感謝の気持ち
 

  
僕はこれまで一度も自分の彼女に手をあげたことはない。それどころか、ケンカしたことすらない。

いや、ケンカしそうになってもいつも僕が先に謝ってしまうからケンカにならないのだ。それはそれでどうか、とも思うが(泣)。

そうなのだ。紅ショウガを食べながら切なくなったり、言いたいことをぐっとこらえて笑顔で応対するのはいつも男のほうなのだ。

しかしそれは実は僕の恋愛観に由来する行動でもある。

***

僕がここでつねづね主張しているように、恋愛は格闘技そのものだ。そして恋愛は『早い者勝ち』ではなくて『奪ったもの勝ち』の世界でもある。

つまり、一度彼氏・彼女の関係になったからといってもそれは結婚しない限り根本的に不安定なものであり、他の誰かによって『奪われる』危険性を強く持っている(もちろん結婚したとしてもそれはあり得る)。

逆にいえば、仮に好きになった人に彼氏もしくは彼女がいたとしても、あきらめなくてはいけない必然性はまったくない。

『好きになった人に今たまたま彼氏(彼女)がいた』というだけの事実であり、『おれの愛のほうがはるかに強い!!』、『あたしとつきあうほうが絶対に楽しい!!』という自信があるならむしろ好きになった相手を自分のところに引き寄せる根拠は充分にある。

そして同時に、誰かを本気で好きになったらそういうふうな自信があってしかるべきなのではないか、とも思う。

誰かを好きになって、つきあいたいと思うなら、『攻める』以外に方法はないのだ。自信なく守りに入ってもなんの進展もない。

***

と、まあそういう恋愛観を持っているのだが、これは同時に、仮に現在誰かと付き合っていたとしても、常に『横取りされるかもしれない』という緊張をもたらす。

この緊張はある程度であればポジティブな影響を与えるのではないか、というのが今回のテーマだ。

確かにこの不安が一定以上になると彼女の手帳にある男の名前すべてが気になったり、彼氏の携帯にメモリーされている女の名前すべてに嫉妬してしまうというネガティブな結果にもなるのだが、そこは理性で抑制しなくてはいけない。

そういうところで『他の男の話はするなよ』とか『他の女からの電話は取っちゃダメ!』と縛ってみたところで、根本的な不安は解消されないからだ。

いちいちそこらへんを縛ってみたところで、一時的に気分がマシになるくらいなものだ。

重要なのは『相手の気持ちを“自発的”に自分に向かわせるように努める』ことだ。

行動を言葉で縛ってみたところで、相手の気持ちが別のところに向かってしまえば意味はない。

***

もしこの『横取りされるかもしれない』という緊張がポジティブに働けばそれは当然、相手を常に大切にすることにつながるのではないだろうか。

例えば世の中には妻に暴力を振るう夫、ないし彼女を大切にしない彼氏、あるいは彼氏をこきつかうだけの彼女、というのがいるが、そういった人たちには共通して『(彼氏・彼女が)そこにいてあたりまえ』という感覚があるように思う。

つまり、『いなくなることへの不安』を強く感じていないために、つきあいはじめたころにはあったような相手への思いやりを失ってしまっているのだ。

その危機感の喪失が結果的に相手への信頼を徐々に失わせていくのは明白だろう。

男女問わず、『もしかして昔ほどオレ(あたし)のこと好きではないのかな?』と思ってしまうことはそのまま別れの原因にさえなる。

***

だから僕は彼女がいたときでもつねに『いてあたりまえ』とは思わないようにしている。

むしろ『いてくれてありがとう』という感謝の気持ちさえ常に持つように努力している。

それがいい関係を長続きさせる秘訣なのではないかと思っているのだ。

そうなのだ。テレビドラマを見損ねてネックレスを買うことも、明け方にクルマで迎えに行って家まで送ることも、宿題をかわりに解くことも『あたりまえ』ではないのだ!!

しかしそれでも僕はいつも『今日は遊んでくれてありがとな』という言葉をかけていた。なんて弱い僕(涙)。

***

今現在誰かとつきあってるそこのアナタ。

今日はひとこと、『つきあってくれてありがとね』と言ってみよう。少々気味悪がられたとしても、言われたほうとしてうれしくないはずはない。

呉師匠、どうです? 『おれと結婚してくれてありがとう』って言ってみては?


教訓『感謝の気持ちは大切』


 
お遊びページインデックスへ戻る
恋愛は格闘技だ!インデックスへ戻る