その日、僕はヤンキースタジアムに来ていた。 何人かでヤンキース戦を観に来たのだ。 案外いい席のチケットが手に入り、普段野球に興味のない僕もまあいいか、という感じで観戦することにした。 予定の試合開始時間は昼の1時だった。 だが、夕方の6時になっても開始される気配がなかった。 敵チームはフロリダから飛行機でやってくるはずだったのだが、当時フロリダを襲っていたハリケーンによって大幅な遅れが生じていたのだった。 アナウンスによると試合開始は7時だった。 アメリカ社会において、地域に密着した野球チームの存在は大きい。 日本ではあまりファン同士の衝突は聞かないし、ファンによる騒ぎもあまり起きない。 仮にあったとしてもごく一部の阪神ファンが道頓堀に飛び込むくらいなものだ。 だが、ニューヨークのヤンキースファンは違う。 球場に観戦に来ているすべての人間が、「熱烈な阪神ファンのレベル」だと言えばわかってもらえるだろうか。 幸い、僕らは日本人だった。 松井選手の活躍はヤンキースファンにも受けがよく、しばしば「日本でも松井は人気あるのか?」と聞かれることがあった。 少なくともファンに白い目で見られることはない。 僕らの隣のシートにいたのは、とある親子だった。 巨漢の父。小学校にも満たないと思われる子供2人(息子と娘)。 3人ともヤンキースのユフォームに身を包んで、ベースボールキャップをかぶっている。 これがヤンキース戦観戦の正装なのだ。 子供たちはお菓子をほおばり、父はビールを飲んでいた。 そういえば予定開始時刻のお昼くらいからこの親子はビールを飲み、お菓子を食べていた。 父が飲み干したビールの紙コップは足元に散乱している。 アメリカ人の胃袋は四次元ポケットなのか・・・? 社会でゴミ処理が大きな問題となっているが、ここに何かヒントがあるのかもしれない。 そして午後7時。試合が開始された。 父: 「Go, Go, Yankees!」(行け行け、ヤンキース) 息子: 「Go, Go, JETER!」(行け行け、ジーター) 娘: 「Shefeeeeeeehhhhhhhh」(シェフィィィィァァァ)) 娘に至っては、超高音の雄叫びをあげているだけだった。 そのうち犬が集まってきそうだ。 父: 「Yes, Nice Job」(よくやった!) 息子: 「Good eye, Good eye」(よく見た!よく見た!) 娘: 「Uuuukyehhhhhh」(ウッキィィャァァ) 娘は気が狂ったように両手を挙げて叫んでいた。 超高音なので何を言っているかわからない。 コウモリでも呼んでいるのだろうか。 ところで、ホームでの試合においては敵チームにプレッシャーを与えることもファンとしての重要な役割である。 敵チームの攻撃になった際にはブーイングやトラッシュトークでバッターに揺さぶりをかけるのだ。 特に僕らの座っている場所はネット裏でバッターにも声が届く位置にある。 父: 「Your house has been broken? You should go back to Florida! ha!」(家は大丈夫か?フロリダに帰ったほうがいいぞ、ハ!) そのころいくつものハリケーンがフロリダを直撃し、大打撃を与えていたのだ。 息子: 「Go to Hell, Go to Hell !!」(地獄へ落ちろ、地獄へ落ちろ!) 敵チームのバッターは、何もしていないのに犯罪者扱いなのだ。 娘: 「Ooohhhyyyaaa」(オィィィャァァァ!) 娘は超音波を発して敵チームを攻撃していた。 が、娘の超音波攻撃は、そろそろ僕の鼓膜を破壊しようとしていた。 試合も中盤に入り松井選手の打順となった。 1打席目は初球でフライを打ち上げてあっけなくアウト。 松井選手がバッターボックスに立つと、歓声がわきあがる。 ここニューヨークでも彼の人気は絶大なものだった。 父: 「Go, Go Matsui, I Love You !」(松井がんばれ、愛してるぜ!) 息子: 「Kill them, Kill the guys」(やつらをやっちまえ!)) 娘: 「MMMAAAhhhhh」(ンマァァァァ!) 僕: 「・・・。」 おまえの目的は何なんだ? 明日、僕は耳鼻科の病院へ行かなくてはならない。 初球、ボール。 父: 「Matsui, Sushi, Sashimi, Fujiyama」 昼間からビールを飲み続けていいかげん酔っ払った父は知っている日本語を並べ始めた。 息子: 「Pekemon, Yu-Gi-Oh, Yu-Yu-Hakusho, Dragon Ball」 息子もそれにならって知っている日本のアニメの名前を並べている。 負けてはいられない。 日本のことなら僕もよく知っている。 僕が知っている最強の存在はもちろんコレだ。 僕: 「松井ー。ガンダム、ガンダム!」 隣の親子は僕をちら、と見たあと、 父: 「Burusela, Burusela」(ブルセーラ、ブルセーラ) え? 松井選手がブルセラという単語で奮起するとは到底思えなかった。 息子も声援を送っている。 息子: 「Opaai, Opaai」(オパーイ、オパーイ) その声援の意味がわからないよ 僕が少し困惑したまま固まっているうちに、いつのまにかカウントは2ストライク2ボールになっていた。 そして次の球で。 松井選手はショートゴロを打って、ベンチに戻っていった。 それはそうだろう、その展開はとても理解できるものだった。 ***** その日の試合は結局終盤になってからジーター、シェフィールドなどの活躍によってヤンキースが勝利を収めた。 しばらく後、ヤンキースはボストンレッドソックスとリーグ優勝をかけて戦い、敗れることになる。 僕にはこの親子の呪いではないか、と密かに思っている。 |