この銀行の正規の研修は4ヶ月に渡って行われる。 本来の目的は、この銀行に現地で採用された新入社員を集中的な講義によって短期間で即戦力に仕立て上げることだ。 したがって、研修講義の内容は極めて『濃い』。 通常ビジネススクールなどで1年かけて行われるようなコースを4ヶ月に短縮して行うのだ。 例題を解いて基礎問題をこなし、応用問題、発展問題に挑戦する、などという悠長なことはしている余裕はない。 講師は僕らにエゲツなく難しい発展問題を宿題として与え、次の日にそれをいとも簡単に解説してみせて 「はい、わかったでしょ?もうできるようになったよね?」 と言うのだが、言うなれば「2次関数とは何か」を教えるのに東大の過去問を例に教えるようなものなのだ。 これっぽっちもわからないし、解けません。 あなたは何を考えているのですか? とこちらは言いたい。 しかし泣き言を言っていても始まらないので、与えられた課題にはギリギリまで挑戦しなくてはならない。 だから全員で居残って知恵を出し合い、一緒に解くことも珍しいことではなかった。 その時その時はかなりツライ時間だったが、今にして思えばそれは戦友(とも)との深い絆を得た瞬間でもあった。 ***** その日、与えられたグループワークの課題は3つあった。 3つとも、過去の実際のケースを基に銀行としてその融資案件を受諾するか拒否するかを決定せよ、というもの。 もちろん理由を含めて、それを現役の銀行員に対してプレゼンテーションしなくてはならない。 与えられた資料は合計で100ページ以上になる。 正規の授業が終わったのが午後5時。 明日の朝までにこれらを終わらせなくてはならない。 多分終わらないよ、ママ そして、すでに時計は夜の1時。つまり残り時間は10時間。 空腹と眠気と戦いながら、その上で課題と格闘しなくてはならなかったわけで、みんなかなりナーバスになっていた。 しかし、だからといって感情的になってはならない。 一流の銀行家はマナーも一流でなくてはならないのだ。 常に冷静沈着で、モノゴトを落ち着いた目で観察できる能力こそがファイナンスの世界で生きる者に必要な能力なのだ。 ・・・と僕の上司は言っていた。 エイミーは23歳。 端整な顔立ちだが、マジメすぎて冗談が通じないことが多い。 エイミー: 「いったいこの問題は何なワケ?ぜんぜんワケわかんない。ローンの要求リターンはこの式であってるでしょ?じゃあなんで自己資本の要求リターンがこうなっちゃうの?そんなに高い要求リターンは今の予想損益計算書じゃ合わないからダメってことよね?Son of a Bitch !! それにこの巨額な資本投資はどこからおカネ出てるの?償却はストレートでいいのよね?え?これって定率?じゃあ毎年額が変わるってこと?Fuck, Fuck, Fuck!あ、でもそしたらますます初年度の純利益が少なくならない? キャッシュフローに直したらいいってこと?あ、税金対策か!税金て34%よね、その分企業価値が高まるから株価は上がるってこと?自己資本の要求リターンがますます上がっちゃうじゃない!!Fuckin' Son of a Bitch!! もういい、もういいわ、アイツ(講師)を殺してアタシも死ぬ!!」 その剣幕に、僕とステファンは注目せざるを得なかった。 恐いよ、ママ エイミー: 「うるさいわね、少し黙っててよ」 僕らはずっと黙ってます。 エイミー: 「もういい、Fuck、もういいわ、みんな殺す!」 僕たち悪いことしてません! と、ふと横を見るとさっきから黙ったままのシャハーンは、半分目を開けたまま寝ていた。 ・・・zzz かすかにいびきも聞こえる。 アルメニア人が微動だにしないまま半目で問題を睨んでいるのは、少し恐い。 そんな時だった。 シャハーン: 「・・・ don't beat me」(ぶたないで・・・) ステファン&エイミー&僕: 「?」 シャハーン: 「・・・more tender」(もっと優しく・・・) 顔を覗き込むと、少し微笑んでいた。 エイミーよ。 シャハーンなら殺しても多分OK。 僕: 「シャハーン、起きろよ、まだ終わってないんだ。担保の部分の分析、終わってないんだろ?そこはシャハーンの担当だろ?」 シャハーン: 「・・・No,no, it's OK, I love you ...」(いや、大丈夫だって、愛してるよ) おれはおまえを愛していないんだが。 彼は起こしても起きそうになかったので、とりあえず額に『肉』と書いておくことにした。 時はすでに深夜の2時だった。 あと残り、7時間。 いろんな意味で疲れる一日だったが、まだまだ終わりそうになかった。 |