第6章 政府介入・レントシーキング・状態依存型レント・競争

6.1 序論

前章までで、産業化に必要な核、および産業化を加速化させる条件のいくつかが示された。この中で、効果的な産業化には政府が関与するということの合理的な背景が議論された。時には積極的ないし強力な政府のコーディネーション問題解決能力が必要になるのである。しかしその一方で、そもそも政府行動主義にはいくつかの分析を伴って強い反論がある。従って本章では、前章までの産業化と政府行動の関わりの背景から、その手続き上の側面に焦点を移動させる。

まず、続く6.2では従来政府による規制や保護がなぜ非難されてきたかを振り返る。そしてその背景にある保護がもたらす非効率性の発生メカニズムを考える。6.3では、従来のこうした考えに代わって、新しい種類の保護/介入政策が存在することを示す。一般に状態依存型レントないしパフォーマンス指数に基づく報酬と呼ばれるタイプの補助金である。

すなわち、保護が一般に非効率性を生むのは競争を沈静化させるタイプのものに限ってのことであり、逆に競争を劇化させるタイプの政策は必ずしも非効率的ではないことを示す。最後に6.4において状態依存型レントが報酬を的にして競争を熾烈化させる側面すらもつことの例を示し、まとめとする。

6.2 保護とレントシーキングとイノベーション活動の停滞

一般に政府の介入が新古典派に否定的にとられているのは、その恣意的な介入が適正な資源分配を歪めるのみならず、非効率的なレントシーキング活動を発生させるからであると理解されているからである。

レントシーキングとは一般に、他者の行為が自らの行為よりも高いウェルフェア実現を可能にしている状態において、当然その他者の行為を当てにするという姿勢が必然的にもたらされてしまうことをいう。政府による産業や企業保護に当てはめていえば、従来、企業が政府の補助金なりの優遇政策に過度の依存性を持ってしまうがゆえに、自助的経営努力よりもロビー活動や政策への圧力に力を注ぐ結果となってしまうのである。ソフトな予算制約や政府の温情主義が結局は企業の本質的な競争力を殺いでしまうことはコルナイの研究を見ても明らかである。(註:ポーターも同様の見解を示している。「補助金が本当の競争優位に結びつくことはめったにない。それとは逆に補助金が長年にわたる失敗に繋がった例は多数見ることができる。補助金を継続するとやる気を鈍らせ、依存する姿勢が生まれる。一度政府が支援すると、産業は支援なしに投資したりリスクを冒すのが困難になる。関心は本当の競争優位を作り出すことよりも、むしろ補助金を更新してもらうことに集中する。一つの産業が補助金を受けると、その競争力の弱さが他の産業にも伝染する。補助金は一度始めるとやめにくい。さらに悪いことには補助金を病んでいる一つの産業に出すと、それ以外の産業にも欲しがらせてしまう。」pp.336)

イノベーション努力に関しても次のような見解がある。” Protection takes away the incentive to invest in TC development. It can therefore be self-negating unless safeguarding measures are undertaken.”(Lall,S., 1993:732). 結局企業が市場競争ではなく政策上の優遇措置に高い利益見込みを確認した状態においては、当然企業の経営努力はその優遇措置獲得のほうへ向けられてしまい、自立的な競争力を身につけていくところに力が注がれなくなってしまうのである。(註:このタイプのレントを青木は次のように説明している。「市場過程に対する政府介入によって生み出され、競争レートを上回る収穫と定義される「(政策誘導的)レント」(policy-induced rents)がある。たとえば政府は輸入割り当てのような手段を用いることによって人為的な財の希少性を創り出すことができる。あるいは政府がいくつかの基幹産業に対して補助金を交付したり政治的に決定された基準に従って資格を付与した主体に優税措置を講ずることも考えられる。このような場合、割り当て財の分配や補助金の交付は政治的贔屓(political favoritism)の道具と化し、政治、種族、家族といった紐帯を基盤として実行されることになろう。希少資源は、政策誘導的レントの獲得を意図した活動によって生産的な形で利用されなくなるであろう。資源の誤った配分の誘発によって生ずる費用は、財の供給を制限することから発生しうる便益をはるかに超過するかもしれない。このような考えに基づく影響力のある政策処方は途上国経済は可能な限り、競争市場プロセスに対する国家介入を排除することによってレントシーキング行動を抑制しなくてはいけないというものである。世界銀行が借款条件として債務国に課したいわゆる構造調整政策(structural adjustment policy)はそうした見解に基づいてきた。」(1996:26))

このような背景に基づいて、従来は政府介入は生産者にレントを創りだし、そのため「無駄」なレントシーキング活動を誘発するという意見の一致が見られた。

6.3 保護の対象と状態依存型レント

しかし、政府が作り出したレントは東アジア経済圏ではその高い保護率や広い政府介入にも関わらずインド・南米のような他の国々ほど有害なレントシーキング活動を引き起こさなかったことが通常の観察により示唆される。特に補助金のもたらす弊害については韓国が輸出振興政策の下で多額の輸出補助金を支出しているにも関わらず、韓国の自動車産業、機械産業は極めて高い競争力を維持しているように観察されている。従って、これら有効なレントと上記の一般レントと区別する「何か」を明らかにし、「失敗しないレントの条件」あるいは「弊害をもたらすレントの条件」を明らかにする必要がある。

・保護の対象

ここで重要と思われる記述はポーターの次のような主張である。「政府が、企業に対して向上とグレードアップ圧力を排除するように『手を貸す』ことは生産性に反することになる」(1992:3章:189)。また、「無駄」なレントシーキング活動を誘発するレントが無駄である所以は6.2の理屈に照らし合わせれば「イノベーション上の競争圧力を減退」させる点にあるといえる。

しかし、政府の創るレントが必ず企業の注目を市場から外させるという必然的な理由はどこにもない。もし企業が市場競争よりも優遇措置獲得のほうに注目してしまうことがあるならば、条件として、「優遇措置が直接に個別の企業を助ける」ものでなくてはならない。その条件があって初めて企業はその優遇措置によって倒産破産のリスクから解放されて、危機感および競争圧力を喪失するのである。

従って、次のようなことがいえる。すなわち、保護の対象が個別企業に温情主義やソフトな予算制約など「競争圧力を減退させる」内容を与えるものであれば弊害をもたらすが、そうでないレントは無害である。(註:ポーターはこの点につき、保護の条件の一つとして次のような点をあげている。「保護が成功する条件の一つには、効果的な国内のライバル間競争である。強烈な国内のライバル間競争は国際的な競争圧力の代わりになる。国内の競争が国内市場の飽和と重なりあうと、関心は外国市場へ向かう。こうした国内の構造があれば、保護によってイノベーションとグレードアップの誘引が鈍ることはない。」(1992、下巻:375))

・状態依存型レント

では、より具体的にはどういったタイプのレントが非・非効率的であるのか。青木は次のように述べ、競争を維持するレントを「状態依存型レント」と定義している。「客観的基準の達成という条件に基づいて政策誘導的レントの提供がなされれば民間の経済主体は競争過程では供給不足になりがちな財を供給するようになるだろう。「東アジアの奇跡」では「パフォーマンス指数に基づく報酬(performance-indexed reward)」という言葉を用いることによって「状態依存型レント(contingent rent)」に近い考えを提示している。また「東アジアの奇跡」は東アジアの企業に対して輸出「コンテスト」を基盤にした広範な政府援助が補助金、信用割り当てや外国為替へのアクセス、免税などの形態で提供されてきた点に言及している。「東アジアの奇跡」はこうしたコンテストがルールの透明性ゆえに非生産的レントシーキング活動を制限するにあたって有効に作用したとみなしている。高いパフォーマンスを達成した経済主体に報酬を与えることによって複数の受益者のあいだに競争が保持されることになろう。」(1996:26)つまり、個別の企業ではなく産業全体もしくは複数の企業に対してレントの供給を約束する方式であれば、その利益を獲得する過程において企業は競争圧力を受けることになり、競争へのインセンティブを失わないのである。それどころか、この利益機会の提供は、インセンティブを向上させる性質さえもつこともある。なぜなら、その「機会」として示された利益が通常の市場競争でもたらされるものを上回るものとして確認されたときには、企業はそれに応じてインセンティブを上昇させるからである。常に市場競争で獲得される利益が、政府の創り出すレントよりも質・量ともに上である必然性はなく、その意味では政府レントによって競争が創出されるという側面があることに注意しなくてはいけない。それならば、もし青木がいうように「実際問題として政府はレントの配分に加え、特に市場が小さく未発達である(従って非競争的)である経済発展の初期段階においては課税と補助金、優遇貸与、土地供与などによりレントを創り出すことができる」(1996:82)ならば当然、産業化に不可欠な競争状態も人為的に創出することがある程度は可能であることになる。

政府の介入に対するもう一つの重要な根拠は、入手可能な情報量の問題である。市場競争を阻害しないようなコーディネーション問題解決政策の決定過程においては、当然市場の状況ならびにさまざまな民間行為者の行動の間の関係についての情報が必要であるが、そうした情報の必要量をすべて政府が入手することは不可能であるという点である。もし政府が不足した情報の下で介入政策を行った場合、政府の失敗が生じる可能性は極めて高くなる。従って、政策を行う主体には高い情報能力、分析能力、および遂行能力が必要となり、政府機能の弱い途上国ではそれら能力が期待できないということになる。

上記のように、政府が与えるレントは競争を創出することが可能であるが、前提としてその競争の結果や、手段についての情報が必要となる。何か特定の技術を開発/普及させるための競争創出や産業構造を恣意的に変化させるための競争創出も可能である一方で、それらをコントロールするためにはそれなりに高い政府能力が必要なのである。しかし、解決すべきコーディネーション問題の難易度がすべてにおいて同じであるとは限らない。Kim,H.K. and Jun Ma(1996:115)は政府の失敗を回避するための条件として関係するプレイヤー数が少なく、製品の同質性が高く、政府と民間部門の情報交換チャネルが有効に機能していることの3点を上げている。これらの条件それぞれにおいて、解決に有利なレベルが高ければ、それに応じて政府の失敗は回避できる可能性は高くなるのである。これは裏を返していえば、必要な情報量は環境に応じて異なっており、もし必要な情報量が少なかった場合には、ある程度政府機能が貧弱であったとしても政府の失敗は回避できることになる。つまり、途上国においても、解決すべきコーディネーション問題が明確であり、必要な情報量が比較的少なかった場合には、政策介入が効果的な結果を生む可能性もあるのである。「限られた国家能力しか持たないのであれば、それを基礎的役割に絞って使うことは、多くの国々、特にアフリカ、CIS諸国そしてラテンアメリカの一部、中東、そして南アジアで最初のステップとして絶対に必要である」(pp.254)という1997年度の世界開発報告の主張は、解決すべき問題のレベルが個別に異なっていることを見落としている。必要なのは絶対的に高い制度能力ではなく、直面した問題に対して相対的に高い制度能力である。直面した問題の内容如何では、たとえどんなに低い制度能力であっても積極的な政府介入が成功する可能性すらある。

このように、情報の不完全性は政策介入主体である政府を捉えるが、それが即政府の失敗につながるとは限らないのである。介入政策の失敗を回避するための重要な要件は、第一に競争を維持ないし創出することであり、それの前提として当該政策の目標と手段、結果について必要な情報を持っていることがあげられる。後者はすなわち相対的に高い制度能力であり、絶対的に高い制度能力のことではない。

6.4 日本における産業政策の成功要因

日本の介入政策の是非、あるいは成否に関しての研究は数多くあるが、「産業政策が成功した」とする見方のうち、その要因を的確に示しているのはKim,H.K. and Jun Maならびに岡崎・石井の研究である。

岡崎・石井は次のように戦後日本の産業政策が「政府の失敗」を回避した諸要因を述べている。「第一に、民間に分散しているさまざまな情報を、産業政策に反映させるメカニズムが用意されていたことがあげられる。多数の民間企業関係者が参加した審議会、その前提としての業界団体、政策の実施にあたっての金融機関の判断の尊重などがそれである。第二に、産業政策の実施にあたって、レントシーキングを防止するための意識的な努力が払われた。基準の客観性を重視した外貨割当制の運用がその典型であり、ほかに公的金融機関の政府からの独立性、審議会による政策のチェックなどがあげられる。第三に、政策基準の客観性はレントの配分をめぐる企業間の競争を促進する役目を果たした。第四に輸出振興が産業政策の基本的な目的とされたことがあげられる。このことが政策対象の選択にあたって常に国際競争力を意識させ、非効率的な産業の保護を抑制したといえる。」((1996:110)。このことは、相対的に充分な情報を獲得し、状態依存型レントによって効果的に競争を創出・促進し、かつ非効率的なレントシーキングを回避したということである。

また、Kim, H.K. and Jun Ma (1996)は、日本と韓国の石油化学産業の急速な発展の原因を分析し、状態依存型レントである時差参入方式の追加的特徴について次のように述べている。「条件付参入の動態的側面は着目に値する。1950年代初期に通産省により発表された時差参入方式は、最初の参入から数年後にはより多くの企業が市場への参入を許されるというメッセージを明確に伝えた。そのような戦略への政府のコミットメントにより最初の回で市場へのアクセスを断られた企業は将来政府により守られた市場へのアクセスを得るため、長期開発計画をたてることができた。政府が約束した将来の参入者からの脅威は、今度は最初の部内者に市場での先行する地位を守るために技術革新を強いることになった。」

日本が行った政策は、競争創出と同時に次のような特徴を持っていたことになる。つまり、長期的には市場に参入しうる可能性が示されたことによって潜在的な参入者は利益可能性を得たのである。潜在的な参入企業は先発企業から学び、後発性の利益を得るとともに、新たな利益機会を保証されたのだ。政府によって示された基準が明確であるほど企業努力に対するインセンティブも増すのであり、潜在的な参入企業の経営努力は好環境におかれたということができる。一方で、先に参入した企業は逆に新規参入社の脅威を常に与えられるのであり、その意味で企業努力を強いられる。また、輸出産業としては逆に海外市場に対して新規参入者であり、先発外国企業に対して挑戦することになる。時差参入方式とはこれが連鎖された形式であり、どの企業に対しても新規参入者に対する危機感と新規技術に対する追及心を与えたということがいえる。