小学校のとき、好きだった女のコがいた。 ミホちゃんという女のコだった。 ほっそりした顔つきが印象的だった。 僕は子供心にも毎夜その恋に胸を焦がしたものだった。 それでも他の誰かにバレたりでもしたらそのときからみんなからからかわれるのは必至で、その恋心は誰にも知られないように、それでもミホちゃんの後姿をいつも追いかけていた。 僕はミホちゃんが好きだったんだ。 *** ある日、僕とアライソ君は楽しくガンダムの話をしながら帰りの支度をしていた。 その日の朝は晴れていたのだ。 しかし、午後から雨が降るという予報を知って傘を持ってきたのは数人だった。 僕とアライソ君は幸運にもその数人のうちに含まれていた。 残念なことにミホちゃんはその数人には入っていなかった。 僕「この傘、使いなよ」 僕はアライソ君の傘をとりあげて、廊下の隅でそれを渡した。 アライソ君は「ジャイアン!」と怒っていたがそれは関係なかった。 僕の傘には穴があいていたからだったのだが、それは僕だけの恥ずかしい秘密だった。 ミホちゃんが僕に笑いながら「ありがとう」と小さくつぶやいたのは、なぜだろう、いまでも僕の心に残ってる。 ほっそりした顔を少しうつむかせて。 *** イギリスから帰国してしばらく実家にいたときのことだった。 僕は中学も高校も渋谷近くの私立に行ってたので、小学校を出て以来、ほとんど縁がなかった。 親交があったのはごく一部の男ともだちだけだった。 帰国後、少し時間があった僕は久しぶりにある友達に連絡し、ある居酒屋に行ったのだ。 家の近くの、普通の居酒屋だ。 最近のこと、少し昔のこと、これからのこと、そしてやはり小学校のときのこと。 話になるのはそういうテーマだ。 友人「で、●が好きだったのって誰なの(笑)?」 僕「え? ミホちゃんだよ」 今でいう「ともさかりえ」に近いだろうか? 細面のその女性らしさは、将来の美人女優を想像するにはじつに簡単であった。 人間は億単位のニューロンを脳内に走らせ、それによって記憶をそこに留めている。 視覚や聴覚など五感から大脳新皮質に知覚された情報は神経をニューロンにのって伝わり、各皮質に到達する。 そしてそれは記憶としてとどまるか、あるいは任意のキーワードを伴って呼び戻される。 それが、人間の記憶だ。 その記憶がいつも正しいと、いいきれるのだろうか? 友人は言った。 友人「へ? あの馬ヅラ(笑)?」 人間の記憶は時にあいまいなものなのかもしれない。 僕は彼の記憶を疑った。 しかし、彼はかたくなに主張を曲げなかった。 あくまでも頑固に自分の主張を通そうとしたのだ。 目の前にはたった今ギョーザをついばんだワリバシ、いわゆるチョップスティックがある。 これでこいつの目を刺せば!! これで忌々しいことをほざくこいつの両耳から脳みそまで突き刺せば!! 血走った僕の目を見たからだろうか、友人はそれ以上言葉をいわなかった。 *** 帰宅後。 しかし、人間の記憶があいまいであること、そして人間の心理が複雑にできていること、心のままにいきることが常に真実ではないことを深く理解することになったのは僕のほうであった。 卒業アルバムにはそのときの想い出が、そのときそのままの形で残されていた。 はじめの数ページはスナップ写真だ。 カメラに向かってピースを向けるスズキ君。 笑顔のハヤシさん。 はにかむユカちゃん。 そして中盤くらいから各クラスの個人の顔写真が続く。 6年2組。 誰やねん?! 卒業アルバムすりかえたのは?! というよりも僕の記憶がちがっていたのか? そこには「ともさかりえ」はいなかった。 しかし、「馬ヅラの女のコ」もいなかったのだ。 その意味では僕も友人も間違っていたことになる。 だからといってそれがハッピーエンドになるとは限らない。 僕の目は一点をみつめて凝固していた。 そこで笑っていたのは、ともさかでも馬でもない、まぎれもない「ジャイアント馬場」であった。 それだけならまだしも、とても強そうだったのだ。 その晩、僕は声を殺して、泣いた。 自分の愚かな大脳新皮質に。 |