最近、インターネット上には、巨乳論を掲げる邪悪なホームページが増えてきたように思う(こことか、あるいはここ)。 巨乳論は乳学を形成する一つの一派に過ぎないが、最近の活動は目に余るものがある。僕は今回、あえてそういった風潮に一石を投じ、世間に問題を投げかけてみたい。「大きければそれでいいのか?、と」 まず、乳の魅力には色、形、つや、乳輪の大きさなどがありそれと並列して大きさという要素も加わっている。もちろんそれらは人によってそれぞれであり、つやはいいけど形がいまいち、乳輪は小さいけど色がいまいち、などさまざまである。 ここで注意しなければならないのは、それら要素が集合してひとつの乳の価値を決めるのであって、どれか突出した一つの要素だけを取り出して乳の価値を決定するものではない、ということだ。 わかりやすく言い換えよう。一般的にいって、肌に張りがあって、ツンと上を向き、乳輪が小さめであり、ボリューム感がある、そういう乳が理想的であろうと思われる。これが、「大きければいい」「大きさだけが乳の価値を決める」といった価値観に囚われると総合的な評価ができなくなるのである。 下の写真を見てほしい。 これでは大きさの点では追加点を上げることができても、形の点でかなり減点である。このタレントは前かがみになって胸の谷間を強調するポーズを得意としていたが、今から考えるとこの「下にあるもうひとつの谷」を隠していたのかもしれない。もっとわかりやすい写真はコレだ。(別人:某人気巨乳タレント) ここで世間の声を聞いてみたいと思う。まずは呉ファミリーのHPをほぼ毎日みてくださっているというMさんだ。できることなら毎日見てほしい(笑)。 |
そうです。乳は形だと私も思いますっ。 高校生の頃から「胸のでかさ」を惚れ込む周囲の友人が多い中で中で価値観の共有ができず寂しい思いをしていました。 巨乳はどこをもんだらいいのかわかりません。(イギリス:笑) 手のひらに気持ちよく収まるジャストサイズの美乳を私は愛します。 |
巨乳論はこのように友情関係まで悪化させる原因にもなっていることが明らかであろう。乳がデカイことを崇拝するのは人間関係の崩壊にもつながるのである。そして美乳を愛するM氏は正しい。 たしかに某K氏のいうとおり乳は男の故郷かもしれない。しかしそれはトータルな要素を含んだ乳であって、乳の大きさのみを指し示すものではないのである。 美乳。それは言葉どおり美しさを湛えた乳であり、極悪なまでに大きさを強調する外人のオッパイには見られない美学をもっている。 次のメールは、競馬が好きなH氏からいただいた。 |
私は形がいいのが大好きです。 下からこう、なんていうか、包み込めるような乳が大好きです。 いわゆる一般的に言うと乳首がツンと上向いてるヤツですね。 乳がでかくなるに比例して乳輪がでかいのはとても嫌いです。(イギリス:同感!!) それと付け加えれば、お尻の大きいおねーさまより小さいおねーさまの方が好きで す。後ろから見るパンツ姿で、足の付け根とお尻の肉が ドテッとなっているより、シュッっとなっている方が好きです。 文章で表現するのは非常に難しいです。(イギリス:わかります(笑)) |
この方も明らかに「アンチ巨乳」であり「美乳派」、そしてスレンダラー星人でもある。そうなのだ。たしかに乳がでかくなるに比例して乳輪がでかくなる傾向がある。下の写真を見てほしい。 そしてもう一回たしかめてほしいのは、垂れた巨乳の場合、胸の谷間がV字ではなくU字谷になるという点だ。 フィヨルドか?!といいたくなる。 このように長く下に伸びた乳、というのは楽器にこそなれ、美しいものとは言えないのではないか。 目指すべき、称えるべきはトータルポイントにおいて美しい乳、これに限るだろう。 結論として、大きさのみにとらわれた最近の傾向は邪悪のひとことにつきる。特にこれとかこれのような「大きさ」のみに注目しているHPは、乳の価値を大きさのみに限定している、もしくはそういう傾向にあるという点で最も甚大な過ちを犯しているように思われる。 大きさだけを問うのであれば、まちがいなくこの方も巨乳である。 では、美しい乳とはどういうものか。個人的にはコレである。 たちあがるのだ、美乳派の諸君。世間の巨乳派に押されて表には出ないが、まだまだ多くの潜在的なアンチ巨乳派がいることを僕は信じている。立ち上がれ諸君!!ジーク・・・ ついでに加えさせてもらうならば、こんなおバカなこと書いてないでさっさと論文書け、と自分に言いたい。 |