進めていこうとするものであった。しかしこの政策には恣意的に高く設定された為替レートや、歪曲化された市場調整機能によって、望ましい結果は得られなかった。これを受けて、新古典派を中心に貿易自由化が提唱され、輸出指向型開発に主流が移っていった。この外向きのアプローチは、いくつかの長所をもっている。すなわち、安価な労働力に基づく国際的な比較優位や、海外直接投資による恩恵である。事実、東アジア諸国は日本企業の海外直接投資を受け、相当数の工場や子会社を持っている。ただし、この貿易自由化にも一つ問題点がある。実は、カークパトリックがいうように、貿易自由化による直接的な開発への貢献は認められないのである。加えて、東アジア諸国の多くは選択的に特定の産業を保護し、貿易は完全に自由ではなかったのである。したがって、内向きの閉鎖指向よりも、東アジア諸国の政策は優れていたとはいえるが、果たしてそれが新古典派のいう貿易自由化によるものであるかどうかは今後の研究を待たねばならない。加えて、安価で質の高い労働力が持つ比較優位が、そのまま国際的競争力優位に転化したと考えるのは安直過ぎるきらいがある。A.産業化以外の経済的要素
海外直接投資が東アジア経済の大きなエンジンになったことはあらためて説明する必要もないが、その捉え方には大きく3つある。一つは、海外直接投資を招致しえたのは、安価な労働力による比較優位によるものであるという考え方である。これは主に新古典派によって主張されることである。二つめは、当時の国際的環境とその特徴に注目して、安価な比較優位理論だけでは集中的な海外直接投資が説明できないと考えるものである。 1970年代後半から、日米の貿易摩擦は激化し、さらにプラザ合意による円高も加わって、日本企業は強く海外進出を迫られたのであった。そして日本企業の多くは、東アジア諸国をトンネルとしてアメリカ市場に製品を輸出していったのである。これはつまり東アジア諸国が日本企業に対して加工貿易を行っていたということであり、もし日本企業がかのような状況になければ、そのような貿易システムは存在しなかったと考えるものである。そして最後に、海外直接投資を他の国々に先駆けて招致しようとする場合、それら外資企業にとって魅力的な環境を創造しなくてはいけない。これら東アジア諸国はその環境整備に成功し、安価な労働力のみならず、そういった産業インフラストラクチャーの整備にも力をいれて積極的に政府が活動したとするものである。これら3つのアプローチに対して、世界銀行の1993年度レポートでは、市場に友好的な環境を整備することが市場メカニズムの機能を向上させたとして肯定的な見方を発表している。
3. 経済以外の側面教育および人的資本の充実 市場原理には基づかない外部性を持つ要素に対しても、考慮する必要がある。それらは、経済的発展に対して直接的な貢献はしないものの、基礎的な環境を提供するには必要なものである。 世界銀行(1993年)によると、東アジア経済では文教予算を初頭教育に傾注することにより他の低・中所得国よりも高い教育水準を達成しえたと報告している。また、高等教育向けの限定された公的支出は技術能力に焦点があてられ、職業的・技術的に高度な訓練分野に関しては教育サービスの輸入を大規模に行った。こうした政策の盛夏として、急速な経済開発に適した広範かつ技術力のある人的資本の基礎が築かれた、と把握している。 この人的資本の充実化は、そのまま良質の労働力となって、新規技術の習得、開発に貢献することとなる。 Lallによると、開発に必要な技術能力は、高水準の教育システムに依存すると考えられている。
上記を翻って、東アジアの事例から、国内外の開発に必要な要因をいくつかあげてみたい。これらは概ね、世界銀行のレポート( 1993)と一致する。350ページより、
逆に、マイナス面の教訓として、
しかし、これらについては、それぞれに対して、未だに議論の余地を多く残している。繰り返しの議論は避けるが、基本的に次のようなことが言えるだろう。すなわち、政府の役割と機能をどこまで認めるか、という点である。この線引きをどこに求めるかによって、途上国開発に必要なファクターは変わってきてしまうのである。東アジアの経験は、オーソドックスな新古典派に対して強い再考を求めた事例である。これはまだ一般化するには経験としては不足であろうが、社会科学は実験を行うことができない。従って、この少ない源泉の中から、学問を成熟させていかなくてはいけない。政府の役割について、今後の研究を期待するところでこのレポートを終了する。 参考文献:世界銀行著(1993年)「東アジアの奇跡」東洋経済 |