父のことを話そうと思う。 僕の父は福島の、超がつくような田舎の出身だ。 新潟の大学を卒業して上京し、製薬会社に就職した。 その後何度か会社は変わったが仕事の中身は結局同じで、新薬の開発に従事している。 新薬の開発とは、簡単にいえば研究所からあがってきた「候補」を実際に患者に使用してデータを採り、それを厚生労働省に認可させるべく資料を作る仕事だ。 今では独立して製薬会社向けのコンサルタント会社を経営するまでになってオフィスにいることが多いが、むかしは各大学病院を回る日が多く、それこそ各県の国立病院はすべて行ったことがあるらしい。 そう、僕がまだ小学校低学年のころの父はとても忙しく、同じ家に住んでいるにもかかわらず顔を見ない日も珍しくなかった。 朝は僕が起きるよりも早く出勤し、僕が寝てから父は帰ってきたのだった。 そんな父がある日僕にこういった。 僕の誕生日が近い初夏のころのことだったと思う。 父: 「なんか欲しいものあるか?」 僕: 「ガンダムのプラモデルが欲しい!」 当時キッズの心をがっちりとつかんでいたのが「機動戦士ガンダム」であった。 ニュータイプに覚醒したアムロ・レイ。 父のかたきを討つために正体を隠してジオン軍に与するシャア・アズナブル。 腐った連邦を叩くために、そして宇宙に住む人のために独立を果たそうとしたジオン公国。 地球の秩序を守るためにジオン公国と戦う地球連邦軍。 すべての設定が、ドラマが、人間関係が、僕らを夢中にさせたのだった。 だが、ガンダムのプラモデルは社会現象になるまで流行し、それは簡単には手に入らないものだった。 近所のおもちゃ屋さんでは、カイ・シデン人形ですら「残り1個!」と張り紙がされるほどであった。 主人公の搭乗するモビルスーツに至っては、どこのデパートですら「入荷未定」だったのだ。 僕: 「ガンダムのプラモデル買ってくれるの?!」 僕はとても喜んだ。 これでアライソ君にも肩を並べることができる。 アライソ君はすでにガンダムのプラモデルとシャア専用ザクのプラモデルを完成していた。 彼は学校を休んでおもちゃ屋さんに並んだのだという。 しかも家族で。 ***** そして誕生日。 珍しくその日は夕方に父は帰ってきた。 手にはラッピングされたおもちゃ屋さんのパッケージがある。 僕: 「おかえりなさい!」 父: 「おー、ただいま」 顔には多少の疲れがあるものの、にこやかな父。 後から聞いた話ではあるが、この日夕方に帰ってくるために前後の日は夜中まで仕事をしなければならなかったらしい。 父: 「ほい、誕生日おめでとう」 包みを手渡す父。 はしゃいでそれをもらう僕。 セロテープをきれいにはがすのももどかしく、一気に破いて中を開けた。 あぁ! 2001年に中国がWTO(世界貿易機構)に加盟する際に大きな問題となっていたのがいわゆる「知的財産権」の問題だ。 そもそも共産主義の下で個人の権利についての教育が進まなかったせいか、中国には著作権についての認識が進んでいなかった。 したがってコピーもの、海賊版、パクリもの、といったものが横行していたのだ。 そう、当時の日本もそうだったのかもしれない。 父さん、これガンダムじゃないよ…。 太陽系戦隊ガルダンだよ。 最強戦士ドンはビームライフルはおろか、ビームサーベルも使うことができない。 両手のドリルミサイル2発だけが武器らしい。 ほんとに最強なんですか? そして、最強戦士ドンに搭乗しているパイロットはアムロ・レイではなく、ドン・ホフマンという知らない人だった。 ← 誰? 当時僕はまだ子供だった。 父がどんなに探したかをおもんばかる余裕はなかった。 ものすごく欲しかったガンダムのプラモデルがやっと手に入ると思ったのに、手渡されたのは「太陽系戦隊ガルダン・最強戦士ドン」だったのだ。 そして、裏切られた大きな期待が、やり場のない大きな怒りに変わるのも簡単だった。 僕: 「これじゃないよ(泣)!!」 僕は箱を床に叩きつけた。 次の瞬間。 横殴りの衝撃。 父がビンタをしたのだった。 1メートルくらいふっとばされた僕は、そのままの姿勢で泣きじゃくった。 さらにそこに母が登場。 母: 「欲しい欲しいっていうからせっかくお父さんが探して買ってきてくれたガンダムのプラモデルなのに、なんてことするの?!」 だからこれはガンダムじゃないんだよ・・・。 ドン・ホフマンとかいう人が乗るドンとかいうモビルフォースなんだよ・・・。 しかし興奮していて泣くしかない僕。 落ち着いて説明する心の余裕はなかった。 一方、父にしてみれば、 @息子が欲しいというガンダムのプラモデルを一生懸命探した。 Aやっと一軒のおもちゃ屋さんでそれを見つけた。 B息子が喜んでくれると思って苦労したのに、ぞんざいな扱いを受けた。 C仕事で疲れていて余裕がなかった。 Dムカツク。 ということなのだろう。 いきなりのビンタはそういうことだったに違いない。 父は恐い顔で黙ったまま、奥の部屋へ向かったのだった。 母: 「ちゃんとそれを作って、お父さんに謝ってきなさい!」 母はそういって台所へ戻っていった。 僕は泣きながらも「最強戦士ドン」を拾い上げ、箱を開けた。 僕はそれ以前に2〜3体のガンダムのプラモデルを作っていた。 ザク、ジム、といった脇役キャラだ。 それなりにパーツ数があり、それなりに作るのに時間がかかったものだった。 対する「最強戦士ドン」。 パーツ数が10個ってどういうこと? え? 接着剤じゃなくて輪ゴムでとめるの? ええ? ヒザもヒジも曲がらないの? えええ? 肩も固定なの? 泣きながらガルダンを作る姿はとてもじゃないがアライソ君には見せられないものだった。 しかし、ものの10分で完成。 それを持って父のところへ行った。 まだ僕は泣き止んでいない。 今でも思うのだが、ガンダムのプラモデルは手に入らず、ビンタされた挙句にワケワカランものを作らされるハメになった僕はやはり被害者ではないだろうか。 僕: 「お父さん、ヒック、ご、ごめんなさい、ヒック、ちゃんとできたよ、ありがとうね」 以前に僕が造って見せたザク・ジムとは明らかにモノが違うということに気がついたのだろう、父は少し動揺しながら 父: 「ああ、よく、できてるね…」 そして気まずい夕飯を、僕らは食べたのだった。 この話で僕が何を言いたかったのかというと、それは「頼まれた買い物には注意せよ」ということなのだ。 その十何年後かの僕。 彼女: 「ちゃうやろ!これはセッケンやんか!ミュールちゃうやん、これをはくんか?これを足の裏に貼り付けて歩くんか?」 僕は薬用石鹸ミューズの箱を手にして呆然と立っていた。 |